雑記
2013.4.15日々のこと−
会話が噛み合っていなかったり、双方に苛立ちが生まれているとき、必ずと言っていいほど、双方ともに抽象度の高い単語を使っていながらも、その単語の意味を共有していない。
単語の使い方や言い回しを変える以上に、意味の共有が大切なことだと思っている。
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日照時間が短かったり、強風の日が多かったり、寒かったり……どうにもならない天気に苛立つということは、僕の状態が悪いのだな。
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「誉めた方が人は伸びる」と気付き始めたのは、いつぐらいからだろうか。
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「競合他社でも良くない?」と思ってしまう広告が多いな。。。
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「ありがとう」の使い方が下手だと「損しているよ」と思ってしまう。
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「昔からディレクションをしていたな」と気が付いた。
写真の専門学校にまでわざわざ行ったのだから、スタジオや誰かの下に就いてカメラマン業に専念しながら、アート作品を制作していくのが普通だろう。僕は運がよかったのか、(レベルは度外視して)学生時代から展示や撮影の依頼を受けていて、勝手がわからないのと自身の性格も手伝って、依頼内容からこちらがベストと思うことを提案して制作していた(かなり我が儘だったけど……)。
その後、普通に進むはずだったカメラマン業界(?)を知っていくうちに、ディレクターによって整理整頓された依頼内容を、どれだけ的確に作り上げられるかという業務に惹かれるものがなかったのだ。
つまり、混沌とした状態を整理して、適切な形として作品をつくっていく一連の流れが好きなのだ。そして、これに気付いたことで「アートもデザインも同じじゃん」と考えるようになっていた。
「art / technê」、「designare」、「藝術」これらの言葉が意味していることが、今の僕の基盤になっている。