Archive for 2020

歯列矯正からの学び。

2020.1.9

お付き合いのある人たちは知っているけれど、ぼくは今、歯列矯正をしている。
36歳の頃から初めて、ちょうど一年が経った。
ぼくが矯正治療を始めた理由は特殊らしく、これは専門家選びにも役立つ気がするので、今日はその話をしようと思う。
 
早速だが、ぼくが矯正治療を始めた理由は、口の中に疲労感を感じるようになったからだ。
年々、その疲労感は増してきて、インターネットで調べていくうちに歯列矯正に行き着いた。
「口の中に疲労感」と聞いてピンとこない方は、肩が凝ったときに感じるような疲労を、口の中でも感じていると思っていただければいい。
 
歯列矯正に行き着いたその後は、通える範囲での矯正歯科を調べ、ある程度目星をつけてから何ヶ所かカウンセリングに行ってみた。
すると、ぼくの症状を聞いた医師たちは、口を揃えるかのように「初めて聞いた」と言っていた。
実際、ぼくは左上の歯が一本少なく珍しいケースだった。
中学時代に地元の埼玉から電車を乗り継いで、お茶の水の大学病院にまで通って、生えてこない永久歯を抜くという経験をしていた。
大人になってから知ったのだが、永久歯が生えてこなかった人はそのまま放ってく人の方が多かった。
だから、こんな経験しているぼくは、けっこうなユニークケースだったのだ。
 
けれど、大事なのは、ぼくの口の中を見て、症状を聞いた歯科医師たちの対応だ。
ある医師は、初めて聞いた症状にも関わらず、一般的な方法を述べるだけだった。
一方で、「初めて聞いた症状=ユニークケース」と判断し、AプランとBプランを話してくれる医師がいた。
もうおわかりだと思うが、ぼくは後者の医師に依頼をした。
 
処置を含めて、すべての物事はうまくいかないことがある。
それがユニークケースなら尚更だ。
だからこそ、ぼくら専門家はどんなときも、いくつかのプランを想定している。
さらに、もしかしたら想定したプランはすべて失敗するかもしれない。
それでも、別の対応策を考えつくかどうかが、良き専門家とそうではない専門家との分かれ道だ。
もちろん、その中には「諦める」という選択肢もあるだろう。
 
ぼくらのデザインという仕事にも言えることだが、たとえばホームページ制作において、他の案件で制作したレイアウトを、そのまま持ってきて、絵柄やテキストを差し替えて完成ということは本来ありえない。
しかし、こういうテンプレート商売をしている事務所は存在しているし、けっこう多い。
本来ならば、似たようなケースはあるかもしれないが、ケース毎に行うべき処置は異なる。
そういう意味では、すべてのケースがユニークケースだと言った方が適切であり、その都度対策を考えて、やってみて、それでまた対策を考えて、やってみてを繰り返すことで、経験値と言われる暗黙知が積み重なっていく。
 
話を戻すと、歯列矯正を始めてから一年が経ったが、経験者たちが語るようなひどい痛みというのは経験していないのに、歯並びは改善されてきている。
毎回、どんな処置をして、今後、どういう処置をしていくか、ちゃんと説明をしてくれる頼もしい人たちだ。
 
このように、ぼくが依頼する人を選ぶとき、ぼくの問いに対して真摯に答えてくれることは、ひとつの目安になっている。
 
ちなみに、費用でいえば、そこは一番高かった。
毎回調整料金は払うし、基本料金も他と比べて高い方だ。
けれど、ぼくは満足している。
本当の意味での費用対効果というのは、安く買おうとするのではなく、提示された価格に対してちゃんと支払い、意味のある成果をもたらしてくれることだ。
そういう意味で、ぼくはお客だが、関係性は対等なのだ。
説明してくれた内容を信じて、任せている。
だって、ぼくは処置できないんだから。
これが大事。

精度を高めるために必要なこと。

2020.1.8

ひとつの職業の中には、いろいろなタスクがある。
ぼくはこれを細切れにして、ちょっとずつ進めている。
そうすると、納期に遅れるということは起きないし、試行錯誤の回数を増やすことができる。
一人で行う試行錯誤の回数が増えることのメリットは、制作物の精度が高まることだ。
精度というのは、回数によって高まる。
 
最近では、チームで集まってあーだこーだ話して進めるやり方が奨励されているようだが、このやり方で精度が高まることはない。
その理由は、素人が会議にいても大したことは言えないからだ。
例えば、医療現場の会議で、素人が混ざっていることはないだろう。
ぼくらの仕事もこれと同じであり、自分の強みを活かせる役割を全うした方が案件の精度は高まるものだ。
社会の営みであるデザインにおいて、デザイナー以外が会議の席に座っても、主観的な好みしか話せずに終わる。
 
これはデザイン以外でも同じだ。
自分にできないことは、その道の専門家を信じて任せた方がいい。
そこに横やりで口出しするなど、クオリティが下がるだけだ。
進捗確認の報告会などの無用な会議をしていると、人は何か話した方が仕事をした気になるので、あーだこーだ言っては、どんどんクオリティを下げる。
そんなことをしない方が、その道の専門家たちは自ら試行錯誤の回数を増やしては、精度を上げてくれる。
 
精度を上げるために必要なもうひとつの要素は、締め切り前にまとめてやろうというタイプではダメだ。
そのときに体調不良や事故によって、パフォーマンスが下がるかもしれないし、そうならなくても、急いで作ったものは、見落としなどのつまらないミスをしやすくなるのが人間だ。
焦れば余裕がなくなる。
余裕がない状態の人は、周りにいる人たちにも、余裕のない当たりをしてしまう。
そして、余裕がない状態で、創造性が発揮されると思っているのは一種の幻想だ。
大抵、そのような人は「決められたもの」しか作れない。
進めていくうちに気づくような穴があったとしても見過ごしては、「こういう決まりだったので」という風に機械のように機転が効かない。
つまり、作るうちに精度を高めることができないのだ。
もしも、時間がない中で試行錯誤の回数を増やそうと思えば、犠牲になるのは睡眠時間だ。
しかし、睡眠時間を削って失うのは判断能力であり、結局は精度を下げることになる。
さらに、つまらないミスを引き起こす。
 
作っている間も、時間は進んでいく。
ぼくたち人間の営みで優れているのは学習であり、学習は試行錯誤によって達成されていく。
つまり、作っている間に精度を高められない人というのは、時間の経過とともに学ぶことができない人であり、将来性も低くなっていく。
ぼくの事務所勤務時代にもいたが、そういう人は決まって同じようなミスを繰り返していた。
すると、ミスをカバーするために他の人たちの時間も奪っていく。
そこでは時間の他に、突発的な疲労感や人件費といったコストも発生する。
だから、締め切り前にまとめてやろうとしている人は、自分の首を絞めるだけでなく、周りの人たちの首も絞めている。
 
案件や企画、事業の精度を高めたいと思ったら、各方面の専門家が勝手に試行錯誤の回数を上げてくれる環境を与えることだ。
そこでは余計な口出しもいらないし、無駄な報告会も必要ない。
自分たちのプライドが高ければ高いほど、猜疑心も高くなるし、何でも自分たちで決めないと気が済まなくなる。
信じて任せるのには、強さが必要だ。

『働き方1.9』を読んだ。

2020.1.7

ヒロシさんの『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』
昨年の11月ぐらいに読んだけれど、考え方がだいぶ近く、ぼくに何かを相談したことがある人なら、一度は言われたことがここでも読める。
 
特に「ヒロシです」のネタを芸人でもない業界人が「もっとこうしましょう」と修正し、その結果スベっても何の謝りも責任もとらないくだりと、「(引用)やりたくもないことをやったりすぐらいなら、無理をせず好きなことを自分のペースでやっていったほうがいい」はその通りだ。
 
ぼくらの仕事も、素人であるクライアントがあーだこーだ言ってはクオリティを下げ、その結果、利益が出なかったらぼくらのせいにされる。
なるべくクオリティを担保しようと努力して、利益が出たとしても、手柄はクライアントになる(特にマーケティング)。
だから、サンポノ開始時に、「こんなくだらないことをするぐらいなら仕事はしない方がいいし、それで暮らしができなくなるのなら自殺をしよう」ということを決めた。
 
その代わりと言ったらおかしいが、提案のレベルは事務所に勤めていたときよりも質も量も多くなっている。
これは、事務所内の人たちに余計な確認をしなくていいからだ。
ぼくの時間を奪い、クオリティを下げるのは、外にいる人間だけでなく、内にいる人間も当てはまる。
その人たちと余計なやりとりをすることもぼくのコストになるし、経営者の視点から言っても大きな人件費だ。
これについても、先ほど挙げたヒロシさんの本に書かれている。
コストと言うと、お金のことに意識が向かいがちだが、コストには「お金」「労力」「時間」「感情」の四つがあり、それぞれを足したものが本当のコストとなる。
これについては、二十歳の頃からぼくは友人たちに説明している。
 
ちなみに、ぼくの優先度は「感情>時間>お金>労力」だ。
何よりも自分の気持ちである感情を優先し、やりたくないことはやらないようにしている。
けれども、やりたいと思ったことだったら、新米がやるようなことも率先してやっている。
玄関前の掃除なんかもそうだ。
家の前が汚いのは仕事をする場所としてどうかと思っているのは自分なので、玄関前の掃き掃除は自分で行い、ついでだからと両隣の家の前も掃除している。
 
仕事の提案で実際に作ってしまうのも、この掃き掃除と同じ感覚だ。
絶対にいいと思って、相手の喜ぶ顔が浮かぶから、さっさと作って提案してしまう。
このときの労力や時間やお金はマイナスだが、感情はプラスだ。
そして、おもしろいことに、こういうことが積み重なると、マイナスだったはずのお金はプラスに転じる。
海老で鯛を釣ると言ったら失礼かもしれないが、ぼくにとってのやりたいことは労力としては小さく知覚されるのに、それが利益を生む。
 
事務所勤務時代は感情も時間も労力も犠牲にしているのに、低賃金で働き、安い食事をとっているのにお金も貯まらず、そして体を壊した。
「感情>時間>お金>労力」のコストについては二十歳の頃に気づいていたのに、事務所勤務時代のぼくはこれを実践できずにいた。
大事なことを忘れていたし、独立後、その事務所やそこで関わっていたクライアントが仕事をくれたことはない。
よく質問されるが、独立後の仕事はすべて新規の仕事であり、ぼく自身は営業をしていない。
独立するときには何の算段もなかったが、このまま死んだら確実に後悔すると思って辞めた。
それでも、なんとか3年はやってこれた。
これは本当に運がよかったと言うしかないし、お客さんに貢献できている今、色んな人に感謝の言葉しかない。
 
自分の感情を大切にすると、周りにいる人たちの感情も大切にするようになる。
それはお客さんもそうだし、家族に対してもだ。
海外で大きな賞も獲ったし、それでお客さんへの貢献もできた。
提案で実際に作ることで、クリエイターとしてのレベルも上げることができる。
しかも、忖度など必要がないから、素早く、クオリティも下がらない。
それもこれも、感情を優先するからだ。
ちょっとぼくの言葉だと信用できない人もいるだろうから、そんな人は是非、ヒロシさんの『働き方1.9』を読んで欲しい。

値下げを期待すると失敗する理由。

2020.1.6

「デザインに力を入れたい」と言うクライアントは多いが、大抵は失敗する。
それは、クライアントのお金の掛け方が間違っているからだ。
現代人は機能にお金を払い、コストパフォーマンスをとても気にしては、金額が安い方を選ぶ。
このようなお金の使い方では、お金をかけて作ることに意味を見出すのは難しい。
 
「なるべく安く手に入れよう」という思惑がある人に対しては、「なるべく高く売ろう」という人がやってくる。
なぜなら、安く手に入れようと考えている人の周りには、価値を提供できる人は集まらないか、いたとしても離れていくからだ。
そうすると、必然的に、高く売ろうという人が残るか、集まるという仕組みだ。
 
価値を提供する人というのは、自然と価格が高くならざるを得ない。
価値を提供する人は、「人の性質」や「歴史」を学び、「技術」を研鑽してきた人だ。
これらを駆使して、価値を提供する専門家となる。
何にお金を払うかは人の自由だが、これらに対してお金を払えない人は、提供される価値も理解できないのだから、専門家ともやりとりができない。
繰り返しになるが、だから、安く手に入れようとする人の周りには、価値を提供する人ではなく、高く売ろうとする人だけが集まるのだ。
 
それでは、今まで安く手に入れようとしていた人が変わるには、どうしたらよいのか。
それは、人間を知ることが重要だ。
 
知覚情報には、存在の情報と価値の情報があり、人々が欲しいと思うものには、この二つの情報が備わっている。
たとえばオムライスを提供している飲食店の看板の場合、「オムライスの情報=存在の情報」となり、「他のお店のオムライスではなく、うちのお店のオムライスは食べる価値があると思われる情報=価値の情報」となる。
 
構図も悪く色あせたピンボケ写真を載せているのは、存在の情報しか伝えていないことになる。
一方で、構図やボケみ、色味などが適したシズル感のある写真は、存在の情報に加えて、おいしそうと思われる価値の情報を伝えている。
価値の情報になるのは、おいしさだけではない。
健康は人間がお金を払いやすい情報のため、たとえば「化学調味料無添加」や「無農薬野菜でつくられた」などの情報も、価値の情報となる。
また、単に「オムライス」と書いているよりも、「ふわとろ卵のオムライス」や「新鮮タマゴのオムライス」と書いている方が、人は選びやすくなる。
しかし、何でもかんでも情報を載せようとすれば、品のない安っぽい情報となる。
 
こういったことを、我々デザイナーたちは毎日行って、技術を高めながら仕事をしている。
 
しかし、コストパフォーマンスを気にして安い方にお金を出している内は、価値の情報が何なのか知らないままだ。
知らないままの人がクライアントになるから、日本のクリエイティブは低価格になり、そのような現場ではデザイナーやコピーライター含め、すべてのクリエイターが育たなくなる。
教えてもらうのはきっかけに過ぎない。
その後、内省をしなければ、価値の情報が何なのか、理解することは難しい。
 
たとえカラ元気でも笑っていると、本当に楽しい気分になるように、わからなくても高いお金を支払うことから学びはじめるといい。
同じ内容で安く学ぼうとする限り、本当の学びはできない。
 
もしも、学び続けてもわからないというのであれば、たったひとつの行動を変えるだけで、学びが身につくようになる。
それは、「値下げを期待しない」ことだ。
正月明けの日本では、様々なものがセール価格となっているが、そういった「値下げ」を期待せずに購入することで、「価値」がわかるようになる。
大量に製造される商品と、専門家によるサービスとでは、価格の付け方は異なるが、それでも提示された金額から値下げを期待しないことを学ぶことはできる。
 
そもそも、医者の診察を受けて、会計のときに値下げ交渉などしないだろう。
価値を提供する専門家というのは医者の仕事と同じであり、ビジネスの現場だからといって、値下げを期待するなどということが厚かましいのだ。
価値を提供してくれる人と出会いたいのなら、ちゃんとお金を支払うこと。
銀行や資本会社から借金ができないのは、経営者に信用がないからだ。
「この人はお金を返済できる」という信用があれば、お金を借り入れることが可能であり、そうすれば専門家にもお金を支払うことができる。
支払い能力がないから信用を失う。
信用を得るためには、ちゃんとお金を支払う。
ちゃんとお金を支払っていれば、物の価値が理解できるようになり、価値を提供できる専門家が集まるようになる。
値下げを期待してばかりいると、自分の価値を下げる。
だから、値下げなど期待せずに、ちゃんとお金を支払うといい。
ここからはじまる。

「全部趣味」と「サンポノ」。

2020.1.5

ちょっと厳しい話になってしまうかもしれないが、人には「〇〇してくれる」や「〇〇してあげる」義務はない。
親が子どもを育てる義務はあるが、成人になったら、育てる義務もなくなる。
だから、パラサイトと言われる、成人した子どもを家に置いておく義務も親にはない。
「親だから」「友達だから」「上司だから」「仲間だから」というのは、やってあげる人が言うことであって、やってもらう人が理由として挙げれば、単なるわがままになる。
いや、立場や間柄を理由にするのは、やってあげる方も止めた方がいいだろう。
すべて、自分がやりたいからやったことだ。
やった方が、自分が気持ちがいいからやったことだ。
「やりたくないことをやらされている」という人もいるだろうが、断る選択肢だってあるわけで、やらされる方を選び、断る方を選ばなかったのは、断る方が大変だからだ。
選ばない理由を大別すると「大変」「面倒臭い」「嫌」「不安」だ。
こういった動機が少しでもない方を選んでいることになる。
自然災害、交通事故、先天性のように不可避なもの除いて、言動というのは、自分がやりたいものでできている。
 
去年、「全部趣味 – All works are hobbies.」という言葉を考えついたのだが、これは今でもぼくの生きる指針になっている。
好きなことを追究した結果得意になり、他人に貢献できるために仕事になった。
はじまりは「好きなこと」であり、好きな人と仕事をするようにしている。
飽きたり、嫌いになったら趣味をやめるように、仕事だって飽きたり、嫌いになったらやめればいい。
釣りが趣味だとしても、嫌いな人とは釣りに行かないように、嫌いな人とは仕事をしない。
こう言っているとわがままなように聞こえるかもしれないが、ぼくは自分から人との付き合いを切ったことは、数回しかない。
大学の頃に出会ったことを仕事にしているように、自分でも驚くほど根気強いようだ。
そんな自分だからこそ、窮屈にならないように、あえて「全部趣味」とふざけているように思われることを言うようにしている。
ぼくの事務所の名前を「サンポノ」としたのも、「仕事は散歩のついで」と、真面目ぶって偏狭にならないようにするためだ。
そして、これらは功を奏している。
どこか頑なになりそうなとき、「サンポノ」や「全部趣味」という言葉が頭をよぎることで、随分と気持ちが楽になる。
こういった軽妙さが、日本人には必要なんだ。