Archive for the ‘ビジネスの健康’ Category

移籍と競合。

2019.5.4

サッカー選手の移籍の話が頭に浮かび、「あ、ぼくらの仕事と似ている」と思った。
サッカーに限らず、プロスポーツの世界では移籍の話はよくあることだと思うが、同じリーグ内で移籍をすれば、今までの仲間は敵になる。
ぼくらの仕事でいうところの分かりやすい敵は、競合他社になる。
昔のことは知らないが、今では、同じ業界のA社の仕事を引き受けながら、B社の仕事も引き受けている事務所はけっこうあるようだ。
ある事務所でこの現場を見たとき、唖然とし、現場を取り仕切っていた人を尋ねた記憶がある。
結局、その事務所との付き合いはそれきりだ。
A社もB社もC社もというように、競合を分け隔てなく受け持てば、その分稼げるし、秘密保持契約さえ守れば問題はないのだろう。
その業界についても詳しくなれるので、専門性も上がるメリットがある。
だが、ぼくはこのやり方に馴染めないので、A社の仕事を持っているときは、競合他社の仕事は断るようにしている。
これを一業種一社とか、一業態一社と言う。
お陰様で事務所勤務時代から、これを守ってこられているのが自分でも不思議だ。
運がいいと思う。
一業種一社、一業態一社にしても専門性を上げることはできるし、むしろ競合のことなど知らずに、他業種他業態について知る方が、クライアントはオリジナリティ(差別化)を高めやすくなる。
そんなことを、自然とやってこれていたんだなぁ、としみじみ思った。
やはり、運がいい。

努力の基準。

2019.5.1

平成最後の日は、とてつもない発見がありました。
 
「俺の努力の基準は漫画」
 
練習をするとき、努力をするとき、仕事をするとき--「あいつだったら」と考える場合の「あいつ」は、漫画の登場人物であることが多いです。
実際にいた人でも、現実に生きている人をモデルにしたことは一人か二人ぐらいで、大抵お亡くなりになっている人を参考にしています。
たとえば「親鸞だったら」とか「ダ・ヴィンチが俺を見ている」とか。
だから、同世代や同僚とかの「頑張り度合」は、ぼくにとっては全然頑張っていないと感じられたんです。
事務所に勤めていた頃、朝はぼくが事務所の鍵を開けて、夜中に鍵を閉めるなんてことは日常になっていましたし。
泥臭く練習をして仕事をすることの基準が、フィクションである漫画になっていたから、怪我は増える。
でも、誰よりも早く成長する。
それが、結局ひとりで仕事をすることを選ばせたのに、全然孤独を感じないことになっていたんだと、昨日気がつきました。
『ドラゴンボール』の孫悟空の訓練量、『バガボンド』の武蔵の素振り量、『バクマン。』の亜城木夢叶の熱量--全員ボロボロになっても戦い続けます。
これ以外にもたくさんの漫画がぼくの基準になっています。
フィクションの努力量が基準だから、ぼく自身、体も心もボロボロで怪我をしても仕事を続けられたんだと気がつきました。
「漫画を読んでいてよかった〜」と思った瞬間でした。

線を引く。

2019.4.30

『DAYS』の努力を、ぼくらに当てはめて考えると、「線を引く」ってことだろう。
これは写真を撮ることしかしていなかった頃でも、大事にしていたことだ。
線から形にしていけばデッサンになり、デッサンは絵になる。
実際に手を動かしつづけた方が、頭の中でイメージもしやすいし、変更もしやすい。
線には、デッサンのように写す線と、デッサンとは関係なしに描く線がある。
どこかのレベルから描く線ができるというのはなく、どちらの線も、人が本来描くことのできる線であり、どちらも同時に成長させることができる。
ディレクターと呼ばれるようになって、「いまだにこんなこと(練習)を続けているのか」と言われることが増えてきた。
だが、この練習の数は、絶対に俺を裏切らない。
絶対だ。
怪我をしても、病気になってもだ。
線を引けば引いた分だけ悔しさがある。
線を引けば引いた分だけ発見がある。
だから、おもしろい。

『DAYS』はおもしろい。パート2。

2019.4.29

今日も引き続き、『DAYS』の話になりますが、「だっておもしろいんだもん」ということで、お付き合いいただけたら嬉しいです。
昨日、「『DAYS』の登場人物たちが、まるでぼくたちみたいだ」と書きましたが、その後、ひとっ風呂浴びてさらに気がつきました。
 
「足りない自分に気づくから必死になる」
 
『DAYS』の登場人物たちも、クリエイティブという仕事をしているぼくらも「足りない自分」を知っているのです。
こういう仕事をしていると、センスの塊のように思われたり、「すごいですね〜」なんて理由もなく褒められたりもしますが、自分としては「他の仕事ができない無能な自分」をわかっています。
 
例えば、ぼくはレジ打ちの仕事ができません。
昔、生鮮食品店のアルバイトでレジ打ちをしたとき、すぐさま「もっと効率よくできないか」や「これは人間の仕事なのか」と考えてしまい、仕事になりませんでした。
今でこそセルフレジがありますが、当時はそんなものありませんでした。
だから、「レジをお客にやらせる」なんて発想は、バカの極みだったのです。
こういうことはたくさんありました。
その度に、年上の方々からは、生臭な若者、口うるさい若者と言われました。
当時は実現可能な方法もわからなかったから、当然といえば当然なんですが。
 
そうやって、自分のできないことを自覚し、できることを伸ばしていった結果が、クリエイティブなんて言われる職業だっただけです。
この仕事だから、四六時中、仕事ができるだけなのです。

『DAYS』はおもしろい。

2019.4.28

『DAYS』というサッカー漫画が面白い。
群を抜いて不器用な主人公を中心とした物語がメインになるが、所々で挟む三年生の引退話がとてもいい。
部活の三年間だから、三年生=負ければ引退なのだ。
 
こういう状況は、社会人になって、仕事をするようになると少なくなる。
むしろ、「失敗を次に活かす」とか「失敗は失敗じゃない」というチャンスの方が多くなる。
これを知ってか知らずか、『DAYS』に出てくる高校生たちは「本当に全力を尽くしたか」と、自分自身に問いかけることが多い。
他のスポーツ漫画でもこういうシーンは多いけれど、『DAYS』はかなり多い。
 
愚直な主人公を筆頭に、主人公が在籍する高校の選手たちは、サッカーの名門校なのに、「自分が持っていないもの」を自覚し、周りから影響を受け、愚直に成長していく。
「センスがある」とチヤホヤされる選手でさえ、努力のシーンというか「持っていない」シーンが出てくる。
そして、「自分は本当に全力を尽くしたのか」と疑問を持ち、成長を目指し、ひたすら練習を繰り返す。
失敗したら、悔しい。
力になれなかったら、悔しい。
そういったことも、どんどん出てくる。
悔し涙を流す主人公につられ、ぼくも、けっこう泣いている。
 
そうして気づいた。
ここで出てくる若者たちは、ぼくらの姿だ。
 
ぼくらの仕事は「売上」や「利益」という結果が出る。
けれども、ぼくらの仕事がこれに貢献しているかどうかという数値は出ない。
(数値を出している所もあるようだが、経済学をちょっとでも習えば、これらの数値の妥当性が低いことはすぐにわかる)
だから、売れたときは「ぼくらのおかげ」と感謝されることはない一方で、売れなかったときは「ぼくらのせい」になることが常だ。
クリエイティブという職は、そういう職業だ。
 
心血注いで作った商品も、売れなければ廃止、つまりそこで終わる。
四六時中考えて、手を動かして関わったものでも、売れなかったら製品は販売終了で、企画はなくなり、企業は倒産する。
そして、離れ離れになる。
「もっと長く商品を販売できたんじゃないか」、「もっと企画を続けられたんじゃないか」と、考える余地がなくなるほどやっても、結果がすべてなのだ。
だから、商品や企画と長く一緒にいられるように、彼らとの生命の時間が続くように、この不安をなくすように、ぼくらは毎日考え、手を動かし、成長のための練習を欠かさない。
締切という時間がくるまで、やりつづける。
これをぼくらはブラッシュアップという。
だから、ブラッシュアップなんて格好つけて言っているが、これは愚直な成長を試し続けることだ。
 
『DAYS』に話を戻すと、負けたら終わりの他にも、三年という期間が来たら終わるのも部活だ。
 
どんな理由であれ、関わった商品や企画が終わるのは悔しいものだ。
老舗の看板商品も、つねに進化を続け、ラインナップを変えるシリーズだってある。
売上という結果がよくてもだ。
どんなものでも終わりがある。
進化のために、自分から終わりを告げるときもある。
リニューアルなんてまさにそれ、「リニューアル前のものは、俺が終わらせたんだ」と、肝に命じている。
 
『DAYS』を読んでいると、まるでぼくらのようだ。