Archive for 2020.1

老舗ほど、ちょっとずつ変えている。

2020.1.21

こうやって毎日ブログを書いていると、何も書くことが思い浮かばない日、というのもちゃんとあります。
そういう日というのは、たいてい朝から晩まで仕事漬けになっていたときです。
今日もご多分に漏れず、朝から晩まで仕事をしていました。
 
それでもちゃっかり、夕方の散歩には出かけては、英語を聞き流してましたけどね。
 
それはそうと、以前にも書きましたが、進めていることがありまして、それと同時に普段の業務もあるわけです。
稼ぎながら、次の種を蒔いている状態です。
 
これも何度も話していますが、「老舗ほどちょっとずつ味を変えている」ということです。
川の流れを堰止めれば、川の水は淀んでくるように、何も変えようとしなければ、事業というのは衰退していくものです。
だから、伝統の味を守っている老舗ほど、ちょっとずつ変えているものです。
本当に昔からの味を変えないでいれば、それは重宝がられるかもしれないけれど、日常的に売れるものじゃあありません。
 
ぼくらがありがたがって訪れる歴史的建造物や催し物だって、現代人が訪れやすいように整備されてたり、建造物が崩れないように補修されていたりするでしょう。
そうやって、ちょっとずつ現代にフィットするように、調整されるのが、日常的に売れる老舗ってもんです。
 
これは何も事業だけじゃなくて、ぼくら人間や生き物だって同じです。
排泄物が出ないで滞れば、不調になっていくでしょう。
腎不全なんかもそうです。
ぼくは子どもの頃に腎臓病を患ったので、「流れが滞る」ということに人一倍敏感になったのかもしれません。
止めちゃいけないんだ。
流れ、流れ、変化して、それが健康的な姿なんだ。
だから、ずっと座っているのではなくて、散歩に出かけたり、歩き回ったりすると、いい発見があるもんだ。

信用をマイナスにしないために。

2020.1.20

ぼくは基本的に、ミスでは怒らない。
人はミスをする生き物だからだ。
だが、同じミスを二回したら、「自助努力はしたのか?」という質問と、その内容を聞くようにしている。
もしかしたら、一回目の時点で自助努力について何か話し合っているかもしれない。
それはミスの内容次第だ。
三回目あたりから、「この人はダメかもしれない」と思い始める。
 
もちろん、これにはミスの内容や、ミスが起こる頻度も関係している。
しかし、「ミス」と言われるようなものというのは、大抵が限られている。
遅刻や、間違いや、物忘れなどだ。
つまり、どれも避けられる。
それでも、ミスをするのが人間という生き物なのだ。
だから、怒らない。
 
だが、ここで逆説的なことを言うが、ミスをする生き物だからこそ、ミスをしない人の方を重宝がるのも人間なのだ。
これを忘れてはいけない。
遅刻が多い人よりも、なるべく遅刻しない人の方が好感が持てるし、間違いが多い人よりも、なるべく間違わない人、物忘れが多い人よりも、なるべく忘れない人の方が、それぞれ好感が持てるというものだ。
 
これは健康や清潔感も同じだ。
人は病気になる生き物だが、なるべく健康な人の方が重宝がられる。
人は細菌だらけ、垢だらけの生き物だが、なるべく清潔感のある人の方が好感を抱かれる。
ぼくが人を育てるときに、「仕事を失いたかったら、不健康、不潔、不満を言えばいい」と言うのはそのためだ。
仕事を得るのは、運が作用することもある。
しかし、仕事を失うのは簡単だ。
不健康な人は、健康な人よりも仕事を与えるときのリスク高い。
「業務を遂行できない」というのは、大きなリスクになるし、風邪などの体で健康時のパフォーマンスよりも劣るのは目に見えている。
 
風邪は誰だって引くものだ。
だが、年がら年中、風邪を引いている人に対しては「セルフマネジメントができてない人」という評価を与えられてしまうものだ。
これは社会が変わらなければならないことというよりかは、人間は風邪を引く生き物だからこそ、風邪を引く割合が少ない人の方が重宝がられる、というだけの話だ。
 
ぼく自身、体が強い方ではない。
むしろ、幼いときから持病があったりと、体は弱い方だ。
だが、仕事を休む割合は、かなり少ない方だと思う。
これは、体を壊した経験をしたら、不調を引き起こす体験はしないようにしているからだ。
低体温症になった働き方はもうしていないし、不調を引き起こす人とは会わないようにしている。
腰を痛めないように、重いものは理由を言って、人に持ってもらうようにしている(たとえクライアントであってもだ)。
この季節であれば、人の集まる密閉空間には長く居ないようにしたり、水分をこまめにとるようにしている。
遅刻しないように、朝起きたらその日の交通状況を確認して、15分以上前に到着できるように移動をする。
もしも、5分以上前に現地に到着するのなら、カフェなどに入って時間を潰せばいいだけだ。
隙間時間にやることは、いつもある(メールチェックや語学学習やブログを書いたり)。
 
こういったことは、すべて自助努力だ。
そして、自助努力の結果、ミスや不健康が引き起こされないでいられる。
こういう些細なことが、「信用」となって積み重なっていく。
仕事でパフォーマンスを発揮したいのなら、まずは信用をマイナスにしないことだ。

孫悟空から影響を受けたこと。

2020.1.19

『ドラゴンボール超』の映画を観ていました。
ドラゴンボール世代のぼくにとっては、主人公である孫悟空は身近な存在です。
ここ数年で気づいたことがあり、ぼくは悟空にかなり影響を受けています。
悟空が強い奴と闘うときに「わくわくするな〜」と言う感じ、ぼくはとても共感します。
 
ぼくの業界には天下一武闘会はないけれど、代わりに、アワードがあります。
ぼくが初めてアワードに参加したのが24歳ぐらいだったと思うのですが、気分は「すごい奴に会いたい」っていう感じでした。
腕試しというのもあるけれど、すごい奴と会って、切磋琢磨するのって、少年漫画のストーリーですよね。
功を奏して(?)、ぼくも受賞歴を重ねて、名前を知ってもらっていたり、ぼくの方が知っていたりとかで、知り合いが増えていきました。
知り合いと言っても、クリエイターというのは、一人一人が独立した存在なので、遠くにいながらもちょっと輝きを放つっていうかね。
知人とも、友達とも、仲間とも違う、不思議な存在が増えていきました。
 
その後、ぼくは若手を育てるようになっていきました。
このときに、ぼくが意識しているのは、「力の使い方を教えること」と「ぼくを超える存在として育てること」の二つです。
これも、孫悟空に影響を受けています。
原作漫画の最終話は、天下一武闘会で出会った、自分の才能を持て余している少年を、悟空が育てるという場面で幕を閉じます。
闘いの連続だったドラゴンボールの悟空が、最後は「育てる」ことを選んで終わるのです。
 
しかも、悟空の理由は単純です。
「強く育った少年と闘いたい」
今回観ていた映画でも似たようなシーンがあるのですが、他の登場人物からは「狂ってる」と呆れられます。
でもね、ぼくはそんな悟空の気持ちがよくわかります。
自分がどうしても好きな分野、そして、自分が生きている分野において、自分よりもすごい奴と出会えることは、とても「わくわく」します。
 
すごいと思うためには、自分よりもすごくなきゃいけない。
自分の得意じゃない分野に目を向けたら、そういう人はたくさんいます。
もちろん、別の分野のすごい人たちにも「すげー!」と思いますが、どうやってもその人たちとは競いようがないでしょう。
だから、仲間になったり、友達になったりします。
でも、ライバルにはならないのです。
それが、自分の得意分野で自分よりもすごい奴がいたら、どうでしょうか。
競える相手がいるってこと、ライバルがいるってことは、とてもわくわくすることです。
ぼくが人を育てるとき、あの時の悟空を、よく思い出すんです。

どんな人をお客さんにしたいか。

2020.1.18

「やらないことを決める」という大切さがありますが、デザインというのはこの連続だなあ、と度々思います。
街中のデザインを見ていると、色んな色を使って、色んなことを謳って、色んな絵柄を載せているもので溢れています。
するとどうなるか。
安っぽくなるんです。
GUCCIなどのメゾンブランドでは、そんな広告みないですよね。
ぼくの好きなエディ・スリマンがクリエイティブディレクターを務めているセリーヌの広告もそうです。
メゾンブランドの広告って、ほとんど決まっているのです。
つまり、要素を減らせば減らすほど、高級感や高い品質を伝えられるのに、みんなこの逆をします。
その理由を端的に言えば、「みんな勇気がない」からです。
減らすことは勇気が必要です。
だって、お客さんになる可能性が減っちゃうかもしれないから。
 
けれど、考えて欲しいのが、「どんな人をお客さんにしたいか」です。
昔、日本では「お客様は神様です」という言葉が生まれて、今日に至るまで長いことこの言葉が生きていますが、そのせいで、お客さんにしなくていい人まで、お客さんにしなきゃいけない不安や欲望に駆られています。
新しく会社を建てる人の相談を受けるとき、必ずこのことについて考えてもらうようにしています。
もちろん、ぼくも考えます。
どういう人をお客さんにしたいか、どういう人の助けになりたいのか、どういう人を救いたいのか。
「やりたいこと」「得意なこと」「必要なこと」を事業にするというはじまりから、実際に動き始めてから集まってくるお客さんはどういう人がいいのか。
欲望に支配されたら、そりゃあ全員をお客さんにしたくなるでしょうが、その中にはどうしようもない人も紛れているわけです。
でね、大事なのが、そういう人には、お引き取り願うってことです。
断る軸を持っておくんです。
 
「カスハラ」という言葉が生まれているけれど、これを生んだ原因って、やっぱりね「売りたい欲望」が強い会社が多いってことなんです。
極論を言えば、売ることが目的となった会社にとってみたら、売る商品はなんだっていいわけです。
そういう商品を買ったお客は、当然、嫌な思いをします。
嫌な思いを一度、もしくは何度か経験したら、何かを言いたくなるでしょう。
そして、元から怒鳴る人であったら、カスハラになりかねないです。
 
だから、こういう人を生まないためには、断る態度も大事ですが、売りたい欲望をなくすことなんです。
「いいものを作る」という毅然とした態度と、「断る」という毅然とした態度というのは、実は同じです。
売るのではなく、商品について適切に伝えて、相手がいいと思ったら、買ってもらう。
こういう広告づくりって、デザインがよくないといけないんです。
デザイン経営と言うと、売上を上げる方法のように語られてしまうけれど、経営者を賢者にしていくことでもあるんです。

絵に描いた餅も、描くための手が必要。

2020.1.17

今の日本のビジネスの現場を表すと、「手を動かさない人の言葉が幅を利かせている」ということだろう。
ブルーカラーやホワイトカラー、ナレッジワーカーと、色々な分け方を、色々な人たちがしているように、この差は大きくある。
もっと言えば、殿様と武士や、王様と兵士のように、昔からあったこととも言える。
武士の中でも、指揮する人と前線で戦う人とが分かれていたり、前線で戦う人でも歩兵と騎馬兵などの、たくさんの差があったはずだ。
 
けれど、昔と今の違いで言えば、命の掛け方だろう。
争いごとだったから仕方がないのだが、昔の人たちは、兵士も王様も負けたら死ぬという意味では、同じところに立っていた。
指揮する者と前線の者も同じであり、前線の方が命を落としやすい、という差だった。
そして、前線で貢献したものは、ちゃんと表彰されていたから、漫画『キングダム』の主人公のように、大将軍を目指して前線で戦うことができたわけだ。
これが、どれだけ前線で戦っても大将軍になれないのなら、人はあそこまで命をかけられるのだろうか?
 
今の日本のビジネスの現場を見ていると、この仕組みがなくなっているように見える。
元も子もない話をすれば、会社というのは、経営者が得するものなのだ。
さらに言えば、前線に配置されなければ配置されない方が、得する仕組みになっている。
そういう社会だと、どうなるか。
人は経営者になることを望み、そうでなければ、上役になることを望むようになる。
リスクという点で言えば、責任を取らされるのは前線にいる人たちであり、表彰されて、経営層に入るなど、夢のまた夢である。
「アルバイトから店長になった話」というのがあるが、フランチャイズ店の店長に、それほどの力がないことは、周知のことではないだろうか。
 
何が言いたいかというと、ぼくが手を動かすプレーヤーで居続ける理由は、腕を錆びさせないためだ。
どんな基礎的なことでもいい。
手を動かし続けることで、いつも新たな発見があり、技術や知識を教えることができる。
手を動かせる人が一人でも多く育つことで、いま前線で戦っている人が少しでも報われる仕組みになっていけばいいと思っている。
 
そう思うようになったのは、デザイン事務所に勤めたことがきっかけだ。
こういうことを考えているとき、事務所に勤めていた当時の、事務所の社長との会話をいつも思い出す。
 
社長「昼飯は食べたんか?」
江口「まだです。今日はコンビニになりそうです。」
社長「わしは昼飯がコンビニとか〇〇(ファストフード店)というのが嫌なんや。生きた心地がしないんや。」
 
ぼくは関西弁を話さないし、当時の記憶だから、正確性は欠けるかもしれないが、その時、ぼくは絶句したことをハッキリと覚えている。
断っておくが、コンビニ飯を馬鹿にされたことが絶句の理由じゃない(美味しいけれどね)。
昼が過ぎようとする頃のトイレで、昼飯から帰ってきた彼と遭遇したときの会話だ。
ぼくはあの事務所で、良いも悪いもたくさん経験させてもらった。
 
その会社が何を売りにするのかはそれぞれだし、経営者がどういう思想を持っていたって自由だ。
だが、ぼくが事業者である以上、関わってくれる人が報われるような仕組みを提供したいと思っている。
報われたと思うかどうかは相手次第なのでどうしようもないが、少なくとも、関わってくれた人へ、配慮のある振る舞いをしたいと思っている。
口の悪さや無知や立場を理由に、相手を傷つけていいことなどない。
 
手を動かさない人が指揮をとっても、兵士は無駄死にしやすくなる。
指揮者というのは、手を動かせて、頭も働かせられる人がなった方が、無駄死にが減り、功績も讃えやすくなる。
『キングダム』にロマンがあるのは、ここなのだ。
新規事業にアンダードッグ効果が必要と言われるように、手足を動かして、前線で奮闘する人たちは応援したくなる。
作るためには、手足や体、臓器が必要。
絵に描いた餅も、描くための手が必要なのだ。
忘れちゃいけないこと。