遊んでもらうという感覚。

2019.9.28心の健康, 日々のこと

自分より年下の人と遊んでもらうのは、とてもいい。
ひと回り、ふた回り離れていると、その世代の感覚を学ぶことができる。
仕事で関わると、どうしても、経験を積んでいる年上の方が、得意になりがちだ。
専門的スキルの勝負をすれば、30代後半から40代が、油も乗った強さを発揮する。
 
しかし、どんなに優れたプロフェッショナルでも、50代以降になると精密さは欠けてしまう。
そして、何もしなければ、年を重ねるにつれて、老害のような古臭い価値観に支配される。
たとえば、いま「持続可能性のある社会」をわざわざ宣伝しているのは、過去にCSRやCI(コーポレートアイデンティティ)、メセナ活動を事業の一環にした企業だったりする。
けれども、もっと若い人たちからすると、宣伝などする必要もないほど、「当たり前」なことだ。
むしろ、宣伝することによる、嘘臭さを嫌う。
こういうギャップに気がつかなくなるにつれて、老害は進行する。
 
自身の老害化を避けられるかどうかは、「遊んでもらうこと」にかかっているんじゃないだろうか。
年上の経験が勝てるのは、あくまでも専門的スキルであって、すべてじゃない。
しかも、専門的スキルの効率化やデジタライゼーションが関わるのなら、それすら敗北するだろう。
経験からくる直感の働かせ方や、洞察力、分別の勝負を除けば、年下ってけっこうすごいのだ。
特に、年上が経験していないことも、年下が経験している場合もあり、そのとき年下は先生になる。
こういうときには、素直に教えてもらえばいい。
「す、すげぇ」と驚くこと。
けっこうあるんだよなぁ。
おっさんになってきていて、若い人が関わってくれることに、あたしゃあ助かっています。

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