「全部趣味」と「サンポノ」。

2020.1.5ビジネスの健康, 日々のこと

ちょっと厳しい話になってしまうかもしれないが、人には「〇〇してくれる」や「〇〇してあげる」義務はない。
親が子どもを育てる義務はあるが、成人になったら、育てる義務もなくなる。
だから、パラサイトと言われる、成人した子どもを家に置いておく義務も親にはない。
「親だから」「友達だから」「上司だから」「仲間だから」というのは、やってあげる人が言うことであって、やってもらう人が理由として挙げれば、単なるわがままになる。
いや、立場や間柄を理由にするのは、やってあげる方も止めた方がいいだろう。
すべて、自分がやりたいからやったことだ。
やった方が、自分が気持ちがいいからやったことだ。
「やりたくないことをやらされている」という人もいるだろうが、断る選択肢だってあるわけで、やらされる方を選び、断る方を選ばなかったのは、断る方が大変だからだ。
選ばない理由を大別すると「大変」「面倒臭い」「嫌」「不安」だ。
こういった動機が少しでもない方を選んでいることになる。
自然災害、交通事故、先天性のように不可避なもの除いて、言動というのは、自分がやりたいものでできている。
 
去年、「全部趣味 – All works are hobbies.」という言葉を考えついたのだが、これは今でもぼくの生きる指針になっている。
好きなことを追究した結果得意になり、他人に貢献できるために仕事になった。
はじまりは「好きなこと」であり、好きな人と仕事をするようにしている。
飽きたり、嫌いになったら趣味をやめるように、仕事だって飽きたり、嫌いになったらやめればいい。
釣りが趣味だとしても、嫌いな人とは釣りに行かないように、嫌いな人とは仕事をしない。
こう言っているとわがままなように聞こえるかもしれないが、ぼくは自分から人との付き合いを切ったことは、数回しかない。
大学の頃に出会ったことを仕事にしているように、自分でも驚くほど根気強いようだ。
そんな自分だからこそ、窮屈にならないように、あえて「全部趣味」とふざけているように思われることを言うようにしている。
ぼくの事務所の名前を「サンポノ」としたのも、「仕事は散歩のついで」と、真面目ぶって偏狭にならないようにするためだ。
そして、これらは功を奏している。
どこか頑なになりそうなとき、「サンポノ」や「全部趣味」という言葉が頭をよぎることで、随分と気持ちが楽になる。
こういった軽妙さが、日本人には必要なんだ。

Comments are closed.