Archive for 2019.9

生産性の誤解。

2019.9.15

生産性を否定する人の話にぼくが共感できないのは、生産性を下げながら、社会福祉の質を犠牲にしない手段を、言ってもらえたことがないからだ。
そもそも生産性とは、「質の高いものを、適切なコストをかけて提供し、適切な報酬を得る」ことで高まる。
そのため、生産性を高めようとすれば、「いいものを安く手にいれる」という発想にはならない。
けれども、生産性を否定する人は、「生産性=いいものを安く手にいれる」という前提に立っている。
だから、生産性にまつわることを否定しているのだが、皮肉にも、そういう人が経営者の企業では、「いいものを安く手に入れよう」としていたり、「いい人材を安く雇おう」としている。
そして、このような現場では、「聞こえのいい台詞」が飛び交うので、本来なら必要のないもので商品やサービスを売ろうとする。
よくあるのが、CSRやメセナ活動のバッジを使って、自社が素晴らしいことをやっていそうな鎧を身にまとったり。
社会貢献とか、ユーザーファーストとかを声高に言っているのも同じ。
そういうことせずに、提供する商品やサービスの評判が良く、話題になり、インタビューを受けたら、実は三方よしの企業だった、という方が、広め方としては真っ当な順序だ。
法人というのは、そもそも人々のためにあるものなんだから、敢えて宣言する必要なんてないんだ。

いろいろ2。

2019.9.14

以前にも書いたかもしれないが、クオリティを高めるために必要な三つのこと。
 
1:専門家のレベルの高さ。
2:クライアントが専門家を信任すること。
3:予算を潤沢に用意すること。
 
「1」と「2」は言わずもがなだが、「3」は意外と知られていない。
けれど、予算1000万円のクオリティ、予算100万円のクオリティ、予算10万円のクオリティは、それぞれ違う。
予算10万円で予算1000万円のクオリティを出そうとすれば、赤字だ。
3000円のランチを100円で食べようとしたら追い出されるでしょ。
それと同じ。
自分が好き勝手にやっていることなら、予算なんてつかなくてもいいけれど、依頼仕事はね、少なからず制約があるものなんだから予算ありきなんですよ。
  

やっぱりね、予算なんです。
予算を持ってこれないものは、最初よくても、後からダメになる。
予算を持ってこれないって、返済能力がないと思われているわけだから。
借りたら、色をつけて返すことができないと思われるってことは、土俵に上がる力がないのだから、どうやったって、土俵で闘うことは無理なんです。
貸したものをそのまま返されたら、貸した方はその間食えなくなるのだから、色をつけて返すことが分からない人は、やっぱり自分勝手なんです。
そんな人に、人はお金を貸さないんですよ。
だからね、予算がないっていうのは、自分勝手な私利私欲な人なんだから、遅かれ早かれ、ダメなんです。
 

結局、生産人口と消費人口が減る日本で、国民と国土のケアを現状レベルで行うのなら労働生産力が倍以上にならないといけない。
生産人口が減るのだから、生産性を上げなきゃならないし、消費人口が減るのだから、輸出収益を上げなきゃならない。
このどちらも叶えようとしないで、施策をしようなどと、「困窮者を増やしても、自社のやりたいことをやりますわ」と開き直っているようなものだ。
この手の事業者、経営者がほんとに多い。
経営者の仕事はね、その仕事で従業員が健全でいられること。

いろいろ。

2019.9.13

ぼくは「持続可能性」や「SDGs」をわざわざ謳うことを、クライアントに禁止にしている。
というのも、持続可能性とか、SDGsをわざわざ謳っているところって、単に儲けたいだけっていうのが見え隠れするから。
いや、隠そうとして、見えちゃっているからが正解。
CSRやメセナ活動って、あったよなー。
そんなこと掲げずに、普通にいいものを作って、売上げがあって、社員も関係者もお客さんもニコニコして、空を見上げたらお日様まで笑ってらと思えて、インタビュアーに質問されたときに「三方よしって当たり前のことだと思ってました」と、さらっと答える方が、真っ当で格好いい会社だと思うよ。
 

「やりたいこと」と「やるべきこと」を同時に進めないと、結局は弱い立場になっていく。
例えば、自身のやりたいことが観光業にまつわることなら、「国を挙げてインバウンドを肝入りにしなきゃいけない理由」が話せなかったり、理由が「儲かるから」じゃ困るんだ。
「観光公害」についても同じ。
自社が儲けることや、自分の生活のことしか考えていないと、こういうことに頭が回らず、結果的に弱い人になっていく。
 

「毎日使うものと考えたら安い」という売り文句は、止めた方がいいと言っている。
こういう売り文句は、金額が高いものを売るときに使われてしまうが、こう言ってしまうことで、「価値」の勝負から「価格」の勝負に、自らを切り替えてしまっているのだ。
せっかく価値あるものを提供しているはずなのに、「いいものを安く」という利益率の低い戦略をとってしまっている。
だから、提供するものと戦略がマッチしていないのだ。

紹介するということ。

2019.9.12

誰かに何かを紹介するとき、紹介する人のセンスってあるよなぁ、とつくづく感じる。
この歳になって、紹介が下手だなと思うのは、紹介されてどうしたらいいのか困る種類の紹介だ。
例えば「興味があると思って」という紹介や、「とりあえず繋ぐよ」という紹介は、けっこうな確率でその後、困る。
困らないまでも、手持ち無沙汰のような状態になる。
これは年齢を重ねたから起きる現象なのだろう。
さすがに40歳手前にもなると、興味があったものはそれなりに知恵が働くほどになっているし、面識のない人と繋がるときには、何かしらのスパークが起きるかもしれないと期待できないと、紹介された者同士は困ることになる。
そして、このときのスパークは、「仕事が生まれる」だ。
だから、単に情報や知識を与えるだけの紹介であれば、本や事例を紹介すればよく、それ以外で人や何かを紹介するときというのは、それが必ず相手の役に立ち、それぞれの仕事が発展するのではと期待して紹介しないと、相手を困らせることになる。
だから、人を紹介するときって、「一席設けます」となるんだ。
 
さらに、一席設けた後も、下手だなと思うときがある。
それは、挨拶の瞬間、他己紹介ではなく自己紹介させてしまうときだ。
人を紹介するというのは、相手同士が何かスパークするのを目的としているのだから、それぞれに強さや面白さがなければスパークも起きようがない。
けれど、挨拶のとき、強さや面白さを自己紹介で言わせれば、単なる自慢話となってしまう。
すると、マウンティング合戦になりかねない。
少なくとも、自分はこれだけ凄いんだ、という話になってしまうので、聞き手にとってみたら、自慢のように聞こえなくはないわけだ。
だから、人を紹介する場合は、口コミのように、紹介する人が他己紹介した方がいい。
 
こういうことって、誰かが教えてくれるわけじゃないけれど、だからこそ、如実に表れる。
他己紹介が上手い人って、教養があるなぁ、と思っちゃうんだよね。

不安を減らすデザイン。

2019.9.11

初対面の人と仕事について話すとき、「不安を減らすこと」について話すことが多くなっている。
というのも、ぼくはデザインをするときに「不安を減らすデザイン」に一番気を使っている。
以前から「事業者はお客さんに買う理由を与えるが、お客さんは買わない理由を探している」と言っているが、これが、不安を減らすデザインのはじまりだ。
不安には色々な種類があるが、その中でも大きいのが「孤独」と「恥」だ。
人は損をしたくないが、安物買いの銭失いよりも、感情的なマイナスの方が損のトラウマは大きいダメージとなる。
買う理由を与えるよりも、こういった不安を減らした方が、お客さんは買いやすくなるのと、買った後の感情のダメージがなくなる。
もしも、製品やサービスが優れているのなら、感情のダメージがなければ、感情の働きは正の方向へ動く。
つまり、感情体験として優れたものになる。
そのためにも、まずは購買してもらう必要があるのだが、企業は「不安」と「不便」を履き違えてしまい、不便を減らして便利にしようとするが、不安は置き去りにする。
だから、多くの事業は不安を減らしていないので、どんなにアピールをしても売れない。
これは何も伝統工芸や地方ビジネスに限らず、すべてのサービスに言えることだ。
相手の不安を減らす、まずはここからはじまる。