Archive for 2012.8

死を思わされていた

2012.8.13

作品に引っ張られることは、昔よりも減ったと思っていたが、制作中の作品にかなり引っ張られていたことに気が付いた。倒木の作品、倒木の先に若木が成長し、大木になるのを観たのだったが、死を糧に生きる流れを創っており、即ち、元をただせば「死」だったのだ。ここ数週間に渡る鈍い不調の原因は、その性質に引っ張られてのことだった。不調が鈍く続いた分、ゆっくりと回復させていくしかない。ただ、タブローにおいて古くから題材とされてきた「メメント・モリ」を、自分が扱うとは夢にも思わなかった。

ケア

2012.8.12

あまりにも疲弊していたが、インスタントでの食事ではかえって鬱々としてしまうと思い、ゆっくり作れる食事にした。ベイクドポテトである。僕の場合は、ジャガイモを丸ごと1個ではなく、一口大の大きさにしてから焼くので、もしかしたらベイクドポテトではないのかもしれない。しかし、表面がカリッカリッになるまで焼き付け、スパイスで味付けされた芋は疲れた心身に染み渡っていく。焼き付けの時間に大体30分近くかかるので、読書をしながら作れるのも良い。酒を呑んだら食事を摂りたくなくなる性格なので、今日はお酒を呑まずに読書だけ。

意識と肉体と確信と…

2012.8.10

制作をしていると確証はないけれど、確信をもって動けるときがある。しかも、そういう時に限って、要となる作業だったりする。今日の場合は、フィニッシュワークだった。そして、最終的に選んだ道具が、「自分の拳」と「布(雑巾)」であった。この作品は、自分で制御出来ない要素も多分に入れているが、意識的に積み重ねられて進行される作品であり、それにも関わらず、最終的に選択された道具が「拳と布」というあたり、自分がクリーンでもスマートでもない表れなのかもしれないと思った。
 
考えを重ね、肉体のトレーニングを重ねた結果、委ねられるのが己の意識と肉体ということだった。

考察

2012.8.6

倒木に惹かれたのは、生命が繋がっていく様を目の当たりにしたからかもしれない。枯れて中身が空洞になった巨樹の内部には若木が育ち、倒れた後に移動させられた古株には種子が芽吹き、ところどころで緑が見つかる。死してなお生きている。その現在の生命力と、1本の木として生命を全うした巨樹の佇まいに惹かれ、幼子のように芽吹く若木に魅了されたのかもしれない。
 
そんなことを、さっき読み始めた『木』(著:幸田文)で思った。

すべて自然にまつわること

2012.8.4

銀杏(いちょう)の作品を進めるために、最近は銀杏のデッサンばかりしている。デッサンをすることで、銀杏の成長の仕方を体に染み込ませていると言った方が適切だろう。それにしても、木々同士の癒着など知らないことが多過ぎた。しかし、これらを知るためにデッサンに還ろうと感じ取った嗅覚はまんざらでもないな。そして、1種類の木を取り出しても、それぞれの木で成長の仕方が異なるが、ある程度の類型があることに気付く。類型と違いを結びつけて、「あの巨樹」の性質を掴み取れたら創れそうだ。
 
話は逸れて、最近は蚊に刺されてもあまり酷いかゆみにならないのだが、これは最近のトレーニングの強化と関係があるのだろうか?
 
再び話は逸れて(嗅覚ついでに)、初来店で美味しいお店をあてることが多くなったような気がする。