絵に描いた餅も、描くための手が必要。

2020.1.17ビジネスの健康, 初心者のためのデザイン心理

今の日本のビジネスの現場を表すと、「手を動かさない人の言葉が幅を利かせている」ということだろう。
ブルーカラーやホワイトカラー、ナレッジワーカーと、色々な分け方を、色々な人たちがしているように、この差は大きくある。
もっと言えば、殿様と武士や、王様と兵士のように、昔からあったこととも言える。
武士の中でも、指揮する人と前線で戦う人とが分かれていたり、前線で戦う人でも歩兵と騎馬兵などの、たくさんの差があったはずだ。
 
けれど、昔と今の違いで言えば、命の掛け方だろう。
争いごとだったから仕方がないのだが、昔の人たちは、兵士も王様も負けたら死ぬという意味では、同じところに立っていた。
指揮する者と前線の者も同じであり、前線の方が命を落としやすい、という差だった。
そして、前線で貢献したものは、ちゃんと表彰されていたから、漫画『キングダム』の主人公のように、大将軍を目指して前線で戦うことができたわけだ。
これが、どれだけ前線で戦っても大将軍になれないのなら、人はあそこまで命をかけられるのだろうか?
 
今の日本のビジネスの現場を見ていると、この仕組みがなくなっているように見える。
元も子もない話をすれば、会社というのは、経営者が得するものなのだ。
さらに言えば、前線に配置されなければ配置されない方が、得する仕組みになっている。
そういう社会だと、どうなるか。
人は経営者になることを望み、そうでなければ、上役になることを望むようになる。
リスクという点で言えば、責任を取らされるのは前線にいる人たちであり、表彰されて、経営層に入るなど、夢のまた夢である。
「アルバイトから店長になった話」というのがあるが、フランチャイズ店の店長に、それほどの力がないことは、周知のことではないだろうか。
 
何が言いたいかというと、ぼくが手を動かすプレーヤーで居続ける理由は、腕を錆びさせないためだ。
どんな基礎的なことでもいい。
手を動かし続けることで、いつも新たな発見があり、技術や知識を教えることができる。
手を動かせる人が一人でも多く育つことで、いま前線で戦っている人が少しでも報われる仕組みになっていけばいいと思っている。
 
そう思うようになったのは、デザイン事務所に勤めたことがきっかけだ。
こういうことを考えているとき、事務所に勤めていた当時の、事務所の社長との会話をいつも思い出す。
 
社長「昼飯は食べたんか?」
江口「まだです。今日はコンビニになりそうです。」
社長「わしは昼飯がコンビニとか〇〇(ファストフード店)というのが嫌なんや。生きた心地がしないんや。」
 
ぼくは関西弁を話さないし、当時の記憶だから、正確性は欠けるかもしれないが、その時、ぼくは絶句したことをハッキリと覚えている。
断っておくが、コンビニ飯を馬鹿にされたことが絶句の理由じゃない(美味しいけれどね)。
昼が過ぎようとする頃のトイレで、昼飯から帰ってきた彼と遭遇したときの会話だ。
ぼくはあの事務所で、良いも悪いもたくさん経験させてもらった。
 
その会社が何を売りにするのかはそれぞれだし、経営者がどういう思想を持っていたって自由だ。
だが、ぼくが事業者である以上、関わってくれる人が報われるような仕組みを提供したいと思っている。
報われたと思うかどうかは相手次第なのでどうしようもないが、少なくとも、関わってくれた人へ、配慮のある振る舞いをしたいと思っている。
口の悪さや無知や立場を理由に、相手を傷つけていいことなどない。
 
手を動かさない人が指揮をとっても、兵士は無駄死にしやすくなる。
指揮者というのは、手を動かせて、頭も働かせられる人がなった方が、無駄死にが減り、功績も讃えやすくなる。
『キングダム』にロマンがあるのは、ここなのだ。
新規事業にアンダードッグ効果が必要と言われるように、手足を動かして、前線で奮闘する人たちは応援したくなる。
作るためには、手足や体、臓器が必要。
絵に描いた餅も、描くための手が必要なのだ。
忘れちゃいけないこと。

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