Archive for the ‘心の健康’ Category

感情はコストになる。

2019.3.11

仕事で色々な事業者と会っていると、上手くいく事業者と、そうではない事業者とで傾向があることに気がつく。
上手くいく事業者の特徴は、感情もコストだということがわかっている。
心配すること、憤ること、不安なこと、悩むこと、悲しむこと、迷わせること、これらはすべてコストになる。
時間や労力や経費と同じようにコストになる。
特に「仕事関係」になったときに忘れがちなのが、「迷わせること」だ。
「仕事なんだから」とか、「強い立場」などを使うことで、相手が迷ってしまうことを放っておきがちになる。
お客対応になると、迷わせるのはよくないと思いつつも、仕事関係になれば、これが問題になることを忘れてしまう。
ここに危機感を抱かないと、どんどん周囲の人達の対応が悪くなる。
そういう事業者の場合、仕事の関係性よりも、利益を生まない関係性を望む。
なぜなら、仕事での人間関係が、いつも上手くいかないからだ。
けれど、その事業者は、自身の振る舞いが、周りに感情のコストを支払わせていることに気がついていない。
人は感情のコストを支払うことが嫌いだ。
そして、嫌いなことをさせる人のことを、無下に扱うようになる。
結局は、お互い様になってしまうのだ。
迷わせたり、面倒をかけないようにすること、どんなことでも配慮が必要ということだ。
人間の基本は人に迷惑をかけるものだから、どこかでセーブしないとロクデナシになるということだ。

子どものように甘えるズルさを疑う。

2019.3.9

子どものように甘えるズルさを発揮していると、いつかはどれもこれも上手くいかなくなるような気がしています。
子どもは力がないから子どもなのです。
文字通りの身体的な力もないですし、考える力もない、支払い能力もない、配慮する力もないの、ないない尽くしです。
これらを身につけていきながら、「大人」と呼ばれるようになります。
どれもこれも上手くいかなくなっているとき、それは成人になっているだけで、大人になっていないってことでしょう。
最近、なんとなくの傾向がわかってきたのが、子ども成人って、データを作るのが下手です。
今の世の中、メールでやりとりしない仕事の方が少なくなってきていますが、書き方ひとつとっても、間違いに気がつかない書き方になっているんですよね。
日付と曜日を合わせずに書くと、どちらかが間違っていても気づきません。
けっこうこういうことって多いと思います。
書いている本人が気づかないのだから、読む方はもっと気づきません。
こういうことを、ひとつひとつ気にすることで、大人になっていくと思うんですよね。
配慮する力がつくってことです。
大人って、人を助ける力があるってことなんだよね。
人助けをしていると思い上がっているロクデナシも多いけどね。

仕事をすればするほど。

2019.3.3

何度か同じことを書いている気もするけれど、最善を尽くそうとすればするほど、最後は神頼みしかないと思うようになる。
月に一回、根津神社にお参りに行くのもそうだ。
単純に、根津神社でお祈りしているときが、気持ちいいというのもあるけれど、月の初めに「お願いします」と言いに行くのは、悪いことじゃないような気がしている。
デザイン経営やデザイン思考などと、あたかもデザインが万能薬のように語られるようになっているが、そんなもの詭弁だ。
どんな事業も、蓋を開けてみなければ、分からない。
黒字化してもなくなる事業はあるし、赤字でも続ける理由があれば続ける事業だってある。
誰もがハッピーになれる事業など存在しないが、それでも祈りの中では、依頼人の事業がすべての人を幸せにすることを願う。

「おっ」という嬉しさ。

2019.3.2

金曜日まで開催中だった、里山まるごとホテルと東向島珈琲店のイベントに行ってきました。
東向島珈琲店のレアチーズケーキと、能登の食材を使ったソースのコラボなんですが、ぼくはその中の「なつはぜ」というのを食べてきました。
和製ブルーベリーとも言われているらしいですが、詳しいことはみんなが勝手に調べてくれるとして、ぼくは感想を言っちゃいまーす。
めちゃうま。
もうね、その一言につきますが、食レポの仕事はぼくには来ないでしょう。
この、なつはぜソースのレアチーズケーキに、深みのある苦味が特長のコーヒーを合わせたのですが、その相性も抜群。
食休みに挟む、水も抜群。
私は水になりたい。
(わからない人のために、それを言うなら、貝だ)
とまぁ、メニューのおいしさを伝えていきたいのですが、ぼくが驚いたのは、マスターと話していて「こんなに話が合う人と久し振りに会った」と思えたこと。
共感するのが上手い人なのかもしれませんが、そういった斜に見なくても、「あ、話が合うな」と感じる瞬間ってあるでしょう。
話している間、ずっと感じていました。
学生の頃、クラス替えした初々しい関係の中、「おっ」ってなる興奮。
「放課後、あそぼーぜー」みたいな。
久し振りに感じたな〜。

最初の欲望とは。

2019.2.15

ランチ難民になるときがある。
お昼ご飯を食べるお店がなかなか決まらずに、彷徨いつづけることだ。
誰が最初に言ったのかはわからないが、社会人になって、いつのまにか自分でも「ランチ難民」という言葉を使うようになった。
 
お店が決まらない理由はたくさんある。
定休日だった、席が空いていなかった、気に入らなかった、などなど。
こういう理由が重なると、いつのまにかランチ難民になる。
そして、理由のうち、「気に入らなかった」が最も後悔する。
昨日がそうだった。
 
中華が食べたいと思いながら妻を駅まで送り、さらに歩いて駅にも自宅にも距離があるお店にするか、駅から戻って自宅を通り過ぎた近所のお店にするかを悩んで、後者を選んだ結果、定休日だった。
しかし、この選択肢の中に本当は、駅と自宅の間にもう一軒あったのだ。
以前食べて、お店の人の雰囲気が合わなくて、候補から外していた。
 
その結果、ぼくはランチ難民になり、昼食を食べるお店を探しに寒空の中、彷徨いつづけた。
蕎麦屋は満席。
唐揚げ屋は弁当で調理の間、外で待つ。
家の前の喫茶店は火曜日も行った。
他の喫茶店も今日の気分じゃない。
候補から外した店に行くのは馬鹿らしい。
自炊は嫌だ。
 
ここまでくると単なる駄々っ子と変わらない。
いい理由ではなくて、嫌な理由しか見つからなくなる。
こうなると、最初の「中華が食べたい」という欲望に、「気に入る店で食べたい」という欲望が加わっていることに気がつかなくなるんだ。
苦しくなるのは、自分のせいでもあるんだよな。