Archive for 2014.2

マリアナ

2014.2.14

「ラファエル前派展」を観てきた。彩度の低さや、女性の肌の質感などが、現代(いま)っぽい写真の匂いを感じるのだ。そのことが気になって、今更感のある展示を見に行った。

結果は「当たり」だった。

反骨にも関わらず、伝統を好んでいる点や、結局は当時の従来の手法から脱却しきれていない点など、先に上げたトーンとともに現代に通じるところがあった。

また、ミレイ作「マリアナ」の美麗さは時代を超えていた。許嫁に逃げられ、刺繍仕事をしながら日常を過ごすしかないマリアナの、日々を諦めるしかないにも関わらず保てる美しさ。当時、許嫁を持っていたことの家柄にありながら、財産と許嫁を失った女性が、反骨だけで生きられると考える方が無理があるだろう。くたびれた体と心が醸し出す妖艶さは、マリアナを救い出すことが出来ないことに悔しさを抱く一方、この美しさを今暫く見ていたいという欲求が葛藤する。

そんなことを感じながら、歴史を感じていたのだった。

自分を見た

2014.2.13

最寄り駅近くの喫茶店で考えをまとめていると、となりの席のカップルらしき男女の会話が聞こえてきた。どうやら社会人1年目か、よくて3年目ぐらいだろう。男の方は理性的で、女性の「女の子は……」という話題を整理して返している。故に、会話は成立しているが、考え方が交わることは全くないように見えた。それでも、女性の方が男性に惚れているのだろう。そういう目の輝きをしていた。

席を変えるのもなんなので、イヤホンをしてこちらの仕事を片付けたのだが、落ち着いたのでイヤホンを外してコーヒーを飲んでいると、相変わらずの会話が続いていた。

昔の自分を見ているようだった。おそらく、女性の方が疲れるのだが、男性は時折苛立つのだろう。整理されなくとも、言葉を滑らすのではなく、考えを交わらせることの方が必要だったのだ。

そうして、ふと思った。こうして、おっさんになっていくんだな。

手放す心地良さ

2014.2.11

体を手放すとき、フィルターがなくなる。空気が体の芯まで届くような、外との境目がなくなるような心地になる。大地と空気とひとつになっていることを思い出すのだ。
 
本来ならば、僕らも自然物なのだから、元々はひとつだった。それが、欲を持つことで、たくさんに分離したオリジナルが自分を作り上げるようになる。しかし、それは嘘だ。元々ひとつのものだった上に、小さなオリジナルのように見えるものを壁として塗りたくっていたにすぎない。
 
その殻を手放した時、体は地球とひとつに戻る。

水へ。

2014.2.11

水を撮影した。「Grace」シリーズの中の一枚だが、水を相手にするというのは、次作からの課題になるだろう。水は僕らの体にも、大地にも欠かせないものでありながら、どんなものにも形を変え、温度に左右され、重力に左右される。

進化にも必要だった。羊水が、僕らが生まれることを許すようになり、水中から陸上へ、そして、空へと羽ばたかせた。

酒に溺れ、愛欲に溺れるというように、比喩としても使われる。

水は様々な形となり、僕らの生活に住んでいる。

心と体の感覚を思い出す

2014.2.9

昨日は作業をしては眠り、作業をしては眠る、というサイクルで過ぎていった。途中、コンビニへ用事を済ませようと出たら、あまりの雪景色に驚いた。いや、懐かしい気持ちになったのだ。
 
日本を旅していたとき、最終的には、いつも山の中に入ってしまっていたのだが、誰もいない田舎道を歩いて山へ入るとき、雪が降っている地域では、あのような景色だった。
 
昨年、サンディエゴに展示をしにいったときに感じた懐かしさは、「旅をする感覚」だということに気が付いた。作品を作れば「心の旅」はいつでも出来る。しかし、心と体、2つがあってこその人間なのだから、心の旅だけでなく、それを体の旅ともリンクさせる必要があるのだろう。
 
満天の星空を、思い浮かべるのではなく、久し振りに実際に見に行きたいと思った。