Archive for 2019.10

おいしいご飯は、運を引き寄せる。

2019.10.6

外食での「おいしい」とか「まずい」とかってあるでしょう。
初めて訪れるお店では、どんなに口コミを丹念に見ても、そのお店で自分が食べる料理が自分にとって「おいしい」か「まずい」かは、誰にもわかりません。
今日は、何がおいしいか、まずいかは置いといて、ひとつ気がついたことがあります。
 
それは、「おいしいものを食べれたときは、運が向いている」ということです。
 
スピリチュアルかどうかは知りませんが、調子が悪いときほど、外食でまずいものを引き寄せてしまいます。
引き寄せるというのは、博打的な言い方をすると、引き当てるとも言えるでしょう。
運が向いていないときは、悪いものを引き寄せてしまい、当たりくじを引き当てられない代わりに、ハズレくじを引き当ててしまいます。
例えば、行こうと思っていた店舗が臨時休業だったりと、無駄足をさせられたり、食事関係でなくても、つまらない話を聞かされたり、行く先々で騒音に悩まされたり、失礼な態度をされたり、普段はしないようなミスをしたり、ミスを重ねられたり、数え上げたらキリがないほど、重なるときは重なるものです。
こういうときに外食をすると、心の底から「おいしい」と言える料理と出会えないことがほとんどです。
仮に、自炊をしても、イライラしていたりするので、味付けが普段よりもしょっぱかったり、味のピントが外れていたりします。
つまり、自分の状況がまずいときというのは、食べるものも、まずいものを引き寄せてしまうんです。
 
そんなとき、ぼくがするのは、「必ずおいしいものを食べる」ということ。
当たりくじを引き寄せられない状況にあるのなら、どんなに小さな当たりだとしても、高い確率で当たりくじを引き当てられるところに行きます。
金曜日はまさにそんな状況だったのですが、おいしいハンバーグを必ず提供してくれるお店に行き、ちょっとだけ運を引き寄せる方向に、自分を持って行きました。
 
前菜にクリーミードレッシングがかかった卵付きサラダ。
メインは濃厚デミグラスソースのハンバーグに、付け合わせがほくほくベイクドポテトと、バターが香るインゲンのグラッセ。
食後に自家製デザート二種の盛合せと、生クリーム入りのアイスコーヒー。
 
ぼくの中で鉄板のランチです。
味を知っているのにも関わらず、食べながら、思わずうっとりと目を閉じちゃいました。
それぐらい、当たりを引き当てていなかったのです。
このランチを平らげて、家に戻り、仕事を進め、就寝すると、お客から嬉しいメールが届いていました。
やっぱりね、おいしいものを食べるのって、「引き寄せる」ことでもあります。

「誘い」と「お願い」と「依頼」。

2019.10.5

「誘い」と「お願い」の違いは、似ているようでまったく違う。
さらに、「誘い」の場合でも「遊びの誘い」と「仕事に関わる誘い」では、アプローチのマナーは変わる。
「仕事に関わる誘い」で大事なのは、誘う相手のことを考えてから誘うことだ。
特に考えなければならないのは、相手が払うことになるコストや、背負うことになるリスクである。
遊びであればそこまで考える必要はないが、仕事に結びつくことで人を誘う場合は、相手のことを考えてから誘っているのか、何も考えずに誘っているのか、誘われた方は分かるものだ。
相手のことを大して考えていない場合、誘う方は、自分の都合のいい解釈しかしていないことが多い。
この場合、誘いは失敗する。
 
自分の都合で人を動かせるのは、「お願い」だ。
「お願い」とは、自分が誰か他の人に、何かしてくれるように依頼することだ。
つまり、「お願い」とは「依頼」なのだ。
依頼は、依頼者が、自分の都合のいいように依頼するが、その代わりに相手へ報酬を支払う。
自分の都合が大きければ大きいほど、支払う報酬額も増える。
そうじゃないと、引き受けてもらえないか、対応が悪くなる。
「お願いしても動いてくれない」ということが起きるのは、十分な報酬を明示していないか、支払っていないからだ。
報酬を支払う依頼でもこうなのだから、報酬の概念がない「誘い」で、自分の都合のいいように話をしていたら、誰も協力しないのは明白だ。
 
だから、まずは働きかける相手の都合を考えてから、「誘い」なのか「お願い(依頼)」なのかを判断すること。
その判断をしてから、相手に働きかけると、相手も動きやすくなる。
これはビジネスの現場だけの話ではなく、人間の営み全般の話だ。

総合的な評価を味わっている。

2019.10.4

毎日ブログを書いていると、同じネタっていうことがあるが、おそらく今日の話も以前に書いたことがあると思う。
 
飲食店では、味だけを味わっているわけではないんだ。
ホスピタリティやデザインという言葉が広まるにつれて、ぼくらが飲食店で味わっているものは味だけでなく、総合点だということが浸透している。
いわゆる一流店と言われるお店では、総合点が極めて高い。
だから、味だけを極めようとすると、「味はいいんだけどね…」という評価になる。
 
これ、飲食店に限らず何でもそうだ。
病院も、雑貨屋も、結婚式場も、直接的なクオリティだけを高めた人や場所というのは、何かが足りなく感じるようになる。
それは、ぼくらも同じ。
「最高のクオリティ」だけの人とは、話したくないものだ。
相手を慮ることができない人とは、どんなに高いクオリティを提供されるからといって、総合的な評価は低くなる。 
結果も過程も、両方大事なんだよ。

タイプを間違わないこと。

2019.10.3

ぼくに言われるまでもないが、人には、それぞれのタイプがある。
何においてもあるし、大事なのは、タイプを間違わないことだ。
たとえば、仕事の進め方においてのタイプの場合、ぼくは「ひとりのタイプ」ということ。
ひとりで考え、ひとりで動き、見つけ、そして、ひとりでやる。
これによって、人に価値を提供できるタイプ。
 
「たくさんの人の頭には敵わない」と言う人もいるが、それは、「たくさんの人でやるタイプ」だから、その人たちは自分に適したことを言っているだけだ。
チームで動く場合に、それぞれの得意なことを信じて任せるやり方は、「ひとりのタイプ」であり、チーム競技でありながら個人競技でもある「野球」に近い。
 
ぼくがこの考えになったのは、試行錯誤の結果だ。
やり方、進め方、モチベーション、仲間、関係性、報酬、リスク……いろいろ試しながら、他の人が言うように、自分もたくさんの人と一緒に動いた方が、すごいものが出来るんじゃないかと信じていた頃がある。
だが、試せば試すほど、積もっていくのは落胆であり、この試行錯誤は、人間に対する理解を深めていくことになった。
 
そして、いつの日からか、「期待しない」という要素を、どの人にも含めるようにし、ダメだったときの、他の手段も考えるようになった。
こういう風に書くと聞こえは悪いが、仕事におけるリスク回避と考えると、とても当たり前なことでもある。
期待しない要素を含めることと、信じて任せることは同居するのだ。
BプランやCプランを考えながら、Aプランを進めるときに、人に任せる部分は信じて任せておく。
このやり方を上手くいかせるには、任せた相手も「ひとり」の要素を持っていた方がいい。
そうじゃないと、結局は、自分で考えて動いた方が早く、精度が高い、ということになる。
もしくは、できる人に依頼した方がいい、ということになる。
 
ただし、ここで大事なのは、信じて任せた相手に対して、報酬を示せているかだ。
多くの人が、信任を失敗するのは、依頼者が自分都合で物事を考えており、お願いされた方のコストやリスクを考えていないことに原因がある。
信じて任せる前に、相手にとっての「いいこと」と「悪いこと」を考えてから、話を振らないと、お願いされた方がバカを見ることになる。
それでは、相手は動かない。
人は、内的要因でも外的要因でも、報酬がないと動かないものだ。
 
以上は、ぼくがどのタイプにいるかが大きく関わっているので、他のタイプの人であれば、違うやり方が適しているかもしれない。
大事なのは、自分のタイプを間違わずに、これを発揮できる環境に身を置くことだ。
 
もしも、自分のタイプを知りたいのなら、仕事を任されたとき、納期前に納品ができる人間であれば、君は「ひとり」のタイプだ。
人の目や、納期といった外的要因がなければ、仕事の精度が落ちるのなら、それはひとりのタイプではない。
誰に言われずとも、こつこつ進められるかどうかが、「ひとり」のタイプを分ける。
何度も言うが、大事なのは、自分のタイプを間違わないことだ。

間口を広げる考え方。

2019.10.2

「あっ」って気づいたことがある。
ぼくがこれだけ「うつわの概念」や「間口を広げる考え方」を大事にしているのは、ニッチすぎる場所に、元々いたからだったのかもしれない。
その場所は、最近連続して書いている「アート」の業界なんだけど。
そこは、とても間口が狭く、うつわにしたら何も入らないような業界だ。
ギャラリーの入りにくさもあるだろうし、やっている人たちの意固地さも手伝って、とても狭くなっている。
日本の現代美術は予算もないから、スケール感もなく、弱者の自分を守るための作品になっていたり。
狭くなって、深くなればいいのかもしれないが、深くなることもなく、同じような言葉を使って遊んでいるだけになる。
だから、作品を作ることが悪いのではなくて、その業界と業界に染まった人がつまらない。
間口が狭く、うつわが小さければ、人が入る余白もないので、自ずと稼げない業界になる。
 
自分の名前が知られるようになる一方で、何も変わらない現実に「おかしいぞ」と思い始めてから、ぼくは業界と距離を取るようになった。
そして、世の中の売れている会社や、業界トップの会社、世界の土俵で闘えている会社と仕事をすることで、自分の考えややり方が間違っていなかったことを知る。
単純に、自分のいた場所が悪かったのだ。
これを肌で体験するにつれて、うつわの概念や間口を広げる考え方が、成長していった。
人がいなければ、何をやっても、苦しくなるだけ。
人が集まることで、価値に対して、報酬が払われるようになる。
それは、どこでも、誰でも、同じことだったのだ。
苦しい環境にいてよかったのは、工夫を覚えたこと。
間口を広げながら、人がお金を払える工夫を施していく。
人の役に立てているのだから、あの時飛び出して、よかったと思っている。