Archive for 2013.4

雑記

2013.4.16

「The 30 years work.」を終らせることが出来た。一枚に約8ヶ月かかるって……職業人として稼ぎになりません。でも、作品が無くなった後の作業場の清々しさはたまらんね。ポートフォリオやら道具やら全部処分したくなってきた。これも1つの破壊衝動か。
 

 
なぜ人は争うんだろうか――議論を戦わせることは必要だろう。しかし、理想の強要、騙し、妬み、蹴落とし、恐れ、不安が巨大になれば、争いに発展するのは目に見えている。争いを生んできた今までのやり方が必要なのか? 競合でも構わないような製品をつくることが必要なのか? 騙すような広告?  
 
仮に僕がそれらをしなかった結果に死んだとして、死に顔が笑顔だったら、「食っていくため」と従属することを選んだ友人達は変わるのだろうかと疑問を抱く。
 

 
一旦落ち着いた花粉症が、最近またひどい。
 

 
沸騰している食べ物を食べたり(熱さ特訓)、柱と首を縄で縛って引っ張ったり(急所特訓)、2〜3階からダイブしたり(競争)、口から打ち上げ花火を発射したり(ピッコロ)、連続空中逆上がりの回数を競ったり(競争)……シラフの子ども時代に限界遊びを経験していない人達が多すぎる。
 
経験していない人達の傾向——飲み会ではいじるのは好きだが、いじられるのは嫌い。自分の話じゃないと貧乏揺すりをしている。語彙数が少ない。ピエロになることができない。揚げ足取りがツッコミだと勘違いしている。仕事では自分の都合にいいことばかりを並べる。あくまでも傾向だけどね。
 
正直は美徳だと思うが、真面目は美徳なのか? いや、真面目そうで通用するのが悪徳だ。馬鹿と思われてもいいから、嘘をつかずに生きる方が楽しいと思うよ。

雑記

2013.4.15


 
会話が噛み合っていなかったり、双方に苛立ちが生まれているとき、必ずと言っていいほど、双方ともに抽象度の高い単語を使っていながらも、その単語の意味を共有していない。
 
単語の使い方や言い回しを変える以上に、意味の共有が大切なことだと思っている。
 

 
日照時間が短かったり、強風の日が多かったり、寒かったり……どうにもならない天気に苛立つということは、僕の状態が悪いのだな。
 

 
「誉めた方が人は伸びる」と気付き始めたのは、いつぐらいからだろうか。
  

 
「競合他社でも良くない?」と思ってしまう広告が多いな。。。
 

 
「ありがとう」の使い方が下手だと「損しているよ」と思ってしまう。
 

 
「昔からディレクションをしていたな」と気が付いた。
 
写真の専門学校にまでわざわざ行ったのだから、スタジオや誰かの下に就いてカメラマン業に専念しながら、アート作品を制作していくのが普通だろう。僕は運がよかったのか、(レベルは度外視して)学生時代から展示や撮影の依頼を受けていて、勝手がわからないのと自身の性格も手伝って、依頼内容からこちらがベストと思うことを提案して制作していた(かなり我が儘だったけど……)。
 
その後、普通に進むはずだったカメラマン業界(?)を知っていくうちに、ディレクターによって整理整頓された依頼内容を、どれだけ的確に作り上げられるかという業務に惹かれるものがなかったのだ。
 
つまり、混沌とした状態を整理して、適切な形として作品をつくっていく一連の流れが好きなのだ。そして、これに気付いたことで「アートもデザインも同じじゃん」と考えるようになっていた。
 
「art / technê」、「designare」、「藝術」これらの言葉が意味していることが、今の僕の基盤になっている。

雑記

2013.4.14

残すべきものは既に残せているが、何が出来たのだろうか、何をしてきたのだろうか。俺は充分やれたのか。様々な疑問が残る中、作ることしかしてこなかったという思いがよぎる。
 

 
会話、電話、メール――ツールがあるということは使い方も違うということ。知識関係での「わからない」は会話や電話では言った方が良いが、メールで書かれていると「調べる能力が低い」か「怠惰」だと思ってしまう。普段の返信や連絡が遅いのを否定の意味と考えないのは、「無礼」であり「自惚れている」人間だと判断している。
 
遅くないのは、先方が30分で返してきたら30分以内で返す。2営業日が限界、それ以上は遅い。だって「メールはいつでも読める」が基本。滞ったことを考慮してもらいたいのなら、普段が大事。
 

 
コミュニケーションとは言わず、会話はキャッチボール。「(一度)言ったよね?」、「何度も言っているけど」、「理解できませんか?」など、会話の性質を把握していない発言をする人達が多すぎないか。
 

 
老若男女問わず、丁寧な人ほど連絡が早い。それって仕事が出来ることだと思っている。器用貧乏ではなく、どんなことでも出来る人。
 

 
器用貧乏というのは、出来ない人達の妬みぐらいに聞き流していいと思っている。出来る人は、出来る。一芸に秀でている人は、色んなことが出来ている。
 

 
出身畑を気にしすぎるのも妬みや恐れ。出来る人は出来る。今までの経験を応用出来るから。

雑記

2013.4.13

作って、作って、作りまくって見える景色に、まだ見ていない景色があるのだろうかと疑問を持っている。
 

 
生き切った感が、生き続ける理由がないことに変わったが、実務をしているとその感覚をほとんど忘れている。そうやって現代人は作られているんだと理解している。
 

 
彼岸にいく雰囲気を感じ取られているのか「妻子を持つこと」を勧められる。言いたいことはわかっているつもりです。でも、生きることにヒリヒリした欲望を感じなくなり、心の内が平穏なのです。それ以上、何を望めと?
 

 
人が笑顔でいると、「よかった」と思う。人生って本当は簡単な話だと思うんだよね。
 

 
取っ払いの仕事が好きだ。500円でも10万でも、現金(ゲンナマ)を掴む感覚と、その金で喰らうメシと酒は美味い。けれども、刻々と数字が変化する為替相場や株価も好きだ。硬貨や札束がどれだけ絶対的なもので、金(かね)がどれだけ相対的なものか。
 
でもメシや酒が美味くなるのは、取っ払いだ。そこに仲間がいれば、最高に美味い。「仕事をしたぜ!」って感覚を共有すると最高に美味い。
 

 
作品を処分して、家を引き払って、パスポートとゲンナマだけ持って、地面に絵を描くか通行人の携帯電話で写真を撮って現金を貰う生活でもいいな、と思ってきた。パスポートもいらんか。いや、ゲンナマもいらんか。昔、似たようなことをしていたな、貰った食い物や飲み物が美味かったことを今でも覚えている。対価が自分の肉になる実感か?

ポジティブに考える

2013.4.12

写真の優位性−−制作に於ける瞬発力、鑑賞に於ける説明の排除、保存に於ける中程度の持続力。
 
絵画の優位性−−制作に於ける可変性、鑑賞に於ける説明の排除、保存に於ける加筆力、復元性。
 
映画の優位性−−制作に於ける多数性、鑑賞に於ける没入感、保存に於ける高い持続力、互換性。
 

 
このようにポジティブな事柄として性質を考えていると、「写真でしかできないこと」は見つかる。混ぜても良いわけだし。ネガティブに考えれば、全てのジャンルに可能性を見出すことは難しいが、ポジティブ言語から考えてみれば可能性はまだまだ溢れている。何のために、「観」シリーズや「Flow」シリーズを作ったと思ってんねん。何のために、近しい人物を撮っていたと思ってまんねん。