Archive for the ‘心の健康’ Category

集中力の質。

2019.9.29

「ジャンプ+」という漫画アプリの『左ききのエレン』で出てくる「集中力の話」が、ぼくはとても好きです。
実際にそういう説があるのかは知りませんが、集中力について三つの構造に分けて説明しています。
一つ目は、集中するまでの速度。
二つ目は、集中の持続時間。
三つ目は、集中の深さ。
 
この三つを掛け合わせたものが、その人の集中力の質になるという説なんですが、言われてみると「なるほど」と思います。
おそらく、ぼくは「早く、短く、深く」です。
この状態になったら、人の話はおろか、周りの状況は見えていないです。
だから、普段は集中するとき、集中の深度をコントロールしています。
深度を浅くすることで、集中する継続時間を長くしたり、周囲がコミュニケーションをとれる雰囲気にしています。
それでも、「話しかけちゃまずい感じ」がするようなので、もしかしたらうまくいっていないのかもしれませんが。
 
基本的に、ぼくの集中力の持続時間は短いのです。
それが分かっているから、毎日色々な仕事を入れ込んで、テンポよく切り替えています。
一つの案件を長時間かけて完成まで取り組むのではなく、ある程度区切りがいいところで、別の案件に切り替えます。
そうやっていくつかの案件を渡り歩くと、音楽アルバムの全曲リピートのように、最初の曲である元の案件に戻ってくるので、また区切りがいいところまで進めます。
この繰り返しです。
これは、過去に、仕事をしながら自分の集中力がどういうものか分かり、このやり方が自分にとっては、今のところのベストだと行き着いたわけです。
だから、他の人は違うやり方があっているかもしれません。
でも、そのための最初の一歩が、自分の集中力の質を把握するってことです。

遊んでもらうという感覚。

2019.9.28

自分より年下の人と遊んでもらうのは、とてもいい。
ひと回り、ふた回り離れていると、その世代の感覚を学ぶことができる。
仕事で関わると、どうしても、経験を積んでいる年上の方が、得意になりがちだ。
専門的スキルの勝負をすれば、30代後半から40代が、油も乗った強さを発揮する。
 
しかし、どんなに優れたプロフェッショナルでも、50代以降になると精密さは欠けてしまう。
そして、何もしなければ、年を重ねるにつれて、老害のような古臭い価値観に支配される。
たとえば、いま「持続可能性のある社会」をわざわざ宣伝しているのは、過去にCSRやCI(コーポレートアイデンティティ)、メセナ活動を事業の一環にした企業だったりする。
けれども、もっと若い人たちからすると、宣伝などする必要もないほど、「当たり前」なことだ。
むしろ、宣伝することによる、嘘臭さを嫌う。
こういうギャップに気がつかなくなるにつれて、老害は進行する。
 
自身の老害化を避けられるかどうかは、「遊んでもらうこと」にかかっているんじゃないだろうか。
年上の経験が勝てるのは、あくまでも専門的スキルであって、すべてじゃない。
しかも、専門的スキルの効率化やデジタライゼーションが関わるのなら、それすら敗北するだろう。
経験からくる直感の働かせ方や、洞察力、分別の勝負を除けば、年下ってけっこうすごいのだ。
特に、年上が経験していないことも、年下が経験している場合もあり、そのとき年下は先生になる。
こういうときには、素直に教えてもらえばいい。
「す、すげぇ」と驚くこと。
けっこうあるんだよなぁ。
おっさんになってきていて、若い人が関わってくれることに、あたしゃあ助かっています。

得ることを、失ったのだ。

2019.9.27

不思議だ。
自分も含めて、人は誰から言われずとも、自分のことをおっさんと呼ぶようになる。
じいさんや、ばあさんも同じだ。
 
このことについて考えていると、「失う経験」と「得る経験」のバランスが変わる瞬間が関わっているような気がしている。
昔から相談を受けるタイプだったが、年齢を重ねるにつれて、回答の仕方や回答しているときのイメージが変化している。
昔の回答方法は、自分の意見や考えを100パーセント話す感じだ。
それが今では、「この場合なら、こう。こうであれば、こう」というように、事象についての対応を話すような感じになり、理由を問われたら「人間って、そういうものだから」という回答になる。
 
ここから分かるのは、自分の視点から、他者の視点になっていること。
自分の視点を持っていた者が、他者の視点が手に入った後、何を手に入れるのか。
実は、ほとんどないのだ。
慌てることもほとんどなくなったし、何かがあったからといって、どうかなるわけでもないことも十分わかってしまった。
落ち着きを得たことで、慌てるを得ることも、落胆を得ることもなくなったのだ。
得ることを、失ったのだ。
人の相談を聞いていると、「この人は、まだ得るものが多いんだな」と思うようになった。
それと、「あぁ、この段階なんだな」とも思うようになった。
 
考えながら動くことが増えるにつれて、瞬発的な筋肉動作ができなくなっていく。
簡単に背中を痛めるし、活動力が減っていく。
動けなくなる前に、落ち着くための経験値を積み重ねることができて、あぁ、よかった、と思う。
今、30代を迎えた人がいるのなら、「動けなくなることを想像して、その時にできることを今のうちから身につけ始めるといいかもね」と、アドバイスするかもね。

「いいこと言う合戦」には乗らない。

2019.9.22

世の中は「いいこと言う合戦」になっている。
正直に言うと、ぼくはこれを避けている。
だからかもしれないが、「悪い言葉で言うと…」という前置きをしながら、あまり聞こえのよくない言い方をするときが度々ある。
 
人々が聞こえのいい言葉を使う理由はいくつかあるが、簡単にひとつ挙げると「印象をよく見せたいから」だ。
よく見せたい内容は、自分たちの事業がどんなに素晴らしく、自分たちの行いがどんなに善き行いで、どれだけ自分たちが優れているかを、誰かに示すためだ。
そして、何かを言うことで「何かを得たいから」だ。
だから、聞こえのいい言葉を使う人たちに共通していることがある。
それは、「弱い立場」だということだ。
 
事業が上向きに進んでいれば、わざわざ聞こえのいい言葉を使う必要がないし、お金に困っていなかったり、人材に恵まれている、仕事に恵まれているなども同じだ。
普通に自分の事業、自分の生き方をしていればいいだけだ。
そうじゃなく、上手くいっていない企業、お金の余裕がない企業ほど、いい言葉で人を説得しようとする。
そうして、協力者や資金を得ようとするものだ。
 
これは、ぼくらの仕事も似たような要素があると思われている。
ぼくらの仕事は、上手いことを言って、上手く見せてお金を稼ぐことのように思われやすいから、ぼくらの仕事を説明するときには、なるべくよく見せないようにしている。
一言二言で説明しなきゃいけない時は、ふざけているように見えるかもしれない、ぐらいに話していることもある。
 
というのも、この仕事は、お客にきついことを言わなきゃいけないときもあるし、費用だって安い仕事ではないと思われているし、予算で可能なことも決まってくる。
予算内でベストプラクティスを提案すると言っても、1000万円のベストと10万円のベストはやっぱり違う。
報酬以上の仕事にするかどうか、つまり、ぼくが赤字になる仕事にするかどうかを決めるのは、やっぱりぼくの気分次第なのだ。
そうじゃないと、ぼくが食えなくなる。
 
ここまででも、世間で耳にする聞こえのいい言葉はないだろう。
だが、どの業界のどの仕事、いや、もっと言えば、職業倫理を働かせている人の働き方に共通していることを書いている。
それでも、ありがたいことに仕事の依頼はある。
 
「いいこと」に酔いしれるときは、弱っているときじゃないのかな。
そう思って世の中を見渡してみると、日本人は、弱っているのかもしれない。

パラダイムシフトに必要なこと。

2019.9.20

大事なのは、学ぶ姿勢じゃないだろうかと、最近頻繁に思っている。
デザインが意識を変えられるという考え方は昔から存在している。
だが、その有用性が広まりつつあっても、普及はしてこなかった。
この理由があるとすれば、それが冒頭の「学ぶ姿勢」の足りなさだと思われる。
 
たとえば、今までが「意識A」だとすると、「意識B」に変えることが差し迫っている状態だとする。
この場合、根底の考え方から意識Bに変えないと意味がないのだが、ほとんどの人が意識Aの考え方のまま、意識Bを取り込もうとする。
だから、意識Bの人の話を聞き、試してみるだけにとどまり、意識Bの人から学ぼうという姿勢にはならない。
それで、意識改革が起きるわけもなく、そのために数々のことが古臭いまま残っている。
これは、若い企業でも同じ。
意識を変えることが下手ということは、学ぶ姿勢がないことでもある。