Archive for 2019.4

意識のループは疲れるね。

2019.4.25

やばい、何も思い浮かばない。
そんな状態を正直に書こうと思った。
いま、歯列矯正をしているが、先週の金曜日に下の歯の装置をつけたのだが、水曜日の昼にワイヤーがバチんと鳴ったと思ったら、ワイヤーがたわんだ。
たわんだワイヤーは下唇を押し出すように前に出て、昼以降、この感覚で頭がいっぱいになっている。
完全に仕事が手につかない。
集中力が持たないどころではなく、意識が下唇に持っていかれる。
この先を書こうと思っても、意識が下唇に持っていかれることで、意識がループする。
だから、今日はここまで。
こういうこともあるっていう、記録になっちまったな。

仕事Tシャツを探して。

2019.4.24

もう長いこと一生物のTシャツを探し求めている。
「一生物のパターン」ってことだ。
作業もできるし、打合せに着ていっても、だらしなくないTシャツだ。
スーツやライダースはオーダーメイドで作れたけれど、Tシャツはまだそういったサービスと出会えていない。
何度か出会えそうになったけれど、生地の感じや、やりとりの進まなさで、そのすべてが頓挫している。
今回は、昨年話題になったネットショップのパターンオーダーを試してみた。
採寸ができるスーツを着て、アプリに登録して、注文をする。
結論から言うと、痒い所に手が届かない商品だった。
いや、正確には「痒い所」に気づいてしまうというところだ。
ぼくの場合は、直して欲しい箇所が直せないことはわかっていたから、「痒い所に手が届かない」で合っているんだけど、そうじゃない人は、気づかされてしまう感じがした。
サイズを調整してオーダーできるが、すべての箇所の調整ができないために、「ここがこうだったら最高なのに」と、感じてしまうのだ。
これは店頭でオーダーメイドをしたことがある人なら、なおさら感じてしまうかもしれない。
その店のパターンを熟知したスタッフが採寸をしてくれて、打合せをしてくれる心地よさを知っていると、どうしても、「あぁ」というため息が出てしまう。
海外では、いろいろ調整できるパターンオーダーが、Tシャツでも登場してきているようだが、価格帯をみても、ぼくが想像していた価格だった。
日本でこういうことができそうな工場を探そうとすると、値段が倍近くに膨れ上がる。
けっこう、難航している。

理由。

2019.4.23

生きる理由を問われたら、「ぼくみたいな人でも生きられることを見せられるから」としか言えないような気がしている。
ぼくは大した人間じゃない。
不器用で、短気で、忘れっぽくて、面倒臭がりで、飽き性で、挙げ句の果てには持病持ちだ。
四六時中、不安を覚える。
仕事がなくなったらどうしようもあるが、依頼者の会社に悪いことが起きたらどうしようっていう不安だ。
どうしよう、どうしようと不安になって、「どうするか」と対処をあれこれ考えている。
四六時中不安になるから、毎日働いている。
ぼくの態度が不遜のように見えるのも、いつも「どうするか」を考えた後に、人と会っているからそう見えるだけだ。
ぼくが何でもできるように見えるのも、練習を毎日しているからだ。
そうまでしても、持病持ちというのは、それだけでハンディキャップだ。
障害者でも貧困国の人でもないから、弱音や愚痴を吐けば「もっと大変な人がいる」と言われる。
屈強な身体を持っている人にも、勝てない。
こういう板挟みを常に経験しながら、ぼくは育った。
ぼくが笑っていられるのは、たまたま運が良かっただけだ。
でも、運が良かったなりに、同じ人たちに対して、ちょっとは生きる参考になれたらと思って、生きている。
こんな風に生きているが、「参考にならなくてもいいよね」とも思っている。
いろんな人を参考にすればいいし、参考になんてしなくてもいいし、押し付けるものじゃないよな、と思っている。
生きる理由なんて、その程度のものなんだよね。
悲観的な気持ちじゃなくてね。
むしろ、楽観的と思ってもらえた方が、「よくわかっているね」と言いたくなる。

抹茶味ってすごい。

2019.4.22

「抹茶味ってすごいなぁ」と今更ながらに感心しています。
たとえば、「プリン味」とか「チーズケーキ味」なんかもありますが、「だったらプリンを食べるよ」と思っちゃうんですよね。
「アイスの食感で、プリンの味を食べたいとき」を除いて。
 
だいたい、「〇〇味」になっているものの価格って、コンビニ菓子だと思うのですが、その価格帯で食べられる「プリン味」と「本物のプリン」だったら、先述の「アイスの食感で〜」というように、味じゃないところを求めています。
だから、「プリン味のアイス」に「最高においしい本物のプリン」の味を求めると、がっかりするんです。
これは、ぼく以外もそうじゃないのかなぁと、勝手に予想しています。
 
だから、逆に、「抹茶味」ってすごいなぁ、と感心しちゃうんです。
抹茶味って、味を求めていますよね。
世の中で一番おいしい味を求めているのではなくて、抹茶味を求めていますよね。
本物の抹茶を飲んだことがない人も含めて。
 
本物の抹茶を再現したら、苦いだけのお菓子になってしまうから、「偽物の抹茶の味」を、作る方も食べる方も求めています。
これって「消費におけるすごい関係性だなぁ」と思うんですよね。
完全な共犯関係を結んでいますよね。
偽物の味を求めて、作る方はいろいろ作って、買う方もいろいろ買って、「抹茶味」は市民権を得ています。
抹茶味の気持ちになったら、複雑な心境なのか、ほくそ笑んでいるのか、無関心なのかは分かりません。
けれど、購買における共犯関係というのは、本来の関係性だと思うし、サービス業においても、同じなんですよね。

立ち食いについて。パート2。

2019.4.21

昨日の投稿から「立ち食い」について、「そういえば、立ち食いのはじまりって屋台じゃなかったっけ」と思った。
ネットで調べてみたら、やはり、江戸時代の屋台がはじまりで、天ぷらや寿司もあったと。
「そうそう、寿司の屋台が江戸にほにゃらら…」と曖昧な記憶を持っていたのだった。
大火と呼ばれる大きな火事の復興で、屋台は賑わったと。
復興の仕事の合間に、つるっと食べる感じだったのだろうか。
休日という概念がなかった時代だ。
一日の中に「休む」っていう感覚はあったのだろうか。
こうやって考えてみると、海外の、特に欧米人と比べて、日本人の食事の時間が短いだとか、会話がないと言われるのも分かる気がする。
休んでなんかいらんねー、ということだ。
現代の昼休みも、食事の時間ってだけで、休んではいなかったりするもんね。
特に意味はないんだけどさ、良くも悪くも、これも日本人のルーツなんだよな。