思い出。

2019.1.7日々のこと

「そうか、泣きたかったのか」
 
久し振りに小説を読んでいて、気がついた。
 
昨年の夏に父が亡くなったとき、ぼくは泣けなかった。
一月に癌だと分かってからも一度しか見舞いに行かず、二度目の見舞いは、亡くなる前日だった。
仕事人間だった父は、朝早く起きて、職場である学校まで自転車を毎日漕いでいた。
隣町なんてものじゃない、普通だったら車で行くような距離を、毎日漕いで通う人だった。
勤労だったけど勤勉ではないし、酒癖は悪い人。
 
重松清さんの短編集『また次の春へ』を読み始めて、自分は父と「思い出のアイテム」を作らなかったことに気がついた。
祖母とは、あんこや脂の浮いている煮物、毛糸で編んだ靴下やチョッキなど、いろいろある。
しいて言えば、キリンラガーとキャビンマイルドが、父のアイテムだった。
けれど、大好きなビールもタバコも、時代によって変えていたため、先の銘柄も「ぼくが知っている時代の父」というだけだ。
 
母とはどうだろうか。
好きな食べ物は知っているが、あえてこれを作ったり、食べ比べるなどのようなこだわりはしない。
つかみどころのない人、と言った方が近い気がしている。
 
アイテムとして両親から思い出をもらったというよりかは、勤勉でない部分やこだわらない部分を受け継いだような気がしている。
思い出というのは、いいもわるいも悲しみが混ざる。
その後で、だんだん美化されたら、いい思い出なんじゃないだろうか。

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