Archive for 2019.1

満足できて、のびのび暮らす。

2019.1.21

昨日の内容を書き終えた後、「当たり前に生きる」っていうのはどういうことだろうか、と考えていてわかりました。
 
のびのび生きること。
 
自分の行いに満足できて、のびのび暮らすこと。
こういうことが足りていないし、みんなとワイワイできない人が感じるのは、社会とのズレだ。
時代と違う生き方をすることに覚悟が求められるのなら、そんな覚悟、クソくらえだ。
 
「こうすれば、うまくいく」という話がいまだに多く、それは人との付き合い方のようなところでも広まっている。
けれど、それをやったとしても、望んだ未来が手に入るかと聞かれたら、そんなこともないのは、誰でも承知だ。
それでも、やり方に飛びついてしまってるというのは、いまだに閉塞感の中に人々は暮らしているんじゃないだろうか。
景気が上向きになったとしても、息苦しさを感じている人はたくさんいるだろう。
 
自分のことを省みても「自分は違う」と言い切れる自信はない。
自己肯定感の低さではなく、満足して、のびのび暮らすってことが少なくなってきているんじゃないだろうか。
俺の場合、いいものが作れたら、死んでもよかったはずだ。
俺も、もっと、感覚を大事にしなきゃな。

相反するもの。

2019.1.20

夢の中で白い部屋を見た。
目覚めて寝たらまた見た。
今度は砂漠に青い空の中に、白い部屋につながる、ドアのない入り口があった。
久し振りに、心の底から心地よさを感じた。
 
先日から続いている喉の痛み。
ようやく医者に行き、処方箋を見て気がついた。
三カ月に一度、喉が腫れている。
疲れの限界が出ているのかもしれない。
一人の時間や自然の中にいる時間で、ぼくは回復するようなので、今年はこの時間を増やそうと、改めて思った。
なんか、いつも思っているけれど。
これを書いた後、昼寝をしていたら、また夢を見た。
さっきとは違う夢だったけれど、ひとつ気づいたのは、調子が悪い時には穏やかな夢を見る。
相反するものなのだろうか。
 
自分のことを考えると、マイナスから戻っていくような気がしている。
歯の矯正治療もそうだろう。
口の中の疲労感からはじめて、まだ装置もつけていない。
これが終わったらどんなにいい人生が待っているだろう、とも思わない。
ただ、口からくる疲れがなくなればいいと思う。
 
人にはいくつかのタイプがあり、ぼくは一人で思索をしたり、試行錯誤をしていくといいタイプらしい。
そういう人はたくさんいると思うが、今の時代に求められている人間像ではないだろう。
はじめから苦行を味わうことを約束されていたようなものだ。
ぼくよりも器用にできない人たちが、つぶれていくのも見てきた。
どうしたら、そういう人たちが「当たり前」に生きられるようになるのだろうか。
絶対に負けない。

見方を変える。

2019.1.19

昨日の話じゃないけれど、あっしも喉が痛くなりました。
昨夜、喉が痛いなあと思いながら布団に入って、考えごとをしていました。
 
思考の老廃物は、どうやって排出されるのだろうか?
 
飲食の老廃物はうんちやおしっこになります。
体の細胞が菌と戦った後の老廃物も、鼻水や喉の吹き出物のような形で出てきます。
この過剰反応がアレルギーだそうで。
 
そこで、入ってきたもので体がいらないと判断したものの排出は見てとれますが、目に見えない情報や思考の老廃物はどうやって排出しているのだろうかと、考えていました。
 
こうやってものを書いていることもひとつでしょう。
SNSもそうだよな。
炎上なんてこれをよく表している。
酔っ払って管を巻いているのも、そうでしょう。
愚痴を言うのは、わかりやすいかもな。
愚痴は瘴気を帯びるともいいますし。
 
ぼくが腎臓の持病を持っているため意識が向いてしまうのですが、誰でも老廃物を排泄できないと体調が悪くなったり、死に至ったりします。
これと同じように、情報を手に入れるだけだったり、考え事だけして、外に出さないと悶々とするのが人間です。
 
そう考えていると、ぼくらは常に老廃物を排出していると言えます。
綺麗事が、聞く方にとっては好まれないのもわかります。
アウトプットと格好良く言っても、老廃物ってことだ。
カッコイイことを言う必要なんて、ないんだよ。

ヒポクラテスの誓い。

2019.1.18

最近はインフルエンザも流行っているようです。
ぼくは去年はじめてかかって、熱が下がるまでの2〜3日間は寝込んでいましたから、いまかかっている方は、早く治ること祈っています。
まだ医者に診てもらう前、「熱があって、喉が痛い状態」のときに、病院に行くでしょう。
(行かない人もいるけれど)
 
そのときに、「熱があって、喉が痛いんです」と言ったり、「風邪っぽいんです」と相談すると思います。
そうしたら、医者はこの原因を調べます。
インフルエンザなどのウイルスなのか、それとも溶連菌などの菌なのか、もっと違う要因の可能性があるのかを判断して、治療方法を提案します。
原因がウイルスのときには、抗生物質は処方されずに、ウイルスに対する診断や処方が提案されるでしょう。
 
いまぼくは、わざわざ「提案」という言葉を使っています。
患者が「風邪(ウイルス)っぽい」と言ったからという理由で、ウイルスに対する処方をする医者はいないと思います。
少なくとも、ぼくを診てくれる医者にはいないです。
 
これを「職業倫理」と言います。
もしくは「ヒポクラテスの誓い」と知識人っぽく言っちゃいます。
あえて「提案」という言葉を使ったのも、医者に限らず、専門家の職業倫理が問われるときって、「提案」するかどうかだと思うんですよね。
「言われたからやりました」じゃ、機械で十分だし、「お客が望むことを叶えるのが仕事」だと思っていると、倫理観は壊れちゃいます。
聞き分けのない依頼人であれば、依頼を受けないのもありですけどねー。

ボロ市というおもしろさ。

2019.1.16

打合せ帰り、自宅の近所で「ボロ市」という商店街の祭りをやっていることに気が付いて行ってみました。
以前からチラシで知っていましたが、すごいネーミングです。
フリーマーケットではなく、ボロ市。
闇市を想像しちゃいました。
いざ歩いてみると、商店街を抜けた車道脇の単なる歩道にも出店があり、結局すべてを歩き切ることはできませんでした。
ものすごい距離に、人、ひと、ヒト。
混雑によって、距離が長く感じるのかもしれませんが、ただね、売っているものは縁日やフリーマーケットと変わらないですし、店番のおっちゃんは昼寝しているしで、ある種のカオスです。
 
フリーマーケットと違うのは、店番のおっちゃん具合で、ボロ市の名にふさわしいあやしさを帯びてくるところ。
当たりハズレだったら、ハズレの方が多いだろうと思えるあやしさ。
でも、だからおもしろいんだなぁ。
 
先日、100円ショップのダイソー創業者の矢野博丈さんが、優れた事業者を表彰するアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーの日本代表に選出されましたが、100円ショップのおもしろさと似たものを、ボロ市にも感じました。
100円ショップが便利グッズしか売らなかったら、つまんないです。
便利グッズに加えて、変なもの、うそーんと言えるものも売っているからおもしろい。
そういうものでしょう。
便利だけだったら、つまらない。
来年は、ボロ市をもっと満喫してみようっと。