Archive for 2018.9

スロープの考え。

2018.9.25

最近、幡野 広志さんの著書『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』を読んでいます。
この中で「嫌な奴」という言葉が出てくるのですが、過去の自分を顧みると「周囲の人たちから自分は嫌な奴に映っていただろうな」と思いました。
攻撃的で、ひたすら攻撃的で、でも人一倍行動していたから何も否定できない。
一緒にいると休まらない奴だったと思います。
だからぼくの周りに集まってくる人たちも、そんな人たちだった気がします。
類は友を呼ぶ。
いまはどうだろうと考えると、昔と違う人たちと出会っていることに気がつきます。
専門分野に習熟しているのに、知見の広め方はゆったりと、和やか。
スロープのようにゆるやかなんです。
これはぼくが大事にしている感覚でもあるのですが、だから似たような方々が集まってきてくれるのかもしれませんね〜。

初対面のような。

2018.9.24

年齢が増えているのを実感することのひとつに、初対面の人が、友人や知人に似ていると思う回数が増えていることがあります。
今回は、鎌倉彫金工房さんへ指輪をつくりにいったのですが、担当してくれた女性の方が、知人に似ていたのです。
5年以上前に一回か二回程度しか会ったことがない人なので、ぼく自身の記憶もおぼろげなのですが、こういう経験が年々増えています。
高校時代の友人と仕事で偶然再会なんてことも、先日ありましたし。
だから今日もね、もしかしたらと思っていたのですが、名札もなかったので、そのまま指輪づくりに没頭させてもらいました。
だからなんだ、と思われるでしょうが、どうでもいい思い違いのようなことが増えていくのも、歳を重ねた特徴なんだなと思うのです。
 

自然と笑い合う。

2018.9.23

東京農業大学の「食と農の博物館」で催されたセミナーに行ってきました。
以前知り合った、農業情報総合研究所の植村さんが運営されているとのことで、お邪魔してきました。
 
山梨県小菅村に移住された方が、その村のことを紹介する会で、特産品を食べたり、クラフト体験をしたり。
正直に言うと、ぼくが驚いたのは、参加者の感度の高さです。
参加する前、ぼく以外の参加者は農大関係者が多いのだろうと思っていたら、半数以上が農大と関係のない人たちのようでした。
 
そして、提供される食べ物や体験を、素直に楽しんでいる様子が会場から溢れんばかりで、90分のセミナーも、いつの間にか時間をオーバーしてたり。
近くにいる人たちとも、自然と和やかに会話がうまれる、そんな雰囲気でした。
でも、関係者じゃなく、みんなお客さんなんです。
 
ぼくも仕事柄、似たようなセミナーに参加することはありますが、けっこうね、ホスト側の人数が多かったり、自分たちの素晴らしいところだけを宣伝して、あわよくば移住者を増やそうとしているのが見え見えの会が多いのです。
いわば、営業マンが取り囲む会。
こうなると、とてもつまらない会になるのですが、今回の会にはそれが感じられなかったのです。
 
偶然知り合ったお客さん同士が、自然と笑い合う。
それは植村さんの人柄が表れているような、とてもいい会でした。
 

こころの師、ヘルムート・シュミット氏。

2018.9.22

ヘルムート・シュミット氏の訃報を知った。
今年の7月2日に亡くなったそうだ。
 
以前、ある依頼人から「柔らかい表現でも、しっかり作っている感じがする」と評価してもらったことがあるが、タイポグラフィに関して言えば、シュミット氏と彼の師であるエミール・ルーダー氏の影響を、私はかなり受けている。
ポカリスエットを好んで飲んでいるのも、このデザインの秀逸さに惚れた、いわば「ジャケ買い」だ。
 
亀倉雄策さんや田中一光さんたちのような、本質的なデザインが見る影もなくなった日本のデザインに暗澹たる気持ちでいたなか、私に光を与えてくれたのはシュミット氏とルーダー氏のデザインだった。
 
その後、私自身の師匠と出会うことで実践の場を提供してもらい、本質を考えるだけでなく、本質を形にすることの力をつけてきた。
シュミット氏と出会うことはなかったが、「そもそも、本質とは何だろうか」と考えることをしているのも、彼らの影響があるだろう。
 
来年からは自分の誕生日の度に、シュミット氏のことを想うのだろうな。
 

8年前の夢中ごと。

2018.9.21

過去のブログを読み返していると発見があります。
たとえば、「8年前は夢中になることがあったんだな」とか。
8年前のぼくは写真を1メートルぐらいまで大きくして印刷する「大判出力」をしていました。
そして、印刷の進み具合を、夢中で見ていたようです。
すっかり忘れていました。
けれども、ブログを読み返すと「夢中で見ていたこと」を思い出すのです。
実は今は夢中になれることがありません。
このままでも良いかもしれませんが、日々を退屈に感じているのだから、あまり良い傾向とは言えないでしょう。
そんな中で「夢中になっていたあの時」を見つけたのです。
何かのヒントがあったような気がしました。