感情で動く。

2018.11.24ビジネスの健康, 日々のこと

最近、何かを判断するときは、感情的な表現をするように努めています。
現代は逆の風潮だというのはわかっていますが、なんかね、気づいてしまったのです。
 
「みんな、自分のいいと思ったことを、それらしい言葉で正当化しているだけだよね」と。
 
この順序が逆の「それらしい言葉を鵜呑みにして、いいと判断している人」には、「嘘つけ」と指摘してきました。
この回数が年々増えている気がしていたので、理由を探ってみたら、「それらしい言葉」が増えていることにも気がつきました。
 
セミナーやネット、参考書から得た言葉をそのまま使っているような。
しかも、「〇〇はこう言っていた」ではなく、この言葉をそのまま正しいものとしてパターン化している。
提案を通すために正当化する、考えることを放棄しやすくなるために使っている言葉が多いはずです。
 
たとえば、これからネットショップをやろうと思った人が、Amazonと同じデザインや仕組みを作ったところで、売れるわけないでしょう。
先行研究として知識を増やした後にイメージを膨らますのなら、事例を集めるのはいいことでしょう。
しかし、単なる真似がまかり通らないことは、ほんの数年前だったら、ある程度の経験者なら誰でもわかっていたはずです。

若手が提案してきたら、上司は「わかってねーなー」と叱責したはずです。
 
これが最近、「ユーザー」という鶴の一声を使う人が多くなって、自分の頭で考えることが少なくなってきている雰囲気に、危機感を覚えたのです。
そして、このゲームから抜けようと思いました。
 
踏み切るきっかけは、経済学者の岩井克人さんの本で、「優れた経済学者たちの経済予測が当たらないのは、人は嘘をつくから」という文章に出会ったことです。
経済学で言うところの「経済人」というのは、理想的な購買行動をする人であると同時に、現実には存在しない人です。
予測で立てた、理想的な行動をしてくれる人なんて、実は現実にはいないよねって。
 
現実はもっと、好きな人が持ってるとか、嫌いな人が持ってるとか、そんなことでも購買するしないがあります。
「生理的に嫌」とか。
「野良猫がかわいかったから、猫缶買っちゃった」とか。
 
こういうことを考えていて、本当に生活者の気持ちになるのなら、自分も感情的な部分は残しておかないとな、と思ったのです。
最近、ぼくの言葉に「それは嫌」「これは気分が悪い」「引くわー」「こういうのっていいじゃん」「俺は好きだなー」という、子どものような言葉が並ぶのは、こういう理由からです。

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