Archive for 2018.11

最近のメモ。

2018.11.25

我慢をしてはいけない。
我慢は意固地を生みやすくなる。
 

こういう仕事を長くしていると、うまくいく事業と消滅する事業の傾向がわかります。
消滅する事業の特徴は「感情語が一切出てこない」です。
最近では、「ユーザー」という単語を鶴の一声で使っているケースです。
てめぇの言葉はどこ行ったです。
おめぇさんの事業は、おめぇさんの頭と手と足でつくるんだぜ。
感情だけも困るけれど、感情を持たないのも困りものです。
消滅しなければ、うまくいくんだ。
 

小さくあってはダメだ。
文化という切り口のときに、社内文化を話題にするようでは、事業は縮小する。
 

最近のメモを見ていると、小さくまとまることに抵抗を感じているようです。
世の中や周りの人を見ていると、それらしい言葉を使うことが多いです。
昔は上司や取引先の名前を出して説得していたことが、今ではユーザーという単語に切り替わっていますよね。
勘のいい人は気づいているけれど、やっぱり、気づいていない人の方が多い。
ま、そういう話は置いといて、ぼくは今日、醤油づくりに勤しんでいました。
来年の3月まで、残り4回にまで迫った作業。
毎月毎月、醤油らしくなっていく香りや味がなんとも楽しみです。

感情で動く。

2018.11.24

最近、何かを判断するときは、感情的な表現をするように努めています。
現代は逆の風潮だというのはわかっていますが、なんかね、気づいてしまったのです。
 
「みんな、自分のいいと思ったことを、それらしい言葉で正当化しているだけだよね」と。
 
この順序が逆の「それらしい言葉を鵜呑みにして、いいと判断している人」には、「嘘つけ」と指摘してきました。
この回数が年々増えている気がしていたので、理由を探ってみたら、「それらしい言葉」が増えていることにも気がつきました。
 
セミナーやネット、参考書から得た言葉をそのまま使っているような。
しかも、「〇〇はこう言っていた」ではなく、この言葉をそのまま正しいものとしてパターン化している。
提案を通すために正当化する、考えることを放棄しやすくなるために使っている言葉が多いはずです。
 
たとえば、これからネットショップをやろうと思った人が、Amazonと同じデザインや仕組みを作ったところで、売れるわけないでしょう。
先行研究として知識を増やした後にイメージを膨らますのなら、事例を集めるのはいいことでしょう。
しかし、単なる真似がまかり通らないことは、ほんの数年前だったら、ある程度の経験者なら誰でもわかっていたはずです。

若手が提案してきたら、上司は「わかってねーなー」と叱責したはずです。
 
これが最近、「ユーザー」という鶴の一声を使う人が多くなって、自分の頭で考えることが少なくなってきている雰囲気に、危機感を覚えたのです。
そして、このゲームから抜けようと思いました。
 
踏み切るきっかけは、経済学者の岩井克人さんの本で、「優れた経済学者たちの経済予測が当たらないのは、人は嘘をつくから」という文章に出会ったことです。
経済学で言うところの「経済人」というのは、理想的な購買行動をする人であると同時に、現実には存在しない人です。
予測で立てた、理想的な行動をしてくれる人なんて、実は現実にはいないよねって。
 
現実はもっと、好きな人が持ってるとか、嫌いな人が持ってるとか、そんなことでも購買するしないがあります。
「生理的に嫌」とか。
「野良猫がかわいかったから、猫缶買っちゃった」とか。
 
こういうことを考えていて、本当に生活者の気持ちになるのなら、自分も感情的な部分は残しておかないとな、と思ったのです。
最近、ぼくの言葉に「それは嫌」「これは気分が悪い」「引くわー」「こういうのっていいじゃん」「俺は好きだなー」という、子どものような言葉が並ぶのは、こういう理由からです。

面倒くさいものが売れる時代。

2018.11.23

昨年から衣料品をオーダーメイドで購入する機会をもつようになったのですが、これがすこぶるいいです。
昨年はスーツ。
今年はライダース。
10月に納品されたとき、窮屈な部分があったので調整してもらったものが、今日、届いたのです。
体にフィットするライダースって、とてもいいです。
ファスナーなどの部品も選べますし。
いいことずくめな気がしています。
 
ま、やりとりの手間がかかるのですが、この面倒くささが、人々に求められているような気もするんですよね。
たとえば、近所の行列のあるおはぎ屋さん。
駅からは距離はあるし、持ち運びも気をつけなきゃいけないし、日持ちもしないので、手土産としてかなり面倒くさいです。
夜には香りが飛んじゃってるし。
でも人気店。
 
ここ数年話題のフィットネスジムの種類だって、食事制限や怒られたりする、それまでのジムと比べたら、面倒くさい種類のジムです。
文房具として手帳が売れているのだって、この面倒くささが、使い手には必要だそうです。
ぼくの妻も、毎年手帳を買っています。
 
事業をする側は、より簡単な方をユーザーが求めているような気がするのですが、実は、違うんじゃないかと、ぼくは思っています。
昔、ショッピングモールの施策を仕事でしたときに「オーダーメイドの時代がくる」としてITと結びつけようとしたけれど、それは通らなかったな。
今はそんなことも当たり前になっちゃったけどね。

縁を切る選択肢。

2018.11.22

不自由について。
この仕事をしていると「バカな返事を受けたくないから納期ギリギリに渡す」という話を聞く。
気持ちは分からなくはないが、返事がバカらしいと思ったのなら、縁を切ればいい。
バカな返事をするのは「知らないだけ」という可能性が多いにある。
(これを逆手にとる本当の阿呆も世の中にはいる)
 
そもそも、知識と技術に大きな隔たりがあるから、職業倫理をぼくたちは自分に課し、信任関係を築くのが専門家と依頼人の関係だ。
なので、縁を切るのは最終手段にして、バカな返事をする相手だと思ったのなら、教えればいい。
教えても改善されないのなら、教え方を変えるか、縁を切ればいい。
この選択を繰り返していけば、縁が続くほど、相手との関係はいいものになる。
不思議なものだ。
 
大事なのは、いつでも縁を切れる選択肢を持っておくということだ。
とは言っても、デザイン事務所に勤めていた頃は、ぼくもこの選択肢を持っていなかった。
勤めていた頃の人たちがこれを読んだら「お前ほど仕事を選んでいたやつはいない」と、石が飛んできそうだ。
社内でも治外法権だったのは自分でも認めるが、そんなぼくでも選択の自由はなかったと感じていたのだから、他の人たちの思うところは大変なものだろう。
 
選択できないのは自由がないこと、不自由だということだ。
独立の理由って、これかもなぁと今更ながら思いつつ、力をつけるためにすげぇ働いたからね。
 
そんなわけで、ぼくは納期をかなり余裕につけている。
依頼人が慌てていても、遅れたところで死ぬわけじゃない、とさえ考えている。
でもぼくは遅れない。
これが不思議。
 
縁を切る選択肢を持つと、教えることをなかなか頑張るものだ。
そして、人からもよく言われるが、ぼくは自分から縁を切ることはほとんどないし、縁が続く人たちとの関係性は、けっこういいと自慢できる。

仕事の会話。

2018.11.21

年寄りがいる企業はいい。
この年寄りが、自分を年寄りだと思っていると、なおのこといい。
この年寄りが若者に負けないと思っているのは、いいことではない。
年寄りのいない企業は、さらに悪い。
 

デザインとかクリエイティブ関係に特化している人たちと話すと、ずいぶんとマーケティングの悪口を耳にする。
同様に、マーケターは数字に言葉を乗せすぎている。
ぼくはマーケターは必要だと考えている。
しかし、数字の扱いの上手いマーケターが少ないことと、会話が下手なマーケターとデザイナーが多いことが問題なのだ。
相談をして、返ってきた答えを信じる。
専門家との会話は、これが基本となる。
基本を破るから、互いを必要としなくなるのだ。
相談と議論は違う。
会話を議論と思っていたら、会話はつまらないものになる。