理由。

2019.4.23日々のこと

生きる理由を問われたら、「ぼくみたいな人でも生きられることを見せられるから」としか言えないような気がしている。
ぼくは大した人間じゃない。
不器用で、短気で、忘れっぽくて、面倒臭がりで、飽き性で、挙げ句の果てには持病持ちだ。
四六時中、不安を覚える。
仕事がなくなったらどうしようもあるが、依頼者の会社に悪いことが起きたらどうしようっていう不安だ。
どうしよう、どうしようと不安になって、「どうするか」と対処をあれこれ考えている。
四六時中不安になるから、毎日働いている。
ぼくの態度が不遜のように見えるのも、いつも「どうするか」を考えた後に、人と会っているからそう見えるだけだ。
ぼくが何でもできるように見えるのも、練習を毎日しているからだ。
そうまでしても、持病持ちというのは、それだけでハンディキャップだ。
障害者でも貧困国の人でもないから、弱音や愚痴を吐けば「もっと大変な人がいる」と言われる。
屈強な身体を持っている人にも、勝てない。
こういう板挟みを常に経験しながら、ぼくは育った。
ぼくが笑っていられるのは、たまたま運が良かっただけだ。
でも、運が良かったなりに、同じ人たちに対して、ちょっとは生きる参考になれたらと思って、生きている。
こんな風に生きているが、「参考にならなくてもいいよね」とも思っている。
いろんな人を参考にすればいいし、参考になんてしなくてもいいし、押し付けるものじゃないよな、と思っている。
生きる理由なんて、その程度のものなんだよね。
悲観的な気持ちじゃなくてね。
むしろ、楽観的と思ってもらえた方が、「よくわかっているね」と言いたくなる。

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