現代だろうと、過去だろうと。

2014.2.2日々のこと

以前、入間川に向かう途中で撮影した、がらんどうのテナントに置かれていた花。
 
さびれた室内にあり、拭き掃除をされていない窓ガラスを隔てた先に立てられた花。なぜそこに置かれているのか理由はわからなかったが、撮影した。その後、数ヶ月が経った今、改めて見ていると随分と現代っぽい写真になっていることに気づき、自分が現代人であることを再認する。
 
ならば、デジタル技術を駆使し、行き切るところまでいってしまおうと意識する。

木を「木」という名前で呼ぶように、表面上の部分では、全て言語で組み立てられる。それは、デジタルでも同じで、全てデジタル用の言語で組み立てることができる。

大事なのはその後だ。

完成したものを見た時に、「何を感じて欲しいのか」が貫徹されているのか、いないのか。

技はそのための術だ。技に左右されたら本末転倒だ。

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