不自由を与えるのか、自由を与えるのか。

2018.8.24ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと

「自由」について、ぼくは敏感だと思います。
「不自由」について敏感と言った方が適切かもしれません。
なぜなら、人は「不自由」を感じたときに、「自由」を失っていることに気がつきますからね。
「自由」の定義は色々あるでしょうが、どんな環境であれ、どんな状況であれ、不自由を感じるのは個人差があります。
しかし、不自由を感じる予測はつけることができます。
 
たとえば、ぼくらの業界で言えば、デザイナーがひとつの事務所に長く在籍していて、その事務所内の大御所のようになっちゃっているとかね。
 
自分の事務所なら仕方がないですが、スタッフとして雇われながら現役でいて、さらに大御所のようになっちゃうと、若手たちは不自由が増えます。
このスタッフ大御所が、よっぽど若手の話に耳を傾ける人でない限りは、存在自体が目の上のたんこぶになるものです。
日本では若手を統括するポジションにディレクターが置かれていますが、手足を使わなければ勘は鈍り、実力も若手の方が高くなってしまいます。
それにも関わらず、老兵が上座にいられたら、鬱陶しさしかないでしょう。
こういう現場は、若手が育たず、組織力が上がりません。
一時期流行った「老害」ということです。
しかし、クリエイティブ系の多くの事務所が、こんなもんだと思います。
本当は、そういう中年やおっちゃんが力になれる方法があるんですけどね。
(これはまた別の機会に)
 
それはそうと、ぼくはいま、油がのってきたところだと思います。
若手の終盤に差し掛かってきて、いままで培ってきたものが結びつき、さらなる高みに昇るでしょう。
これは予感ではなく、確信です。
でもね、ちゃんと「いなくなる」タイミングも考えていますからね。
依頼人と関わらなくなるタイミングや、育成から離れるタイミングとかね。
自分の足で走れるようになった組織は、自分の足で自由に走った方がいいし、自分の翼を手に入れた若者は、自分の翼で自由に飛べた方がいいですからね。
そうしてもまれて、はじめて強くなるものです。
彼らの邪魔をしたらいかんのだよ。

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