Archive for 2019.1

ちゃんと準備されている。

2019.1.26

昨年末に「なんかつまらない大人になっていないか、俺よ」と思い、これと同時に、ここ数年、記憶している限りで小説を読んでいないことに気がつきました。
それから年越しあたりから小説を読み始めて、いまは三冊目。
一冊目は、重松清さんの『また次の春へ』。
二冊目は、恩田陸さんの『ブラザー・サン シスター・ムーン』。
そしていま読んでいる三冊目が、梨木香歩さんの『雪と珊瑚と』。
それぞれにハッとするところがありましたが、今回は『雪と珊瑚と』についてです。
 
まだ読んでいる途中なんですが、「甘えるのが下手な人」が「居場所を与える人」になって、取り巻く人たちを含めてしあわせになって欲しいと、願える作品です。
甘えるのが下手な人、それはぼくも同じだなぁと思ったのです。
お願いや依頼はできるけれど、甘えるのって、なかなか難しいものです。
「甘え上手」になるためには、「甘え切る」ことが肝です。
これはぼくの妻を見ていて、感心します。
甘えるのが上手いんです、彼女は。
 
物語に話を戻すと、主人公である女性は、甘えるのが下手です。
それが、物語が進むにつれて、自分のやるべきことが見つかっていく中で、周りにいる人たちに、心から頼るようになっていきます(少なくとも、ぼくの読んでいる部分までは)。
つまり、甘えられる人に育っていきます。
 
自分のやるべきことが見つかるタイミングも、そのタイミングであったかのように、必要な要素たちも、目の前に現れて動き出すタイミングを待ちわびていたかのように次々と現れてきます。
穿った見方をすれば、「できすぎている」と見るでしょうが、いや、物事が動き出すタイミングって、何もないところから急に起きることはないのです。
急に動き出したように見えることでも、必ずそれまでの準備のような、冬眠していたけれどちゃんと存在しているのです。
だから、動くときは加速度的に感じるのかもしれません。
応援したくなる、やさしい気持ちになるし、人の心を感じさせる作品です。

習慣化できたのかなぁ。

2019.1.25

連日続いていた喉の痛みもようやくなくなって、たんが絡むだけになりました。
たんが絡んでいるときの咳って、聞いている方はあまり気持ちよくないことはわかっているので、心の中で「ごめんねー」と言っています(たまにだけど)。
 
習慣化できるだろうかと思っていた、掃除と風呂上がりのストレッチ。
どうやら習慣になってきたようです。
病気や怪我をしているとできなくなることって、習慣が止まるときでもありますが、掃除とストレッチは続きました。
昨日の夜と、今朝だけですが。
 
明確な理由は覚えていないけれど、走るのをやめたのも、走った数日後にヘルペスが出てきたからだったしね。
あれは一度で懲りずに、何度か試したな。
それから負荷をかける運動はやめました。
 
昔、厄年と体の変化の関係性をどこかで聞いたとき、「体に変化が起きやすい年代が厄年になった」という真偽は定かじゃないことを、誰かが言っていた気がするが、今になって考えてみたら、あながち嘘じゃないかもな、と思っています。
 
仕事っていうのは持久戦。
どれだけ長く、健康に、戦えるか(遊べるか)。
整体の先生も言っていたけれど、食べて、風呂入って、よく寝る。
これが一番だな。

頑固に代わる言葉。

2019.1.24

占いの話になって、「キラーワードってあるよな」と話した。
この言葉を使えば、相手がどう反応しようが、その言葉の包囲網から抜け出せなくなる言葉だ。
 
こういった言葉のひとつに「頑固」がある。
頑固と言われた方は、その後、何を言っても反論となり、「やっぱり頑固じゃん」となる。
だから、頑固と言われてしまった人は、何を言っても無駄なため、言われるがままに耐え忍ぶことになる。
そのせいか、「頑固」とセットになるのが「我慢強い」とか「忍耐力がある」だ。
 
言葉を商売にしていなければ、どう相手を傷つけようが知ったこっちゃないのかもしれないが、強い言葉を使わずとも、言い換えられることを知っておいた方がいいとは思う。
頑固であれば、「芯が強い」「自分の世界を持っている」とか。
「この時代には珍しく、芯が強い」と言えば、相手は気分がよくなるかもしれない。
続けて「その代わり、自分も傷つくことが多いと思います」と相手に寄り添う言葉を使えば、耳を傾けやすくなるだろう。
 
ぼくも言葉を使う商売をしているが、少なくとも、強い言葉はなるべく使わないように意識している。
相手が逃げられない言葉を使うのって、ちょっと卑怯な気もするんですよね。
こんな話をしたのは、占いを受けると、まぁよく「頑固」か「芯が強い」のどちらかを言われるんですよね。

いいと思ったものだけ。

2019.1.23

「ほんとうにいいと思ったものだけを売った方がいい」
 
ずうっと思っていることです。
妻が新しい化粧品を買ってきて、化粧品のことというよりかは、販売員のことをしきりに褒めていた流れで出た言葉です。
この販売員も接客を受けている妻曰く、「自社のブランドに誇りを持っているよう」に見えるようです。
こういうのほんとうに大事です。
誇りまで行かなくても、好きであることは大事です。
 
昔、営業成績のいい人から優れた営業のことを聞きました。
嘘でもいいから売る人、だそうです。
これを聞いた若いぼくは、「ま、会社なんだからそりゃそうか」とも思いましたが、デザインとか広告だとかいう仕事をしていて、とてもじゃないけれど、それで仕事をしたくないと思うようになりました。
 
「自分だったら買うものを作らなきゃダメだ」
 
一貫してこの姿勢でやっています。
ラケットをやっていた頃も、割引などせずに、一般のお客さんと同じようにお店で買っていました。
ブランドを作るときも同じです。
自分だったらファンになるか、そこに焦点を当てます。
手放しでファンになる、浮かれているときにファンになる、弱っているときでもファンになる。
色々な自分がいて、そのときそのときでファンになるように、ぼくはつくります。
 
ぼくらの仕事は得てして、「うまいこと言って売りつける商売」とも思われます。
そういう仕事をしている人も多いですし、ブランディングなんて言っている事務所の多くもそうでしょう。
ほんとうに売ろうと思ったら、流行りの言葉じゃなくて、ありふれた言葉を使うものだ。
いいと思ったものだけを、伝わるように伝える。
これが、ぼくらの仕事です。

アレルギーと攻撃性。

2019.1.22

先週の木曜から続いている喉の痛み。
月曜になっても痛みが続き、鼻水もでてきました。
 
もう、こうなってくるとひとつひとつのことにイライラしてきます。
アレルギーとは、本来防がなくてもいいことまで過剰防衛するようなものです。
防衛とは守ることだけど、攻めてきたものたちを攻撃して追い返しています。
鼻水とかで。
ちゃんと攻撃しているんですよね。
攻めるつもりじゃないものたちへも攻撃するようなものだよなぁ、アレルギーって。
観光のつもりで来ているのに、「おまえ!でてけ!」って入国管理の人に叩かれるようなものかなぁ。
そう思うと、「俺の体よ、もっと広い心を持ってくれ」となだめたくなります。
 
逆に、アレルギーが発症しているときは、ぼくの方もイライラしてくるのです。
入国管理の人の攻撃性が、組織のすべての人に攻撃性がうつっていくような。
 
そうすると、攻撃性がまた攻撃性を呼ぶことになるから、こじらせちゃうんです。
困ったねー、と言いながら、なだめるしかないのかなぁ。