Archive for 2018.12

買うのも人。

2018.12.26

誰もいない広場に、お店を出しても売れない。
そんなことを最近考えています。
逆に、賑わっている広場にお店を出したら、商品は売れるのだろうか。
ある程度の人が欲するものを売っててくれないと困るよなぁ。
 
今日、若者向けのショッピングモールを歩いていて、まったくお客の入っていないお店を見ました。
別のところにあったら、売れるだろうなと横目で見つつ、その通りにふさわしくない商品を扱っていると思いました。
事実、同じ種類の商品を、ぼくは温泉街で買ったことがあります。
商品は「はちみつ」です。
 
さびれた温泉街の細い道にあるはちみつ屋さんで、ぼくは荷物になるはちみつを買ったことがあります。
外を歩いていて甘いものが欲しくなったところに、「はちみつソフトクリーム」の文字が目に入り、それを目当てにお店に入ったのです。
すると、珍しい種類のはちみつの数々に目を奪われ、勧められるままに試食をしていったら、その香りにやられて買いました。
ぼくが試食をしているときにも、お客は入ってきていました。
 
そんな経緯があったので、別の業者だと思うけれど、今回の人気のなかったお店を見て、ここでは買わないよなぁ、と思ったのです。
たまたま、ぼくが目にした時間帯が悪かったのかもしれません。
けれど、お客が入っていないお店特有の雰囲気もしていたのです。
動くっていうことが、商売では大事なんだよなぁ。
お客がいないのなら、掃除をがんばるとか。
このブログも、ひとつの動きってやつです。

いいお店。

2018.12.25

看板娘というのは、あの子のためにある言葉だなー、と思う人がいます。
 
ぼくら夫婦は毎朝コーヒーを飲みます。
豆を手動のミルでガリガリガリガリ……。
だいたい2週間ほどで、300グラムの豆はなくなります。
すると、電車を乗り継いでコーヒー豆を買いに行きます。
最初は、無農薬のコーヒー豆を求めて行き、今も同じ豆を買っているのですが、おそらくその豆がなくなったとしても、その店に買いに行くだろうと思います。
 
ぼくらは、このお店で働いている人のファンです。
まだあどけなさが残る、レッドやブルーなどのはっきりした色が好きそうな店員さん。
その店員さんの、初めて接客してもらったときの、コーヒー豆や焙煎の具合を説明するときの話し方が、とても素敵だったのです。
コーヒー豆をお客さんが好きになるような的確な勧め方に加えて、勧めている自分も好きなんだろうなぁと思わせる愛嬌。
他の人は知りませんが、完全にぼくら夫婦のツボにハマりました。
ヒット?いや、満塁ホームランです。
 
たとえ商品のことがそれほど好きじゃなくてもどうでもいい、と思わせる魅力が、看板娘にはあるんだと気づかせてくれました。
接客だけ見ていると、コーヒーが好きなんだろうなぁ、と疑いの余地がないんですよね。
 
そして、このお店は、豆以外にもドリンクも提供していて、ぼくらはこのお店のカフェオレも好きなのです。
焙煎してもらっている間に飲むのですが、コーヒーの美味しさを感じるカフェオレです。
それで、いつも感心するのが、カフェオレを飲んでいる間、他のお客さんと接客している姿を見るのですが、これがすごい丁寧。
中にはぶっきらぼうなお客さんもいますが、変わらず丁寧な接客を見ていると、「がんばれ」と応援する親の気持ちになります。
 
お客さんが守りたくなるのが、いいお店なんだと気づかせてくれました。
 

ここ一年。

2018.12.24

あれも違うなー、これも違うなー、という心地のまま、一年が過ぎようとしています。
そんなことを考えながらうたた寝をしたら、夢の中に答えがありました。
発見があるときのワクワクした心地が、今年は少なかったことに気がつきました。
夢の中で、ぼくは新しくできた施設の案内図を見ながら興奮していました。
なにか知らないことと出会うワクワク。
その施設は、カフェとセミナールームとショップが併設されていて、紺色の室内に光が差し込んでいました。
ドアは白くて、セミナールームには留学生なのか、日本人とは違うアジア人と挨拶しました。
全部、夢の中の話なんですけどね。
 
頭が解放する瞬間も少なかったような気がしています。
鈍痛とも言えない鈍いものが、うっすら続いている毎日でした。
どこにいても、なにをしていても、何かが鈍い。
そんな日が多かったはずです。

事業は正義ではないし、立派なことでもない。

2018.12.23

事業者と話していて度々言うのは、「正義ではないし、立派なことでもない。やりたいからやっているんですよね?」ということです。
とかく、ここ数年のブランディングブームもあって、事業価値を高めようとみんな必死ですが、お客さんは見抜いていると思うんですよね。
事業者が事業価値を高めようとするのは、その結果、利益が上がったり、株価が上がったりするからです。
とくに業界が弱い(稼げない)場合、自分たちの行いを正義のように語り、別の層を攻撃します。
けれど、どの層の人たちも、自分のやりたいことをやっているという意味では、同じなんです。
極論を言えば、「その事業が犯罪じゃなくてよかった」ぐらいに思っていた方がいい。
少なくとも、ぼくはこのクリエイティブという仕事が、犯罪じゃない時代や地域に生まれてよかったです。
 

自分の貢献度を語る有能感よりも、自分のできないことを語る無能感を持っている人を、ぼくは信用します。
ただし、ぼくが認める努力をしないのなら、ぼくはその人を信頼して、仕事を任せないです。
事業価値ブームと同じように、自分価値ブームのような時代ですが、できることがあるということは、できないこともあるということです。
そして、自分ができる(得意)と思っていることは、その上がいるということです。
そうじゃなきゃ、成長もないでしょうから。
満足していたら、成長なんてないでしょう。
 

たとえば、企業でSNSを使うとき、ぼくは「できなかったことも載せてください」とお願いをします。
嘘はダメですが、途中でもいいです。
立派じゃないかっこいい姿に、人は感動するんです。
『SLAM DUNK』も『あひるの空』も『ジャイアントキリング』とか、スポーツ漫画も好きなんだよねー。
(写真は関係ないです。コンクリートが好きなんですよねー)
 

NAOTの靴。

2018.12.22

靴を磨いている人が好きです。
 
二足ある仕事用の靴のうち、ヌバックレザーの靴が、どうにもこうにも汚れが取れなくなってきたので、新しい靴を見に蔵前に行きました。
冒頭の一文は、電車に乗っていて、真向かいに座ったおじいさんの、手入れをされている靴を見て思ったことです。

ぼくは自分で靴を磨きます。
磨けてない月日が長いと、忙しさにかまけている自分を内省します。
どこか所在無げな靴を、暗がりの玄関で見つけては、「あぁ、ごめんよ」と申し訳ない気持ちになります。
 
自分のことだけであれば、靴を磨く必要などないはずです。
モノは、どれだけ手入れをしても、買い換えるしか術のない状態になります。
自分だけであれば、ボロになって買い換えるのが、早いか遅いかの違いだけです。
 
どこかの本で見たのか、人から又聞きをしたのかは忘れましたが、「おしゃれは人のためにするもの」という言葉と出会ったことを、いま思い出しました。
靴の手入れをするのも、同じだと思います。
少なくとも、同じ部分があると思います。
 
自分色になった履きジワに、手入れをされた艶やかな革。
おろしたてのピカピカの光沢とは、また違う趣があります。
手入れをされた靴には、履く自分の他に、その人をみた相手も気持ちよくさせてくれる魅力がある気がするんですよね。
 

そうこうしているうちに、蔵前につき、昼食を済ませ、靴屋さんに向かいましたが、入り口まで行って、一度引き返して川沿いに行きました。
しばらく日光浴をしながら、考え事をして、腹を落ち着かせて、もう一度靴屋へ向かいました。
 

お店の名前は「NAOT(ナオト)」さん。
ヘブライ語で「オアシス」という意味で、店内は靴が整頓されて並んでいます。
すでにネットでめぼしいものを見つけていたので、その靴を見つけて、さっそく試着。
小さいのに甲高なぼくの足、やはり、ぴったり合っている感覚はしていません。
 
けれど、驚いたのは、その後。
「調整しますね」と店員さん。
インソールをすすすーと調整。
三度目のフィッティングで、すんなり収まるぼくの足。
 
もうね、マジックとしか言いようがない体験をしました。
靴って気持ちいいんだぁ。