脱欲望のすゝめ。

2019.12.21ビジネスの健康, 日々のこと

最近は欲望の減らし方について話をすることが増えているが、欲望を減らせるかどうかは、センスとしか言いようがない。
年齢を重ねて高齢者になったとしても、欲の深い人はいるし、若くても欲望のコントロールが上手い人もいる。
一応断っておくと、数年前に言われたサトリ世代の欲のなさとは違う。
彼らは十分欲望を持っている。
ちなみに、「社会に貢献したい」というのも欲望だ。
 
古典を読んだ方がいいとぼくが勧めるのは、振るいにかけられて残っている古典には、必ずと言っていいほど、欲望を抱く無意味さが書かれているからだ。
ぼくのバイブルになっている『方上記』もそうだし、『平家物語』だってそう。
高僧としての欲望を減らし続けた親鸞の浄土真宗の広まり方を見てもそうだ。
 
欲望を減らせば減らすほど、事業というのは上手くいくようにできている。
なぜなら、事業は人間の営みであるからだ。
特別、テクノロジーの事業じゃないと思われている、例えば農家だってそうだ。
自然を相手にしているが、それは人間の営みであり、農業が苦しいのは、そこに欲望があるからだ。
そもそも自然には、「農」も「業」もなかった。
「地球をよくしたい」というのは、十分過ぎるほどの欲望であり、立派なことだと思いたいのは、欲望のある人間だけだ。
 
仕事に貴賤はない。
広まるべき事業なら、欲望を減らせば広まる。
歴史を顧みたら、そのようにできていることが分かる。

Comments are closed.