努力の基準。
2019.5.1ビジネスの健康, 日々のこと平成最後の日は、とてつもない発見がありました。
「俺の努力の基準は漫画」
練習をするとき、努力をするとき、仕事をするとき--「あいつだったら」と考える場合の「あいつ」は、漫画の登場人物であることが多いです。
実際にいた人でも、現実に生きている人をモデルにしたことは一人か二人ぐらいで、大抵お亡くなりになっている人を参考にしています。
たとえば「親鸞だったら」とか「ダ・ヴィンチが俺を見ている」とか。
だから、同世代や同僚とかの「頑張り度合」は、ぼくにとっては全然頑張っていないと感じられたんです。
事務所に勤めていた頃、朝はぼくが事務所の鍵を開けて、夜中に鍵を閉めるなんてことは日常になっていましたし。
泥臭く練習をして仕事をすることの基準が、フィクションである漫画になっていたから、怪我は増える。
でも、誰よりも早く成長する。
それが、結局ひとりで仕事をすることを選ばせたのに、全然孤独を感じないことになっていたんだと、昨日気がつきました。
『ドラゴンボール』の孫悟空の訓練量、『バガボンド』の武蔵の素振り量、『バクマン。』の亜城木夢叶の熱量--全員ボロボロになっても戦い続けます。
これ以外にもたくさんの漫画がぼくの基準になっています。
フィクションの努力量が基準だから、ぼく自身、体も心もボロボロで怪我をしても仕事を続けられたんだと気がつきました。
「漫画を読んでいてよかった〜」と思った瞬間でした。