Archive for 2019.1

そのまま進むはずもないが、うまく納まる。

2019.1.11

高校の頃に思っていたことを、ふと思い出しました。
「子どもは欲しいけれど、配偶者はいらない」
そんなことを口にしていました。
結果はどうでしょう。
「子どもはいないのに、配偶者はいます」
自分が思っていた人生など、そのまま進むはずもなく、それでもうまいところに納まるもんだなあと思った次第です。
 
まさか、自分がデザイン業界にいるなんてことも、考えもしませんでした。
大学生の頃やアーティストだった頃、デザイナーが嫌いでしたから。
自分の描いていたキャリアなど、そのまま進むはずもなく、それでもうまいこと繋がるもんだなあと思った次第です。
 
どう人生を重ねたとしても、どれだけ変化したとしても、うまい具合になっているのは、その時その時に、自分の将来像や大事にしていることを、明確にしてきたからかもしれません。
いまの世の中は「これをしたから、うまくいった」という因果関係をお披露目したり、「これをすると、こうなって、うまくいきます」とプレゼンするのが良しとされていますが、個人の人生も、法人の人生もそんなに計算通り進みませんからね。
 
ない頭を振り絞って考えて、おもしろいと感じた方に素直になっていく、こういうものがいい人生な気がするんです。

お金と会計の違い。

2019.1.10

「会計処理が嫌いです」と思ったところで、すぐに「得意じゃなくてもいいけど、嫌いにならなくてもいいだろう」と思い直しました。
嫌いな理由を考えると、お金というのはクリエイティブを下げる言い訳の最たるものだからです。
予算が足りない、なんて一番言いやすいですよね。
 
予算を持っていないのに志が高い人は、「社会貢献」という言葉で、ぼくらを使い倒そうとします。
支払い能力があるかどうかじゃなくて、支払う気があるかどうかなんです。
支払う気があるのに、予算が足りなければ、どうにかするものです。
先日、雑誌を読んでいて、とある宿泊施設をオープンした方も「開業のために四億円を借金した」と言っていました。
金額は置いといて、事業というのはこういう部分があります。
少なくとも、社会貢献じゃない事業を探す方が苦労しますからね。
 
ちょっと話が脱線しましたが、お金の計算をしていると、言い訳以上に、クリエイティブの脳みそが小さくなっていく感じがします。
これは玄人の発想が大したものでなくなるのと近いと思います。
もうね、先に限界を決めちゃうんですよね。
 
ただ、お金が嫌いかというと、そんなことは全然なくて、むしろ好きです。
共通言語として、これほど便利なものもないと思っています。
為替も含めると、外国語が話せないぼくでも海外の人とやりとりできるんですから。
少なくとも、海外旅行は楽になっていますよね。
 
つまり、「お金」は好きなのに、「会計」は嫌いだということ。
そして、「得意じゃなくてもいいけど、嫌いにならなくてもいいだろう」ということは、この部分で人を雇うというのは、ありなんだな。
もしかしたら、はじめての雇用は経理かもしれないです。

信任できる人。

2019.1.9

特徴的なフレーズに心を動かされる時があります。
先日、歯医者に行った時の話です。
 
歯の治療をしたことがある人なら、なんとなく想像できるでしょうが、歯型をとるわけです。
通常なのか知らないけれど、歯型をとるときに今までぼくが受けてきたのは、金属でできた大きめのマウスピースのようなものに溶剤を詰めたものを口の中に入れられて数分待まちます。
ただただ流れ作業のように、当たり前のごとく、口の中にムズッと入れられます。
その時にだいたい、「冷たいものが入ります」と言われたり、作業的なことを促されるだけです。
これが、「今まで」ぼくが受けてきた歯型とりです。
 
それが、今回は違いました。
やることは変わらないのですが、歯科助手の方から投げかけられる言葉が違いました。
 
「そばにおります」
 
一瞬、聞き間違いかとも思ったのですが、何度か歯型を取るうちに聞き間違いじゃないことを確信しました。
歯科治療でぼくら患者は、仰向けで口の中に色々入れられて、いわば無防備の状態になります。
口を水でゆすげば、いつでたのか分からない血が出ていたり、自分にも自分の周りでも何が起きているのか、よく分からない状態です。
 
歯科治療というのは、そういうものだと思っていましたが、今回、違うことに気がつきました。
その方はそれまでも、真面目に仕事をする言葉選びをしていると思っていたのですが、ぼくら患者の不安を減らし、安心感を与えようとしてくれているのだと感じました。
視界から離れるときには「後ろにいます」と言ってくれたり、ちゃんと状況を説明してくれる安心感があります。
 
たったひとことと言えばそうなのですが、その人を信じて、この身を任せようと思える「信任」を年始早々に体験しました。

余白と準備。

2019.1.8

これが載るのは8日なので、サンポノは仕事はじめの日です。
ぼくの場合は、昨日までが正月休みでした。
ただ、休みだからと言って、電化製品のように電源オフはしていないんです。
スリープモードでもないです。
 
ふとしたときに依頼人のことを考えますし、彼らの事業がうまくいくようにと、初詣の願い事に入れてます。
それに、仕事はじめのスタートを切る前に、準備して進めていることもありますからね。
だから、家人には「休んでない」と言われます。
つまり、ぼくにとっての正月休みというのは、「連絡しません期間」です。
これが大事。
 
コミュニケーションをとるということは、その分、思考を働かせてしまうので、他の思考をするための余白がなくなります。
いつも金曜日の夕方以降は打合せを入れないようにしているのも、土日の思考の余白をつくるためです。
この余白を絶対につくる期間が、ぼくにとっての正月休みです。
 
そんでー、つくりましたよー、よはーく。
そんでー、はじまりましたよー、しごーとのれんらーく。
「余白と準備」
これがぼくの正月休みでした。
今日から仕事はじめです。
今年もよろしくお願いいたします。

思い出。

2019.1.7

「そうか、泣きたかったのか」
 
久し振りに小説を読んでいて、気がついた。
 
昨年の夏に父が亡くなったとき、ぼくは泣けなかった。
一月に癌だと分かってからも一度しか見舞いに行かず、二度目の見舞いは、亡くなる前日だった。
仕事人間だった父は、朝早く起きて、職場である学校まで自転車を毎日漕いでいた。
隣町なんてものじゃない、普通だったら車で行くような距離を、毎日漕いで通う人だった。
勤労だったけど勤勉ではないし、酒癖は悪い人。
 
重松清さんの短編集『また次の春へ』を読み始めて、自分は父と「思い出のアイテム」を作らなかったことに気がついた。
祖母とは、あんこや脂の浮いている煮物、毛糸で編んだ靴下やチョッキなど、いろいろある。
しいて言えば、キリンラガーとキャビンマイルドが、父のアイテムだった。
けれど、大好きなビールもタバコも、時代によって変えていたため、先の銘柄も「ぼくが知っている時代の父」というだけだ。
 
母とはどうだろうか。
好きな食べ物は知っているが、あえてこれを作ったり、食べ比べるなどのようなこだわりはしない。
つかみどころのない人、と言った方が近い気がしている。
 
アイテムとして両親から思い出をもらったというよりかは、勤勉でない部分やこだわらない部分を受け継いだような気がしている。
思い出というのは、いいもわるいも悲しみが混ざる。
その後で、だんだん美化されたら、いい思い出なんじゃないだろうか。