得ることを、失ったのだ。

2019.9.27体の健康, 心の健康, 日々のこと

不思議だ。
自分も含めて、人は誰から言われずとも、自分のことをおっさんと呼ぶようになる。
じいさんや、ばあさんも同じだ。
 
このことについて考えていると、「失う経験」と「得る経験」のバランスが変わる瞬間が関わっているような気がしている。
昔から相談を受けるタイプだったが、年齢を重ねるにつれて、回答の仕方や回答しているときのイメージが変化している。
昔の回答方法は、自分の意見や考えを100パーセント話す感じだ。
それが今では、「この場合なら、こう。こうであれば、こう」というように、事象についての対応を話すような感じになり、理由を問われたら「人間って、そういうものだから」という回答になる。
 
ここから分かるのは、自分の視点から、他者の視点になっていること。
自分の視点を持っていた者が、他者の視点が手に入った後、何を手に入れるのか。
実は、ほとんどないのだ。
慌てることもほとんどなくなったし、何かがあったからといって、どうかなるわけでもないことも十分わかってしまった。
落ち着きを得たことで、慌てるを得ることも、落胆を得ることもなくなったのだ。
得ることを、失ったのだ。
人の相談を聞いていると、「この人は、まだ得るものが多いんだな」と思うようになった。
それと、「あぁ、この段階なんだな」とも思うようになった。
 
考えながら動くことが増えるにつれて、瞬発的な筋肉動作ができなくなっていく。
簡単に背中を痛めるし、活動力が減っていく。
動けなくなる前に、落ち着くための経験値を積み重ねることができて、あぁ、よかった、と思う。
今、30代を迎えた人がいるのなら、「動けなくなることを想像して、その時にできることを今のうちから身につけ始めるといいかもね」と、アドバイスするかもね。

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