Archive for 2019

雑感。

2019.8.28

どうやら自分は世の中でいいと言われる事の逆をやってしまうらしい。
「早口で淀みなく話す方が賢く見られる」らしいが、ぼくは意識的に「間を置きながら、ゆっくり話す」ように変えた。
たしか、6年ぐらい前に変えたんじゃないだろうか。
相手に考える時間を与えながら、話すようにしている。
自分の能力は自分がよく分かっているから、相手に時間を与える事の方が大切。
 

今で言うと、チームワークを重視し、議論をしながら進めるのが理想の働き方なんだろうが、ぼくはこれをしない。
それぞれの分野で得意なことがある人を、信じて任せるようにしている。
得意な人がいなくて、ぼくがやった方が早く、確実にできることを自分でやる。
こういうやり方だと、一人事務所で外で人を育てるのも、経営者になって人を雇うのも、大して変わらない。
 

10年振りぐらいに、Adobe Premiere Proという動画編集ソフトを触っている。
アプリケーションの進化って色々あるけれど、ひとつは「乱雑に扱える」があるだろう。
素材をドラッグアンドドロップで済ませられるのも、乱雑に扱うことのひとつだ。
ソフトの進化に付き物なのが、ネット検索で答えが手に入りやすくなっていること。
「何かを扱うスキル」というのは、随分と楽になったもんだなぁ。
ということは、デジタルにしろ、アナログにしろ、「何かを扱うスキル」は飯のタネにならないってことさ。
 

「景勝地への道路を壊して駐車場を移動させる」
ここ数年考えていること。
調べていると、世界の観光地ではスタンダードになっている。
予約制、高い入場料、徒歩。
それでも行く価値があるから、行きたい人が集まり、地域住民も商売ができて、生活ができる。
困る人がいるなら例外を作ればいい。
受け入れ側が柔軟な頭を持たないと、何も進まない。

更新を止めない理由?

2019.8.27

このブログの更新を止めようかと思うときは、度々ある。
そうやって思う理由は決まって、「このブログから仕事につながったことって全然ない」と考えるときだ。
仕事の大半は紹介で始まり、過去作で安心感を得てもらえるので、仕事になってもブログの話など出てこない。
そうやって、このブログを仕事に結びつけようと考えると、ひどく打率の低いバッターだ。
毎日、こうやって書くのにも大体30分は必要だし、出張で書けなさそうなときは、前もって書いておくのだから、かなりの手間をかけている。
 
考えがそこまで至ると、いつも思うことがある。
「打率が低いことも、必要じゃねーか?」
いつも言っていることだが、10割バッターなど存在するはずもなく、7割の失敗で安打製造機と呼ばれるのだ。
ビジネスで考えたら、打率の低いことなど、当たり前にある訳だ。
もっと言えば、昔いた「何をするでもないオッサン」が会社にはいた。
普段は何もしないのに、ちょっと勉強になることを言ったり、どんなに優れた若手でも対処できない揉め事を解決してしまう、そんなオッサンがいたものだ。
 
このブログがそんなオッサンになれるかはわからないが、今の社会では見かけなくなってしまったけれど、また必要になるだろうと思える。
コンプライアンスにがんじがらめになってしまった社会が排除してしまったもの。
だから、その逆をやるっていうのは、この先の未来にとってもいいことだと思うんだよね。
 
こうやって考えちゃうから、結局、今日もブログを書いてしまう。
ま、止めようと思えば、いつでも止められる自由はなくさないで、書けばいいんだよね。

壁打ちに必要な能力。

2019.8.26

ビジネスの現場で使われている「壁打ち」という単語が好きではないのだけれど、壁打ち相手として相談の仕事がちらほらある。
昨日のブログで「当事者になることは心配事を増やすことだ。」と書いたけれど、思えば、他人事と当事者を行き来することを仕事にしている。
人の相談を受けるとき、事業のことであれ、プライベートなことであれ、相談者の視点は自分のための視点しかない。
そこに他人からの視点を混ぜて、答えの選択肢を作る。
 
今の仕事の現場でチームワークが大事と言われているのは、この手のやり方が良しとされているからだ。
だが、このやり方の危険なところは、「聞こえのいい選択肢に飛び付きやすい」ということ。
長期的に見たら解決策になっていない選択肢でも、採択されやすいことだ。
これを回避するためには、「本当にそうだろうか」と否定的な疑問を持ちながら、他人視点を混ぜる必要がある。
大勢がいる中で発言するためには、自分を正当化しながら話しやすいものだ。
そうじゃないと、案が通りにくい。
案が通りにくいと何がダメかと言うと、案が通る方が貢献度を上げやすいから問題なのだ。
就職面接で「君は何ができる?」や「何で貢献できる?」という質問が度々繰り返されるように、現代人は自分の貢献度を承認させたがるように育てられる。
だから、話を戻すと、「選択肢になる」のも立派な貢献だ。
そして、自分という他人視点を正当化してしまう。
 
もう一つは、誰だって否定されるのが嫌だからだ。
そのために、当たり障りのない選択肢を挙げるようになる。
当たり障りのない選択肢というのは、聞こえがいいため、否定のしようがない選択肢となる。
チームで議論しようとすると、こういう人が集まり、「聞こえのいい選択肢」を発言しやすく、また、そのような選択肢を採択しやすい。
 
これを回避するためには、自己否定する訓練をする必要がある。
すると、「こういう場合には、こう」「そうじゃない場合には、こう」という選択肢がいくつか出せるようになる。
そして、この選択肢さえも自己否定し、「一気に解決できる案はないかな」と考えるようになる。
こうやって、先読みする能力が高まるから、心配事が増えるのだが、無駄に人数を集めて話し合うよりも、自己否定できる人の診察を受けるつもりで相談した方が、長期的に賢い選択肢を選びやすくなる。
ぼく自身も、相談をするときは、診察を受けるように相談をしている。

いろいろ。

2019.8.25

インバウンドによるホテル業界の収益が例年あがっている。
その中身を見ると、リゾートホテルやビジネスホテルの収益が上がっているのは見受けられるが、ゲストハウスや民宿の収益が上がっているというのは見当たらない。
東京の街を歩いていても、ビジネスホテルから出てくる海外の人に、白人系が増えてきている。
五つ星ホテルが少ない日本なら、ビジネスホテルはちょうどいいのかもしれない。
民宿に泊まったときの思い出は、不満か、宿の人に送ってもらった思い出か、取るに足らない記憶ぐらいだ。
正直に言って、ウブドで泊まったホテルも、めちゃくちゃ設えが良かったわけではない。
それでも、もう一度、泊まりたくなる接客だった。
バリでホスピタリティを体験したんだ。
 

日本の人手不足倒産の根っこにあるのは、「優れた人材を安く雇いたい」という経営者のわがままだ。高い給料の会社に従業員が流れるのは当たり前なのだから、安く雇おうと思えば、使えない人材が集まる。最低賃金って、最低限の生活で我慢させるわけだから、これを超える魅力で人を集めるって、荒唐無稽な話だ。まずは経営者が最低限の生活をしながら、従業員を最低限の生活から脱却させないと、魅力のある経営者には映らない。その事業をしたいのは、経営者であるあなただろう?
これが開き直ると、経営者はNPO法人になろうとするんだよね。
  

ぼっち力事務所と言ってみたり、暗い写真を撮ったりしている。
その逆が今の時代の潮流だってのは知っている。
両方できるという引き出しが、ぼくのやることを選ばせてくれている。
引き出しは増やした方がいい。
 

当事者になることは心配事を増やすことだ。
いやね、もうね、大変なんですよ。
あそこからここを経由してそちらへ伝えたり、任せたと思ったらここに戻ってきたり。
いやね、もうね、すっごい大変なんですよ。
「任せる」というのは心配事を減らすことでもあって、ここに戻ってくると作業が戻ってくる上に、作業中の心配事も戻ってくる訳です。

なしお。

2019.8.24

「やりたい事というのは、なくなるもんだなぁ」と実感している。
すると、どんどん分かるようになる。
欲望がないまま物事を見れるので、クライアントワークをやる分には、すこぶる便利だ。
 
そして、やりたい事がないからと言って、何でもいいと言う訳ではないんだなぁ。
やりたい事がなくても、やりたくない事はあるもんだ。
だから、「やりたくない事をなるべくやらないで済む人生を送る」のが、ぼくのやりたい事だ。
 
そのために今までがあった。
求められる能力を発揮できるように、やりたくない事を極力減らす。
やりたくない事をやらないで通すためには、別の能力が必要だ。
自動化できるところは、なるべく自動化させる。
他の人では替えの効きにくい能力を持つ。
 
こういう能力をつけるために、努力があった。
嫌々やっている訳じゃないから、努力と言えないようなものばかりだったけど。
なるべく自分が楽しくいられるように、精進してきた。
ぼくにとって精進というのは、嫌々やってもいいし、楽しくいながらやってもいいことだ。
だから、楽しくやれる精進だけをしてきたし、面倒くさいことは、なるべく楽しくいられるようにゲームにしてきた。
今の日本で、こういう心持ちで生きていても焦らないでいられるのは、二十代の頃に読んだ古典のお陰かもしれない。