慣習に疑問を持つすゝめ。

2020.1.4ビジネスの健康, 初心者のためのデザイン心理

気づいたことがあった。
 
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」の「今年もよろしくお願いします」が余分なんじゃないか。
 
「よろしく」の語源をインターネットで検索すると、「うまい具合に」や「適当に」という意味が出てくる。
つまり、「よろしくお願いします」は「うまい具合によろしくやるようお願いしますね」という意味になる。
ネット程度だと詳しい語源が出てこないから、正確さには欠けるけれど、使われ方としては、的外れではないだろう。
 
話を戻すと、「今年もよろしくお願いします」と言うのは、何も相手に与えていないのに、「うまい具合に付き合ってくださいね」というお願いをすることになる。
昨年読んだ『GIVE & TAKE』という本の言葉を借りれば、与えていないのに、貰おうとするテイカー(利己的に奪う人)の特徴だ。
 
さらに厄介なのは、こういう話をすると、必ずと言っていいほど「慣習だから」と言われるのだが、日本の社会で問題になっていることの原因は、慣習が多い。
終身雇用や年功序列も慣習が原因だし、生産性を上げようとする試みも慣習が邪魔をする。
 
つまり、「今年もよろしくお願いします」と当たり前のように言っていることは、何も与えずにうまいこと得ようとする利己的な性格と、慣習だから疑わない性格を作り出すのを手伝っているんじゃないだろうか、と思った次第だ。
 
思えば、こういうことに疑問を持つのも、特異な視点となる。
そして、こういった視点を提供することがうちの事務所の価値となり、評価となって、仕事が生まれている。
 
「慣習」に疑問を持つことは、阿呆なことのように思えるかもしれないし、たくさんの批判を受けるようなことだけれども、「多くの人が持つ視点」と「特異な視点」の両方を持つ訓練としてはおすすめだ。

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