Archive for 2019.10

楽しそうな職場。

2019.10.26

「楽しそうに見える職場」っていいなと思いました。
こう思ったのは、三年半ぶりの健康診断でのことです。
金曜日に、区民検診という、その土地に住んでいながら、自営業などで健康診断に行っていない人用の健診に行ってきたのです。
親にはずいぶん前から、行くよう言われていたのですが、まぁ、面倒くささにかまけて行っていなかったのです。
けれど、今年の9月に調子が上がらない日が続いていたり、周囲から「痩せた?」と聞かれることが多くなり、この際だから行ってみようと思ったのでした。
 
昨日の東京は雨と風が強く、健診場所に着く頃には、足元がびしょびしょ。
妻のコートは背中がびしょびしょ……なぜ?
ま、そんな感じで、受付を済まし、お金を支払って、名前を呼ばれるまでしばし待機。
名前を呼ばれたら、問診に血圧測定、そして身長と体重測定。
厚手のスウェットに、びしょびしょのジーンズにベルトを付けたまま体重測定……これ、誤差がすごいんじゃね?
そして、チラッと見えた体重は、本当に痩せていました。
衣服の分を抜いたのを想像したら、以前なら免疫力が下がる感覚がしていた体重よりも痩せていました。
これはちょっと、まずいかも。
その後、診察をして、最後に血液検査。
これで終了。
 
ここからが、今日の本題です。
健診中に思ったことが、冒頭の「楽しそうな職場だな」なんです。
健診だから、流れ作業でもあるのに、それぞれの担当者に一言二言の雑談がついてきて、キャラクターがあるんです。
目を光らせたら、「その話いらないですよね」と言われそうだけれど、こういう一言会話みたいなのが、それぞれの場所でゆるく発生していると、全体の雰囲気がよく見えるんですよね。
実際はどうかわかりませんが、偽物の雰囲気はわかるものです。
だから、真面目な仕事をしながら、楽しそうに仕事ができる現場なんだと感じました。
 
正味一時間もかからなかったと思いますが、楽しそうな雰囲気は、その間中ずっと感じていました。
雰囲気が柔らかいというか、朗らかなんです。
落ち着いている人もいますが、検査中の話しかけてくる雰囲気とか、内容とか、全部まるっと見てみると、「なんか楽しそうに働いているなぁ」と感心しました。
 
こういうのは、憧れますねー。

自己満足できるものは強い。

2019.10.25

他人に対してメリットがないものを提供してビジネスになるものに感心します。
最近触っているプラモデルもそうです。
ゲームもそうでしょう。
提供する側はビジネスになるからメリットになります。
じゃあ、そのお客さんは?
そう、自己満足しか、ないのです。
 
車や時計、アパレルが昔ほど売れなくなったと言われているけれど、今も昔も買うのは、自分の見栄えをよくするためです。
車は移動という大義名分を作れるけれど、それで押し通そうと思ったら、「わざわざその車種を買わなくてもいいよね」というものもあります。
あ、念のため断っておくと、否定する話ではございません。
 
「自己満足のために買われることができるもの」って、かなり最強なんじゃないだろうか、と思い始めているのです。
ファンが何かを買うこともそうです。
だから、今も昔も、音楽とか、漫画とか、映画とかって強いんです。
もちろん、ゲームやプラモデルなどのおもちゃも。
車の広告で「Be a driver」というキャッチコピーで、楽しそうに1人で運転している姿を映したポスターが数年前にあり、鮮烈な記憶として残っています。
そのときは、車や時計が、ポジションを自己満足に変えつつあることが、方々で指摘されていた頃です。
けれど、車や時計の需要が、なくなったかと言えばそんなことはなく、むしろそれぞれのポジションが明確化されました。
そして、自己満足に特化させることで、得られるポジションもあるでしょう。
 
こうやって考えていると、「自己満足」という性質を持てる業界は、かなり強いんじゃないかと思えてきます。
このことは、もっと考えられそうです。

礼節とは。

2019.10.24

礼儀とか、礼節って呼ばれることがあるでしょう。
人との関係が終わる理由には、「無礼」であることが往々にしてあるのではないでしょうか。
逆に、「あの人のようになりたい」と憧れるとき、相手の礼節に感動していることが多々あります。
 
こういう話をしているとき、思い出すのは、子どもの頃にされた「人にやられて嫌なことはするな」という説教です。
この教えが、いきなりホームランを量産するようなことってなくて、何度も経験しているうちに、いつの間にか、礼節が身についています。
 
ちょっとずつ、嫌なことや、失敗したことや、嬉しかったことの時間を積み重ねていくことで、なんとなく成長していくものが、礼節になります。
だから、子どもって基本的に無礼でしょう。

こういうときに「俺には嬉しかったことなんてなかったぞ」と言う人がいるでしょう。
これは残念ながら、「嫌な奴」で「無礼な奴」になっている傾向があります。
片や、「私はこんなにいいことをしてきた」という人もいますが、それも、独りよがりの手柄を独り占めタイプなので、いつの日にかしっぺ返しを味わうでしょう。
その理由を今から書きます。
 
礼節ってわざわざ書くと、ちょっと厳かな雰囲気になっちゃいますが、この中身って、「あなたのことが好きです」という好意と、「喜んでくれるかな」という期待と不安が、マーブル状に織り混ざったような気持ちが行動に表れることです。
だから、礼節のある人というのは、ペットの犬のように、基本的に相手へ好意を抱きながら、一歩下がっているような、ちょっと人間臭い部分もある人なのです。
 
だからね、礼節のある人って、愛情深い人だから、ぼくは好きなんだよな。

映画『イエスタデイ』を観てきた。

2019.10.23

『イエスタデイ』という、ビートルズの映画を観てきました。
ビートルズの映画と言っても、売れないシンガーソングライターの主人公が事故に遭って目が覚めたら、ビートルズが存在しなかった世界になっていた、という映画です。
だから、ビートルズの曲が流れても、本物のビートルズは出てこないのですが、とても優しく、とても愛情に満ち溢れている映画でした。
 
正直に言うと、ぼくはビートルズにドンハマりしたり、深く影響を受けた人ではないです。
ファンやにわかファンが「ポールが〜」「いや、ジョンが〜」と口角泡を飛ばす姿を見ても、なんのこっちゃ分からないのです。
けれど、曲を聴いて、気持ちがよくなります。
安心して聴けたり、楽しんだり。
そして、ビートルズでなくても深く影響を受けたものは、ぼくにもあります。
恋の辛さやハッピーさもあります。
主人公の後ろめたさと、リスペクトも。
これらが、全部報われる形で映画は進むことに、ぼくらは同時に救われます。
おっちゃんとおばちゃんが主人公に言った言葉が、ぼくらの言葉でもあります(観ればわかるから)。
 
突然、自分が深く影響を受けたものが、この世、いや、この歴史から忽然と消え、自分だけが知っている状況に陥ったら、自分だったらどうするか。
それは、感動したもの、感動させてくれるものが、存在を失うことでもあり、その喪失感って、想像しただけでも胸が締め付けられます。
もしも、それを体現させる力が自分になかったら、なんという苦しみか。
なんという孤独か。
もしも、これを体現させられる人が現れたのなら、なんという救いか。
とても深く考えさせられるとともに、主人公の立場でも、オーディエンスの立場でも、映画と同じ内容だったら、それはハッピーな世の中なんだと思いました。
 
本当に、ハッピーな物語と、ハッピーエンドを観させてもらいました。
すごい、いい映画。

10割バッターになる必要はない。

2019.10.22

一般論などの抽象度の高い話をしているとき、頭の中では具体的な事象が思い浮かんでいるでしょう。
これに気がつかずに話をすると、一方向からの話になり、口調が強くなります。
だから、「絶対にこうだ」という話をしている人というのは、冒頭のことに気がついていなかったりします。
多くのことは、大体、「こういう場合はこう、そういう場合はそう」と言った、どっちつかずともとれることです。
その中から、打率が高そうだったり、ホームランになりそうだったり、次につながる送りバントや犠牲フライになりそうなものの中から、適切だと思える案を選んでいるはずです。
 
けれど、そうやってわかっていても、10割バッターを目指していることになっていたりもするのが人間ってものです。
だから、大事なのは、「これは10割の考え方だな」と気づいたら、その都度、調整していくことです。
調整していくうちに、ちょっとずつ、10割バッターではなく、打率を高めることができるようになります。
何かが上手になる、というのと似ています。
いきなり上手い人というのは、まあ、ほとんどいないわけで、誰もが、初心者の状態から、「これは上手くいった」、「これは上手くいかなかった」を繰り返していきながら、いつの間にか「そういえば、最近は下手したことがなくなってきたな」という状態になる。
すると、次のレベルのことで、上手くいったりいかなかったりを繰り返すようになります。
この連続です。
だから、本当に成長している人は、10割バッターにはならないんですよね。