壁打ちに必要な能力。
2019.8.26
ビジネスの現場で使われている「壁打ち」という単語が好きではないのだけれど、壁打ち相手として相談の仕事がちらほらある。
昨日のブログで「当事者になることは心配事を増やすことだ。」と書いたけれど、思えば、他人事と当事者を行き来することを仕事にしている。
人の相談を受けるとき、事業のことであれ、プライベートなことであれ、相談者の視点は自分のための視点しかない。
そこに他人からの視点を混ぜて、答えの選択肢を作る。
今の仕事の現場でチームワークが大事と言われているのは、この手のやり方が良しとされているからだ。
だが、このやり方の危険なところは、「聞こえのいい選択肢に飛び付きやすい」ということ。
長期的に見たら解決策になっていない選択肢でも、採択されやすいことだ。
これを回避するためには、「本当にそうだろうか」と否定的な疑問を持ちながら、他人視点を混ぜる必要がある。
大勢がいる中で発言するためには、自分を正当化しながら話しやすいものだ。
そうじゃないと、案が通りにくい。
案が通りにくいと何がダメかと言うと、案が通る方が貢献度を上げやすいから問題なのだ。
就職面接で「君は何ができる?」や「何で貢献できる?」という質問が度々繰り返されるように、現代人は自分の貢献度を承認させたがるように育てられる。
だから、話を戻すと、「選択肢になる」のも立派な貢献だ。
そして、自分という他人視点を正当化してしまう。
もう一つは、誰だって否定されるのが嫌だからだ。
そのために、当たり障りのない選択肢を挙げるようになる。
当たり障りのない選択肢というのは、聞こえがいいため、否定のしようがない選択肢となる。
チームで議論しようとすると、こういう人が集まり、「聞こえのいい選択肢」を発言しやすく、また、そのような選択肢を採択しやすい。
これを回避するためには、自己否定する訓練をする必要がある。
すると、「こういう場合には、こう」「そうじゃない場合には、こう」という選択肢がいくつか出せるようになる。
そして、この選択肢さえも自己否定し、「一気に解決できる案はないかな」と考えるようになる。
こうやって、先読みする能力が高まるから、心配事が増えるのだが、無駄に人数を集めて話し合うよりも、自己否定できる人の診察を受けるつもりで相談した方が、長期的に賢い選択肢を選びやすくなる。
ぼく自身も、相談をするときは、診察を受けるように相談をしている。
ビジネスの現場で使われている「壁打ち」という単語が好きではないのだけれど、壁打ち相手として相談の仕事がちらほらある。
昨日のブログで「当事者になることは心配事を増やすことだ。」と書いたけれど、思えば、他人事と当事者を行き来することを仕事にしている。
人の相談を受けるとき、事業のことであれ、プライベートなことであれ、相談者の視点は自分のための視点しかない。
そこに他人からの視点を混ぜて、答えの選択肢を作る。
今の仕事の現場でチームワークが大事と言われているのは、この手のやり方が良しとされているからだ。
だが、このやり方の危険なところは、「聞こえのいい選択肢に飛び付きやすい」ということ。
長期的に見たら解決策になっていない選択肢でも、採択されやすいことだ。
これを回避するためには、「本当にそうだろうか」と否定的な疑問を持ちながら、他人視点を混ぜる必要がある。
大勢がいる中で発言するためには、自分を正当化しながら話しやすいものだ。
そうじゃないと、案が通りにくい。
案が通りにくいと何がダメかと言うと、案が通る方が貢献度を上げやすいから問題なのだ。
就職面接で「君は何ができる?」や「何で貢献できる?」という質問が度々繰り返されるように、現代人は自分の貢献度を承認させたがるように育てられる。
だから、話を戻すと、「選択肢になる」のも立派な貢献だ。
そして、自分という他人視点を正当化してしまう。
もう一つは、誰だって否定されるのが嫌だからだ。
そのために、当たり障りのない選択肢を挙げるようになる。
当たり障りのない選択肢というのは、聞こえがいいため、否定のしようがない選択肢となる。
チームで議論しようとすると、こういう人が集まり、「聞こえのいい選択肢」を発言しやすく、また、そのような選択肢を採択しやすい。
これを回避するためには、自己否定する訓練をする必要がある。
すると、「こういう場合には、こう」「そうじゃない場合には、こう」という選択肢がいくつか出せるようになる。
そして、この選択肢さえも自己否定し、「一気に解決できる案はないかな」と考えるようになる。
こうやって、先読みする能力が高まるから、心配事が増えるのだが、無駄に人数を集めて話し合うよりも、自己否定できる人の診察を受けるつもりで相談した方が、長期的に賢い選択肢を選びやすくなる。
ぼく自身も、相談をするときは、診察を受けるように相談をしている。