Archive for 2019.11

肉の底力。

2019.11.25

消化の日でした。
そんな日が暦にあるのかは知りませんが、ぼくにとっての日曜日は、消化の日でした。
土曜の夜に、とってもおいしい焼肉をご馳走になって、調子に乗って、普段食べない量をパクパク食べたんですよね。
そんで朝起きたら、体中がだるいのなんのって。
肩は痛いし、お腹は張ってるし。
もちろん、焼肉には責任はないです。
朝起きても、体が重くて起き上がれず、しばらくの間、布団の中でごろごろしていました。
暫くすると、お腹が空いてくるのですが、下腹部に空きがないんです。
なので、朝ごはんは妻が淹れてくれたハーブティーだけです。
その後、色々やってから、お昼に蕎麦を食べたら、ちょっと気持ち悪くなってしまって、午後は読書と昼寝と英語の宿題を少し進めるだけでした。
 
こうやって考えていると、改めて「肉」の底力って、すげぇなと。
体というのは人ぞれぞれですが、ぼくの許容量を超えた肉を食べてしまったんでしょう。
この底力の塊を、ぼくの体が消化し、吸収するのには、丸一日必要だったわけです。
寿司や刺身を食べてもこんなことにはならないだろうし、鍋を食べてもならなかったでしょう。
やっぱり、肉ならではの出来事なんです。
一枚一枚の力は小さくても、数を重ねていって、腹の中で塊となった肉の底力。
ぼくの体と肉弾戦を繰り広げていたことでしょう。
胃や腸だけでなく、筋肉組織や関節に至るまで、数々の器官を総動員して消耗して、ようやく、肉の塊はぼくの体になったのです。
 
いや〜、昔の人たちもこうやって肉を喰ってたのかなぁ、としみじみしちゃいました。

遊びだから好きになる。

2019.11.24

今年の前半は「うんこアプリ遊び」を発明(?)して、その後、研究がてらガンプラやスマホゲームにハマり、今は頼まれもしないで、世界一好きな近所のお店のロゴと看板を作っています。
「どこにそんな余裕があんの?」と問われても、「そんなもんお構いなし」と答えるしかありません。
なぜなら、これ全部、「遊び」なんです。
 
今の世の中は、ちょっとした機能におしゃれなデザインをくっつけて、持続可能性だよね〜、社会貢献だよね〜、という言葉をくっつけて売っているものがほとんどです。
まぁ、売れるものって、そういうものです。
チームで和気あいあいと進行させるやり方とか。
でも、同時に、もうみんな飽きてきている頃でしょう、というのは随分前からぼくは話しています。
飽きているなら救いはありますが、既に息苦しいところまできているのが、今の日本です。
それでも、ここから外れるのって、どこか「頭イカれてんちゃうか」と後ろ指さされるような気もして、誰も脱線しないわけです。
 
ぼくは今年の初めから、脱線し始めました。
まだ試験段階なのかもしれませんが、二年前の資料を読んでいて、大きく自分が成長していることに気がつきました。
遊びの感覚で続けてきたことが、専門的な技術となる。
気持ちいいから続けて、続けるから専門家となる。
これが健康的な職業の就き方じゃないかと、気づいたのです。
 
思えば、ぼくはセンスがあるわけではありません。
メゾンブランドを着るわけじゃないし、ファストファッションや、エシカルファッションをしているわけでもないです。
いつでも仕事ができて、仕事の邪魔にならない服装を選んでいます。
写真だって、ぼくよりも才能のあると思った人たちが、どんどん辞めていきました。
デザインだって同じです。
才能のある人たちが、つまらない仕事と会社にいることを選んで、日々を過ごしている。
そして、原石だった才能を磨くのではなく、土中深くに自ら沈めてしまいます。
 
別にそのことについて、何かを言おうとは思いません。
仕事って、誰に言われずとも、もっと楽しいことっていうことです。
人と関わっておもしろくなるとか、つまらなくなるとか以前に、自分がおもろいと思ったことを続けるから、力がつくわけです。
飽きたら辞めちゃって、また興味が出たら再開すればいいわけで。
好きこそ物の上手なれ、とはよくいったものです。
仕事だから好きになるんじゃなくて、遊びだから好きになるんだ。

機材負担と経営者。

2019.11.23

昨日の展示会。
展示品よりも、記録撮影をしているカメラマンの違いに興味をもった。
会場に点在しているカメラマン。
双肩にはC社、N社のフラッグシップの一眼にストロボを装着させて、それぞれ一台ずつの、合計二台持ち。
中には三脚までくっつけている人もいる。
これは日本の展示会では見慣れた光景だ。
一方で、欧州企業が集まっているブースのカメラマンの装備。
ミラーレスと思われる小ぶりなカメラに、手振れをしないためのジンバル(スタビライザー)と呼ばれる装置をつけて撮影している。
人混みを縫いながら、動画を撮影している。
ジンバルをつけていると、普通の歩き方と違う「ジンバル歩き」になるので、よくわかる。
どちらがカメラマンの負担を減らすかは明白だ。
だが、機材一式を変えるというのは、雇われカメラマンでは承認されない。
つまり、経営者の考え方の違いだ。
日本でも、高い従業員ランクに比べて、低い労働生産性が注目されるようになってきた。
それは、デービッド・アトキンソン氏が言うように、経営者のレベルの低さだ。
先日、「企業の目的とは利益を出すこと」と書いたが、それすらわかっていない格好つけの経営者が多いのも事実だ(私が会った中でだが)。
そういう経営者の下では、従業員が安い賃金と、長い労働時間と、パフォーマンスの低い機材によって我慢を強いられている。
「我慢するぐらいなら、さっさと辞めればいいじゃん」というのが、私の考えだが、どちらにせよ、変わらなければならない層が変わらない限り、日本は変わらない。
ちなみに、展示会の記録であれば、「最新のスマホにジンバルつければいいじゃん」というのが私の考え。

楽しむには、よく寝ておくこと。

2019.11.22

困ったなぁ、と思っています。
何に困ったなぁ、かというと、楽しさがなかったんですよね、今日。
仕事から始まり、漫画と、昼食と、展示会と…という具合に、今日のあれこれを通して、「あれ?楽しくなかったぞ」と。
 
閻魔帳のようにこれらの内容を書いたとしても、楽しくはならないのはわかっているので、そんなことはしませんが、ま、寝ていないのも手伝っているでしょう。
医者からは「よく睡眠をとるように」と言われていますが、はい、すいません、昨日は寝てないっす。
 
昨日のお昼までは、楽しく仕事をしていたのを覚えています。
ラフと呼ばれる下書きをやってて、「すげぇのが描けたぜ!」と興奮して、そのまま制作に入って、やっぱりよかったんですよね。
そこから、まぁ、別件が入って「う〜ん?」というね。
 
それで、漸く今日の気づきですが、「楽しむためには、睡眠が必要」。
夕飯は自炊で美味かったし、昨日の続きで、めちゃんこいい看板作ったりで、楽しいことは色々あったはずです。
でもね、楽しさの波に乗り切れてないんですよ。
「波? あぁ、はいはい」という感じなんです。
よくないですねー、これはよくないですよー。
今日はちゃんと寝て、明日は明日でちゃんとおいしいものを食べようと思います。
それに、温かいお風呂に浸かって、「はぁ〜」と深呼吸をしようと思います。
 
今日はいつもよりも短い内容ですが、これでご勘弁を(誰にやねん)。

Good Person, Good People.

2019.11.21

作れない人が、別の人が作ったものに対して、ジャッジをしている現場に遭遇すると「憐れだな」と思ってしまう。
患者が医師の治療に対して、ジャッジをしているようなものだ。
職業倫理を完全に無視した、そんなとんちんかんなことをしている現場はたくさんある。
こと、我々の仕事に対して、患者である依頼人がジャッジをする現場というのは、大抵クオリティが下がる。
しかも、ジャッジをするという行為によって、物知り顔にならなければいけないのだから、憐憫としか言いようがない。
 
そして、その人がどんな行動に移るかというと、自分の息のかかったスタッフでチームを再編するということ。
こういう現場は数知れないが、見かけても、ぼくは放っておくようにしている(ぼくの制作物であれば職業倫理が込められているので言う必要がないし、発言を求められても一度しか言わないようにしている。その理由は後述)。
そのような人は治らない。
そのような人を雇ってしまったことを、後悔してもらうしかない(本当に困っているのなら、利己的な人が気持ちよく辞めれるような道を与えてあげることだ)。
 
上記のことを、ぼくのブログでも何度か紹介している『GIVE & TAKE』という本の言葉を借りるなら、テイカー(奪う人)は自分にとって都合のいい人で周囲を固める。
採用でよくみかける「条件に合う人を採用する」ということもそうだ。
だから、ほとんどの採用は失敗する。
 
テイカーの逆であるギバー(与える人)は、テイカーの食い物にされるか、賢いギバーならテイカーと距離をとる。
テイカー(奪う人)が社内にいると、ギバー(与える人)がいなくなり、マッチャー(損得勘定で動く人)がテイカーとなる。
だから、テイカーが社内に入ると、テイカーが溢れるようになる。
テイカーは一見すると愛想がいいので、やりとりが活発ないい現場のように見えるが、その中身はそれぞれが利用し合う現場となっているだけ。
テイカー、ギバー、マッチャーはその人の性質だから、治らない。
先述の「条件に合う人を採用する」というのは、損得勘定で動くマッチャーや、自分の人生のために周囲を利用するテイカーが集まることになる。
だから、失敗する。
 
つまり、テイカーがいると、テイカーを引き寄せ、職業倫理も働かず、利己的な議論が活発になるという悲惨なことになる。
採用試験を与えなきゃいけないのなら、サンポノであれば「GIVE & TAKE アセスメント」を受けてもらうだろう。
昔から言っているが、スキルなんて1〜2年で覚えさせることができるんだから、それよりも「いい人」が必要なんだ(ここで「そんなに早く覚えられる訳が無い」と言っている人がいたら、その人の考えているのは「自分が苦労して身に付けたスキルがそんなんじゃ割りに合わない」という損得勘定だ)。
 
ぼくはこの本を読んで、人生に大切なのは、与えること、そして「いい人」と出会うことだと確信した。
お節介に提案したり、テキストを作ったり、お土産持って行ったり、叱ったり、アホなこと言ったり、笑わせたり……たくさんの差別とやっかみを受けた人生でも「笑って死ねるなら、ま、いっか」と思って生きてきたことが、そのままでいいと思えたのだった。
脱線してしまったが、「Good Person, Good People.」、出会ったら奇跡。