喜ばれたら、得るものがある。

2019.9.30ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと

世の中には「ファン」という存在がいる。
スポーツチームのファン、ミュージシャンのファン、漫画のファン、シェフのファンなど、すべてのジャンルにファンという存在がいて、ファンの人たちが彼らの収益を支えている。
宗教だって、信者は信仰対象のファンと呼べるかもしれないし、信者によって支えられているという意味では、信者はファンと言える。
MacやiPhoneを売っているAppleだって、今は死後になっている「マカー」というファンによって、長く支えられてきた。
そういう意味でも、人が食っていくために、ファンは欠かせないのだ。
 
けれど、ファンがいても食えないジャンルがある。
それが日本の「アート」だ。
ぼくも長いこと写真家としてアートの業界にいて、当時としては名の知れた若手の一人だったから、「ファンのような人」がいた。
展示があれば来てくれるし、HPのブログもチェックしてくれたり、展示会場で会えば、とても驚き、恐縮してくれる。
けれど、その人たちが、ぼくらの収益を支えてくれていたかといったら、まったくそんなことはなく、活動を続ければ続けるほど、ぼくらはすり減って苦しくなるのだ。
美術館で展示をしたり、海外で展示をしても、この苦しさは一向に変わらない。
 
アートで作品を購入する人のことは、コレクターと呼ばれる。
コレクターはファンであるときもあるが、若いアーティストの作品を買って、その後、価値が上がったときに売るという投機目的で購入する人も大多数いる。
ぼくもコレクターから作品を購入されていたが、それでも苦しさは変わらないのだ。
 
その後、ぼくはデザインも手がけるようになって、依頼によってお金を得るようになった。
収益を支えてくれるという意味ではファンと同じだが、ファンと言うよりも、家族のようだったり、友達のようだと言った方が、近いような気がしている。
本当に、二人三脚とはこういうことだと知るようになった。
依頼仕事で写真が必要になって、ぼくが撮った方がいいものなら、ぼくが撮影しているし、依頼人がいるからと言って、デザインとアートが違うスタンスかと言われたら、むしろ同じスタンスで作っている。
 
というのも、ぼく自身のわがままで作品を作ったことなんて、大学時代の数回しかないからね。
写真家でしかなかったときも、世の中に必要となるもの(そう思えるもの)を作っていたし、たとえ依頼でも、作る必要のないものを作ることはしない。
依頼仕事であろうとなかろうと、その点は同じなのだ。
そして、感謝をされたり、喜ばれたりする点も一緒なのだ。
違うのは、喜ばれると収益があったり、他の仕事につながったりすることだ。
これって、社会生活の基本なんだよな。

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