Archive for 2018.8

いまのかんがえ。

2018.8.26

価格で競わない。
スピードで競わない。
テクノロジーで競わない。
 
事業と社会の接点をすくい上げて、自然な形にする。
メゾンファッションならメゾンファッションにふさわしい接点と形があり、伝統文化にも、ITにも、スーパーマーケットのチラシにも、どんなものにも事業と社会の接点と自然に伝わる形がある。
 
作り手の個性なんかいらない。
やりたいことや好きなことを落としきっても感じてしまう特徴、これが個性。
 
やる気がないように見えるのは当たり前。
やりたいことも好きなこともやっていないのだから。
当たり前のことを当たり前のこととしてやっているだけ。
それでも美しいものを作りだせるのが、私たち専門家だ。
 
美味い料理を食べなければ舌が肥えないように、美しいものを見なければ目は肥えない。
 
目が肥えている目利きの能力がある依頼人は稀だ。
文化と経済、どちらを優先する?
美と金、どちらを優先する?
答えは「両方」だ。
 
依頼人を叱り、諭すのは当然だ。
目を肥やす機会を与えて、目利きにしているのだから。
目利きの能力に、作る能力を足して専門家になる。
目利きの能力は依頼人にも、専門家にも必須の能力だ。

写真もデザインもやる人たち。

2018.8.25

最近気づいたことですが、ぼくがデザインをやるようになったのって「下手なデザイナーに写真を扱わせるのが嫌だった」のかもしれないです。
独立してからというものの、自分が撮影できるスケジュールを立てられるので、撮影とデザインを兼任していますが、これって、エディ・スリマンさんや鈴木八郎さんが原点かもしれないと気づいたのでした。
 
最近、イブ・サンローラン氏のことを考える機会が多かった矢先、エディ氏のファッション復帰を知るわけです。
学生の頃にかじりついて見ていた「ファッション通信」というTV番組。
エディ氏の手がけたディオールオムが世界中を虜にし、ぼくも魅了された一人でした。
デヴィッド・ボウイやミック・ジャガーたち、スキニーなロックスターに影響を受けたエディ氏のつくる服は、ロックの危うさと頂点に立つ気風が立ち込めていました。
世界70億の人が入るスタジアムで満員のお客を前にしても「カッコイイ」と呼べるヒーロー。
こんなヒーローがロックスターだし、これほどまでに強力なのに、いつでもいなくなってしまうような危うい魅力。
 
そして、鈴木八郎さんも伝説的なアートディレクターです。
電通にいた頃にはフリーのように存在し、大御所のカメラマンに依頼したのに、自分で撮影しちゃって自分でデザイン組んでって、彼の話を聞くたびに、色々なしがらみを軽く飛び越えてしまうように聞こえます。
転がる石のようにどこにもとどまらず、でも石としての強さがあって。
 
彼らのことを考えていると、
「両方やっちまえ」
「いいもんをつくるんだろ」
「技術をつけちまえ」
そう言われているような気がするんです。
だから俺はもっと自由になるよ。

不自由を与えるのか、自由を与えるのか。

2018.8.24

「自由」について、ぼくは敏感だと思います。
「不自由」について敏感と言った方が適切かもしれません。
なぜなら、人は「不自由」を感じたときに、「自由」を失っていることに気がつきますからね。
「自由」の定義は色々あるでしょうが、どんな環境であれ、どんな状況であれ、不自由を感じるのは個人差があります。
しかし、不自由を感じる予測はつけることができます。
 
たとえば、ぼくらの業界で言えば、デザイナーがひとつの事務所に長く在籍していて、その事務所内の大御所のようになっちゃっているとかね。
 
自分の事務所なら仕方がないですが、スタッフとして雇われながら現役でいて、さらに大御所のようになっちゃうと、若手たちは不自由が増えます。
このスタッフ大御所が、よっぽど若手の話に耳を傾ける人でない限りは、存在自体が目の上のたんこぶになるものです。
日本では若手を統括するポジションにディレクターが置かれていますが、手足を使わなければ勘は鈍り、実力も若手の方が高くなってしまいます。
それにも関わらず、老兵が上座にいられたら、鬱陶しさしかないでしょう。
こういう現場は、若手が育たず、組織力が上がりません。
一時期流行った「老害」ということです。
しかし、クリエイティブ系の多くの事務所が、こんなもんだと思います。
本当は、そういう中年やおっちゃんが力になれる方法があるんですけどね。
(これはまた別の機会に)
 
それはそうと、ぼくはいま、油がのってきたところだと思います。
若手の終盤に差し掛かってきて、いままで培ってきたものが結びつき、さらなる高みに昇るでしょう。
これは予感ではなく、確信です。
でもね、ちゃんと「いなくなる」タイミングも考えていますからね。
依頼人と関わらなくなるタイミングや、育成から離れるタイミングとかね。
自分の足で走れるようになった組織は、自分の足で自由に走った方がいいし、自分の翼を手に入れた若者は、自分の翼で自由に飛べた方がいいですからね。
そうしてもまれて、はじめて強くなるものです。
彼らの邪魔をしたらいかんのだよ。

「Peace」のパッケージ。

2018.8.23

このご時世、煙の出るタバコを吸っている人も減ってきているが、そんな中、「Peace」を吸っている人と出会うと好感度は上がります(あくまでもぼくの好感度ですが)。
Peaceのパッケージをデザインした、レイモンド・ローウィの哲学とアウトプットは秀逸です。
そして、これを支えた高額な報酬とデザインが届けられるまで待つことができた依頼人も称えられるべきだと思います。
調べてみると、当時の総理大臣の月給が11万円だった時代に、150万円のデザイン料だったとな。
近年のデザインやクリエイティブが似通ったものしかないのは、安く早く済まそうとしている依頼人とデザイナーの双方に問題があります。
そういうゲームからは、ぼくは降りてます。
早くても遅くても必要な時間をかけます。
強度のあるデザインをつくるために。
ちょっとでも、レイモンド・ローウィはじめ、先達に追いつき、次の時代に価値あるものを残すために。

『ゴードン・マッタ=クラーク展』の感想。

2018.8.22

東京国立近代美術館で開催中の『ゴードン・マッタ=クラーク展』に行ってきました。
展示作品の中でも、「地下トンネル建設現場の話」はとてもよかったです。
映像自体は大したことはないけれど、作業員の話が印象深かいのです。
 
「トンネル掘りは真の知識人でなければならない」
「トンネルの壁の美しさに魅入られた作業員がダリを連れてきて、同じく魅了されたダリが壁画を描き、その後、普通のトンネルと同じように粉々にされた話」
「安い金額で入札に勝った業者は二度と入札に参加しなくなるのは、トンネルづくりという挑戦とはチューニングが合わないからという話」
 
ダリの話は、作業員がいいですよね。
これが宮廷の貴族だったりしたら、話はとてもありふれたものになるでしょう。
ダリがトンネルの壁に本当に魅了されたかはわからないけれど、地下の工事現場で絵を描くダリ。
完成された絵は高尚な美術館に寄贈されるのではなく、普通のトンネルと同じように粉々になる。
 
このギャップが面白さを出すし、その後の入札の話で、作業員の崇高さが確かなものになります。
モチベーションの話を、「チューニングが合わない」と言ったり。
トンネル工事がどれだけ大変で、モチベーションも資金も必要で、「美しさ」を心得ているか。
 
上流と下流で言えば、下流の仕事として見られがちだけれども、果たして上流にこれだけのモチベーションも教養もあるでしょうか。
コンサルよりも現場の声。
今度どこかで「チューニングが合っていない」と言いたい。
そういえば、昨日の話に関連づけて言うと、「賃金の安さを価値にするゲーム」からもぼくは降りてますね。