Archive for 2019

最近のいろいろ。

2019.9.21

ドイツに行く予定なので、ドイツのことを調べていると、面白いことがわかった。
中でも、「再生」の意味が日本とドイツでは異なることが分かった。
日本の「再生」は原状復帰だ。
だが、ドイツの「再生」は、誇りと収益を兼ねた改良だ。
IBAの事例はとても参考になった。
 

別宅が欲しい。
別にやましいことはないが、一年に三ヶ月くらいは考える仕事のみをして、手足を動かして過ごしたい。
そのためには、静かで、景色がよく、美味いものが採れて、気候が穏やかである必要がある。
このような場所は、日本では大型観光の痛手となっているか、原状復帰を目指して徒らに自然回帰のどちらかになっている。
だから、美しくない。
理想の空間は分かっている。
斎藤茂吉記念館のラウンジ。
自然の中に人工物を建てることの答えの一つは、あそこにある。
 

ふと思ったことがある。
「目の使いすぎで頭が痛くならない人もいるのでは?」ということ。
日曜日、こめかみの辺りに痛みがあり、「いつものように目の使いすぎか」と思っていて、そう思うことに違和感を覚えた。
目を閉じて過ごしている人などほとんどいない中で、どうして頭痛がある人とない人がいるのか。
姿勢が影響しているという説も分からなくもないが、これだけ携帯電話が普及した中で、頭痛持ちじゃない人もいるわけだ。
もしかしたら、頭痛って、アレルギーと似た生理的な現象なんじゃないだろうか。

パラダイムシフトに必要なこと。

2019.9.20

大事なのは、学ぶ姿勢じゃないだろうかと、最近頻繁に思っている。
デザインが意識を変えられるという考え方は昔から存在している。
だが、その有用性が広まりつつあっても、普及はしてこなかった。
この理由があるとすれば、それが冒頭の「学ぶ姿勢」の足りなさだと思われる。
 
たとえば、今までが「意識A」だとすると、「意識B」に変えることが差し迫っている状態だとする。
この場合、根底の考え方から意識Bに変えないと意味がないのだが、ほとんどの人が意識Aの考え方のまま、意識Bを取り込もうとする。
だから、意識Bの人の話を聞き、試してみるだけにとどまり、意識Bの人から学ぼうという姿勢にはならない。
それで、意識改革が起きるわけもなく、そのために数々のことが古臭いまま残っている。
これは、若い企業でも同じ。
意識を変えることが下手ということは、学ぶ姿勢がないことでもある。

お節介を働いているだけ。

2019.9.19

以前にも書いた気がするが、「提案する」とかっこいい言い方をしても、その中身は「お節介を働く」のと変わらない。
分かっている人が、分かっていない人に働きかけるというのは、お節介の図式と変わらない。
見て見ぬ振りが出来ないというのは、送り手側の立場であって、受け手側の立場ではない。
なので、仕事で提案をするときには、一度しか言わないようにしている。
経験上、一度言ってきっかけを掴めない人(分からない人)というのは、どれだけアプローチを変えても分からないものだ。
一度お節介を働いて、立ち止まって考えることができる人には、もう一度お節介を働いて「考えるための手助け」をする。
こうやって、きっかけを掴んだ人にはお節介は続けていくし、一度目で分からずに、スルーしたり拒んだりした人には、もう何も必要がないので、何も言わないようにしている。
痛い目を見た方がいいのかもしれないし、もしかしたら、うまく進むかもしれない。
どちらにせよ、お節介をモノにしなかった人は、それを選んだのだから。
こういう考え方になってから、提案が通らなくても、ムキならないで済むようになった。
「お節介を働いているだけ」と思うと、精神衛生上とてもいい。

三方よしになるためには。

2019.9.18

この数年で気がついたことがある。
 
「人は『おもろい(おもしろい)』を使い慣れていない」。
 
日本はとにかく真面目ぶるのが好きな民族なので、当たり前と言ったら当たり前なんだけど、こんだけ「クリエイティブが大事だ」とビジネスの現場でも言われるようになっているのに、真面目ぶるのが抜けきらない。
だけど、「真面目ぶるのが抜けきらない」というのは事実である部分と、人々がそれしか知らない部分があることに気がついた。
これに気がついたとき、冒頭の「おもろい」を使い慣れていないにつながった。
 
大前提の話をするが、人がポジティブに物を買うとき、以下のことが起きている。
「あぁ、そうだよね〜」→「そうそう」→「え!?なにそれ!?」→「おもしろいじゃん!」。
かなり端折って書いているが、共感から発見、驚きに至れば、その発見や驚きが購買意欲になる。
「おもしろいじゃん」は「かわいい」や「超すげー」も当てはまるし、「あぁー、おちつくわー」や「これは世界を獲れるぞ」でもいい。
こういう「発見」や「驚き」を一言にすると、「おもろい(おもしろい)」だ。
 
急ぎ足になっているが、さて、話を戻すと、ビジネスの現場ではこういう話をしたり、もっと詳しく話さないと、「おもろい」と言ったときに「=(イコール)お笑い」だと捉えられてしまうし、それで人々の心が掴めるとも思っていない。
アンケートやマーケティングで数字を集めて、それらしいビジネス用語を使って説得して、「はやくて、便利で、安く」と言わないと売れないと思っている。
けれど、そんな風にして、自分たちが商品を購入していないとは考えていないのだ。
だから、「おもろい」を使いこなすまでに時間がかかる。
 
不真面目に思われたとしても、おもろい方がみんなの体力が持つし、結果も出るからね。
会社がおもろければ離職率は下がるし、いい人材も集まる。
商品やサービスが売れることにも繋がるし、社会貢献だって可能になる。
おもろいとは、三方よしになるためには必要不可欠なことなんだ。
 
最近、企業でよく話すことのひとつでした。

ぼくの仕事の作り方。

2019.9.17

よくやっていることに、今の潮流になりつつあることが古くなった未来を想像している。
たとえば、 キャッシュレスと言われる、お金を使わない支払い方法が広まりつつある今、ぼくが考えているのは、それが古くなった時代のお金の使い方だ。
すると、「貨幣より前の時代」と「貨幣の時代」と「キャッシュレスの時代」に共通していることは残り、そうでないことが変わっていくことが分かる。
 
例えば、この3つの時代に共通しているのは、安心と信用だ。
一方で、共通していないのは、持ち運びとやりとのし易さだ。
つまり、安心と信用が担保されて、持ち運びとやりとりが簡便になる時代が、キャッシュレスの次の時代。
 
とてつもなく当たり前のことを話しているが、こうやって考えると、いくつかの未来がイメージできる。
その内の一つとして、自国の貨幣を海外で使用できる世界だ。
国内外において、貨幣よりもキャッシュレスの方が便利なのは変わらないため、貨幣の流通量は減るだろう。
しかし、貨幣とキャッシュレスの安心は別の種類であるために、世界的に貨幣が全てなくなるとは考えにくい。
そうすると、貨幣の流通量が減りながら、より使いやすくしたいのが、人間の性だ。
 
仮想通貨がなかなか世界通貨にならないのは、貨幣の安心と、国としての貨幣単位の信用がないのと、国という帰属性を全く失えるほど人間は強くないからだ。
これらを持っているのが貨幣であり、貨幣を便利にしようとしたら、両替所の概念をなくさなきゃならない。
すると、考えられる方法のひとつとして、自国の通貨を海外のPOSシステム(レジ)で使える世界だ。
この実現化の最中でエントロピーが働き、貨幣の量が減り、質が高まるので、貨幣製造の質を高めることができる。
もしかしたら、漆器のように、触り心地のいい材料を用いるかもしれない。
ま、材料の話は飛躍しすぎだけれど、この前段階か、後段階になるかは分からないが、国内での使われ方が画一化される。
たとえばバスの支払い。
日本国内でもバスの乗車と支払い方法は数通りあり、これを統一するのが先か、同時か、後発かはわからないが、必ず起きるだろう。
 
これは一例だが、こういう考え方は何においても同じだ。
ゲームでも、公共施設でも、道路でも、スポーツでも、文房具でも、ITでも、農業でも何でもだ。
なので、こういう「今から普及することが古くなった未来」を想像していると、次につながる視点が手に入る。