Archive for 2014.2

これも、あれも

2014.2.4

暖かくなってきたので、免疫力もそこまで下がらないだろうと思い、筋トレの後にランを追加した。冬場に走ると、ヘルペスが出てきてしまうことがあり、冬場にきつい運動は避けるようにしていたのだが、やはり、運動はきつめの方が、「どんなにきつい状況でも、それを選んでいるのは自分だ」ということを意識できる。
 
アフォーダンスの考え方や、選択の権利がないような国の場合を考えると、そのような意識とは離れてしまうだろうが、それはそれとして事実だとも思っている。
 
本当に大事なのは、「これもアリだ」、「これもそうだ」と見ることの出来る力を持つことだ。

偏狭が一番、争いを生む。

現代だろうと、過去だろうと。

2014.2.2

以前、入間川に向かう途中で撮影した、がらんどうのテナントに置かれていた花。
 
さびれた室内にあり、拭き掃除をされていない窓ガラスを隔てた先に立てられた花。なぜそこに置かれているのか理由はわからなかったが、撮影した。その後、数ヶ月が経った今、改めて見ていると随分と現代っぽい写真になっていることに気づき、自分が現代人であることを再認する。
 
ならば、デジタル技術を駆使し、行き切るところまでいってしまおうと意識する。

木を「木」という名前で呼ぶように、表面上の部分では、全て言語で組み立てられる。それは、デジタルでも同じで、全てデジタル用の言語で組み立てることができる。

大事なのはその後だ。

完成したものを見た時に、「何を感じて欲しいのか」が貫徹されているのか、いないのか。

技はそのための術だ。技に左右されたら本末転倒だ。

人を表す服

2014.2.1

良い買い物をしました。すると、物への欲求に、僕はどんなものを持っているのだろうと疑問を持ちました。それは実用性でした。機能と見た目です。本来の機能性もさることながら、「見た目」も実用性を語る上で、重要な位置を占めています。

正直、人は見た目で判断し、見た目で引っ張られる部分が大きいです。これは、ビジュアルを作り、そこから会社の、商品の、その人の人生に関わる仕事をしていることを差し引いても言えることだと思います。

その「見た目」は、雰囲気としても現れます。着飾っていて五月蝿いように感じる人、大したことがない装いなのに上品な人、一人一人雰囲気が異なります。

よく話していることですが、僕の服装は仕事のために無彩色、コントラスト低め、いわゆる地味な格好を選んでいます。それでも、そのまま打合せに行けるし、作業だって苦にならない。流石に食事会では変わるけれど、でも、透明度を高めていたいのです。それは黒子のように、作品が活きることを目指してです。

誉められる人間になるために

2014.2.1

以前、「誉められる」ことについて話し、「どうしたら誉められる人間になるか」と考えてみました。些細な一言を覚えて動いておく、すぐに動く、思いもよらない考えを出す、一芸に秀でている、楽しい、美味しい、などメリットを感じさせる要因があるかどうかですよね。
 
そして、「自分が大事にされている」と相手に思わせることが、誉められる要因なのかもしれません。どうすれば良いのかっていうことが、「あなたのためにやった」と言っては、無理矢理感が出てしまいます。
 
なので、些細な一言を覚えて動いておいたり、素早く動いたりしていると、相手を大事にしている表れになります。いやね、すぐに動くってことは、優先度が高くなるってことなんですぜ。
 
僕はこの「すぐに動く」ってことを大事にしています。人はわがままな生き物で、他人のペースなんて知ったこっちゃないんです。なので、どんな人、自分でさえも「やり過ぎだな」という速度で動き始めます。すると、大抵はその人の予想以上に動いてくれていることになるので、「あ、大事にされているな」ということになるんですよね。
 
かなり重要です。