Archive for the ‘日々のこと’ Category

言ったもん勝ちの世の中なら、習いに行った方がいい。

2019.12.24

何でも言ったもん勝ちの世の中になってしまっていると思った。
言われたら対応しなきゃいけないのは、言ったもん勝ちの世の中だ。
対応は反論かもしれないし、謝罪かもしれないし、単なる受け答えかもしれないが、受け流すことも選択肢に入っていないと、言ったもん勝ちになる。
 
言ったもん勝ちの世の中を表すのは、受け流し方が下手な人が多いのだ。
自分から話を振っておいて、その対応をしたのにも関わらず、一言も返事をよこさない人が見受けられる。
  
返事をしない、忘れていました、は受け流しではなく、怠慢になる。
一言返事を送っておくだけで終わらせられることをしないと、相手に不快感を与えるのは、ビジネスマナーで習うことだろう。
一方で、返事の仕方については、TPOによって変わってくる。
たとえば、近しい間柄であればスタンプで「ok」と送れるが、それほど親しくもない相手なら文章で返事をした方が無難だ。
方法は時代によって変化するが、返事の有無は時代によって変化しないということだ。
この違いを認知できないでいると、対応下手な人になるし、対応下手な人には不快感を抱きやすくなるものだ。
 
だから、ベースとなるビジネスマナーや接遇というものを、一度は学んだ方がいいのだろう。
「見て覚える」のが苦手な人が増えたのなら、自分から学びに行かなければならない。
法人として人を雇っているのなら、従業員が会社の顔となるのだから、会社が研修費を出して学ばせた方がいいだろう。
粋や野暮、格好いいや格好悪い、などをぼくらが大事にしているのは、上の世代がそういう姿を見せてくれていたからだ。
けれど、数の原理には及ばないもので、「言ったもん勝ち」の世の中では「見せられる大人」が減り、「見て覚える若者」がいなくなり、気遣いさえも習いに行かなければならなくなったということだ。

何でもない絵の大切さ。

2019.12.23

なぜ、病院に何でもない絵が必ず飾ってあるのか?
それは、何でもない絵だからだ。
真っ白な壁を眺めていると、見えないものが見えている人になってしまう。
何でもない絵は、どんな状態の人においても、視線を置きやすい。
だから、弱っている人が来る場所には、視線の置き場となるものがあると助かるのだ。
裸婦像でもダメだし、抽象画でもダメ。
肖像画もダメだし、達筆な書でもダメ。
子供の絵でもダメ。
何でもないから、いいんだ。
そういう絵が描ける人を、世の中はもっと大切にした方がいい。

これは絵だけではなく、たくさんのことに言える。
だが、下手な人が言い訳として使ってしまうから、言えなくなってしまうのだ。
だから、皆、自分がどれだけ凄いか、どれだけ立派なことをしているかの貢献度自慢になる。
実際は大したこともないのに、だ。

もっと、世の中は、何でもない絵を描ける人を、大事にした方がいい。
ちなみに、ぼくはそういう絵が下手だ。
だから、ぼくも大したことがない絵描きってこと。

大人のレゴナイト。

2019.12.22

「大人のレゴナイト」に行ってきました。
知らない人のために少しだけ説明すると、色とりどりのブロックを組み合わせて遊ぶ「レゴ」のテーマパークがお台場にあるのですが、普段は大人だけでは入場できないルールがあります。
それを、大人だけが入場できる夜を設けて、「大人のレゴナイト」としてイベント開催しているんです。
 
レゴの発祥地であるデンマークに興味があるぼくは、それを知ってすぐに予約して、行きました。
イベント当日までに、久し振りにレゴを買って、予習をしたほどです。
レゴを買って遊んでいる様子は以前書いたので省きますが、レゴナイトに行って一番学んだのは、「主催者側はやり切るってことが大事」ということです。
 
テープカットで始まる入場から、イベント時間中を通しての盛り上げ方は、目を見張るものがあります。
ディズニーの完成度とはまた違った、テンションの高さとその場のノリで盛り上げる様子は、学園祭の大人版とも言えます。
街中でこれはちょっとキツイですが、ぼくらお客さんは、レゴの会場に入ったことで「盛り上がりの共犯者」となり、この祭りのテンションに乗っかった方が楽しいんです。
そう、「大人のレゴナイト」は「お祭り」です。
クリスマスソングに合わせて踊るのは盆踊り、組み立てられたレゴを見るのは祭りの華やかさ、カフェやショップは出店(でみせ)、手足を動かして遊んだり、催し物を見たり、これはお祭りそのものです。
 
いい大人が熱中して、楽しんで、ごはんを食べて、景品に喜んで--お客さんが年齢を考えずに楽しめるのも、スタッフがやり切っているから、引き込まれるんですよね。
そして、やり切るためには、「好き」であることが大前提なんでしょう。
最後に景品を渡してくれる人が一番印象深かったですが、「レゴとこの場所が好きなんだ」ということが、すっごく伝わってきます。
「やるからには、やっちまえ」って、とても引き込まれるんだな。
本当に勉強になりました。
 

脱欲望のすゝめ。

2019.12.21

最近は欲望の減らし方について話をすることが増えているが、欲望を減らせるかどうかは、センスとしか言いようがない。
年齢を重ねて高齢者になったとしても、欲の深い人はいるし、若くても欲望のコントロールが上手い人もいる。
一応断っておくと、数年前に言われたサトリ世代の欲のなさとは違う。
彼らは十分欲望を持っている。
ちなみに、「社会に貢献したい」というのも欲望だ。
 
古典を読んだ方がいいとぼくが勧めるのは、振るいにかけられて残っている古典には、必ずと言っていいほど、欲望を抱く無意味さが書かれているからだ。
ぼくのバイブルになっている『方上記』もそうだし、『平家物語』だってそう。
高僧としての欲望を減らし続けた親鸞の浄土真宗の広まり方を見てもそうだ。
 
欲望を減らせば減らすほど、事業というのは上手くいくようにできている。
なぜなら、事業は人間の営みであるからだ。
特別、テクノロジーの事業じゃないと思われている、例えば農家だってそうだ。
自然を相手にしているが、それは人間の営みであり、農業が苦しいのは、そこに欲望があるからだ。
そもそも自然には、「農」も「業」もなかった。
「地球をよくしたい」というのは、十分過ぎるほどの欲望であり、立派なことだと思いたいのは、欲望のある人間だけだ。
 
仕事に貴賤はない。
広まるべき事業なら、欲望を減らせば広まる。
歴史を顧みたら、そのようにできていることが分かる。

『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』はたのしい。

2019.12.20

英語を読むのはおもしろい。
今年に入って英語を習っているのは前に書きましたが、自習で何をやっているかというと、NHKから出版されている『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』を声に出して読んでいます。
これがね、楽しいんですよ。
一話五分の話が毎日あって、イソップ童話や落語、ショートストーリーなど幅広く英語で読めるんです。
アプリもあって、リスニングもできます。
ぼくのやり方はこうです。
「全文を通しで聞く → 一文聞いて、音読する → 全文を通しで音読する」
内容が難しくないので、感情を乗せやすいんです。
妻は書き取りをして学ぶタイプみたいなのですが、ぼくは読むのが楽しい。
さっき気づいたのですが、これ、絵本を読んでいる感覚と似ています。
短い文章を声に出して、感情を乗せて読む。
これって、絵本の読み聞かせそのものですよね。
そりゃあ、楽しいわ。
英語が趣味になっている。
 
昔はぼくも「仕事のために英語を習った方がいいだろう」と思って、毎日英単語のCDを聞いていたりしたけれど、なかなか続かないんです。
今じゃ、自習管理をコーチングしてくれるスクールまであるみたいですが、「仕事のため」っていうのは楽しみがないから、結局はつまらないんですよね。
楽しいから好きになって、好きだから趣味になって、趣味だから続けて、続けたから得意になって、得意になったから人に貢献できて、貢献できるから仕事になる。
この順序が崩れているのが、今の日本の仕事のあり方なんでしょうね。
英語、たのしいよ。