Archive for the ‘ビジネスの健康’ Category

経験値を積むには。

2019.9.25

相談内容を聞いていて、「もったいないな」と思うときは、相談内容に将来性が見受けられないときだ。
今までの経験を捨てたり、固執したりすると、大抵はそのような内容となる。
今までの経験をいい感じに活用したり、キャリアチェンジをするのには、ある種の軽妙さが必要となる。
人によっては、ずる賢さに映るかもしれない。
だが、愚鈍に生きようとしている人は、どこかで、弱者になる自分に酔いしれているところもある。
別に自分を大きく見せる必要もないが、小さくなる必要もないものだ。
 
経験というのは、プラスを積み重ねて出来ることを増やすことでもあるし、過ちを犯して「こうしない方がいい」と思慮深くなったり、過ちまでいかずとも「これは無駄だな」という分別をつけたりすることだ。
中でも、ある年齢まで達しても、「え、そんなことも…」と言われるような場合は、これらの経験が足りていないことでもある。
 
どう生きて、どう死にたいか、ということも含めて将来性だ。
だから、経験というのは、何事にも代え難いと、この年齢で相談事を受けていて本当に思う。
 
ここまで読んでいたら、知りたくなるのは「どうしたら経験値を増やせるか」だろう。
だが、経験値を増やせる人というのは、誰に言われずともやっちゃうものだ。
ぼくの話で恐縮だが、最近はじめた動画だって、誰かに言われて始めたのではない。
スマホでも撮れるし、買い換えたカメラにも動画の撮影機能がある。
そして、動画を編集するソフトと、ある程度耐えられるパソコンを持っている。
「じゃ、やってみよっか」と、なるかならないかで経験値の差が生まれる。
 
それと、休みの日も仕事に関わることをしているということだ。
下手に仕事とプライベートを分断させると、仕事を悪としがちなのが人間の性だ。
「別に、他に楽しいこともないし、仕事っぽいことしちゃおう」ぐらいのテンションでいると、いつの間にか、人よりも経験値を積んでいることになっている。
これも、誰かに言われなくても、やれることなんだけどね。
 
結局は、「やっちゃう人」が経験値を積むんだ。

お茶から考える。

2019.9.23

朝、お茶を淹れる。
その日に飲むお茶を多めに淹れて、冷蔵庫で冷やしている。
最近は、妻が淹れることが多くなってきたので、ぼくは冷蔵庫で冷え冷えになっているお茶を、有り難く飲んでいる。
お茶を飲んでいると、世界中でお茶を飲んでいる人がいることに驚く。
飲み方や味はそれぞれだが、「お茶を飲む」というのは、多くの民族や国で見かける行いだ。
こうも言葉や文化が違うのに、所々で同じようなことが、ぼくらには備わっている。
お茶を飲むという行為ひとつとっても、同じ部分と、違う部分の両方があるもんだなぁ。
 
断っておくけれど、今日の話に壮大な内容はありましぇん。
作業をしながらお茶を飲んでいて、ふと思ったことを書いてみた。
けれど、考えの行き着く先は、いつも考えていることになってしまった。
 
同じことも、違うことも、どっちも大事なんだよなぁ。
同じだけでも、違うだけでも、ダメなんだよね。
差別化だけじゃ、売れないんだ。
 
先日の能登出張で買った野草茶。
やちさんというお母さんが作ってくれていた野草茶の茶葉(?)が、今年から茅葺庵で販売され、毎回美味しく頂いているぼくは迷わず購入。
野菜の皮や、葉っぱとか、本来なら捨てるような野菜屑が、こうやってお茶になるんだ。
しかも、うまい。
これが重要なんだよね。
勿体無いだけじゃお涙頂戴や正義の使者になってしまう。
ちゃんと、美味しいから、飲みたくなるし、買いたくなるんだ。
三方よしを体現しているお茶なんだ。

「いいこと言う合戦」には乗らない。

2019.9.22

世の中は「いいこと言う合戦」になっている。
正直に言うと、ぼくはこれを避けている。
だからかもしれないが、「悪い言葉で言うと…」という前置きをしながら、あまり聞こえのよくない言い方をするときが度々ある。
 
人々が聞こえのいい言葉を使う理由はいくつかあるが、簡単にひとつ挙げると「印象をよく見せたいから」だ。
よく見せたい内容は、自分たちの事業がどんなに素晴らしく、自分たちの行いがどんなに善き行いで、どれだけ自分たちが優れているかを、誰かに示すためだ。
そして、何かを言うことで「何かを得たいから」だ。
だから、聞こえのいい言葉を使う人たちに共通していることがある。
それは、「弱い立場」だということだ。
 
事業が上向きに進んでいれば、わざわざ聞こえのいい言葉を使う必要がないし、お金に困っていなかったり、人材に恵まれている、仕事に恵まれているなども同じだ。
普通に自分の事業、自分の生き方をしていればいいだけだ。
そうじゃなく、上手くいっていない企業、お金の余裕がない企業ほど、いい言葉で人を説得しようとする。
そうして、協力者や資金を得ようとするものだ。
 
これは、ぼくらの仕事も似たような要素があると思われている。
ぼくらの仕事は、上手いことを言って、上手く見せてお金を稼ぐことのように思われやすいから、ぼくらの仕事を説明するときには、なるべくよく見せないようにしている。
一言二言で説明しなきゃいけない時は、ふざけているように見えるかもしれない、ぐらいに話していることもある。
 
というのも、この仕事は、お客にきついことを言わなきゃいけないときもあるし、費用だって安い仕事ではないと思われているし、予算で可能なことも決まってくる。
予算内でベストプラクティスを提案すると言っても、1000万円のベストと10万円のベストはやっぱり違う。
報酬以上の仕事にするかどうか、つまり、ぼくが赤字になる仕事にするかどうかを決めるのは、やっぱりぼくの気分次第なのだ。
そうじゃないと、ぼくが食えなくなる。
 
ここまででも、世間で耳にする聞こえのいい言葉はないだろう。
だが、どの業界のどの仕事、いや、もっと言えば、職業倫理を働かせている人の働き方に共通していることを書いている。
それでも、ありがたいことに仕事の依頼はある。
 
「いいこと」に酔いしれるときは、弱っているときじゃないのかな。
そう思って世の中を見渡してみると、日本人は、弱っているのかもしれない。

パラダイムシフトに必要なこと。

2019.9.20

大事なのは、学ぶ姿勢じゃないだろうかと、最近頻繁に思っている。
デザインが意識を変えられるという考え方は昔から存在している。
だが、その有用性が広まりつつあっても、普及はしてこなかった。
この理由があるとすれば、それが冒頭の「学ぶ姿勢」の足りなさだと思われる。
 
たとえば、今までが「意識A」だとすると、「意識B」に変えることが差し迫っている状態だとする。
この場合、根底の考え方から意識Bに変えないと意味がないのだが、ほとんどの人が意識Aの考え方のまま、意識Bを取り込もうとする。
だから、意識Bの人の話を聞き、試してみるだけにとどまり、意識Bの人から学ぼうという姿勢にはならない。
それで、意識改革が起きるわけもなく、そのために数々のことが古臭いまま残っている。
これは、若い企業でも同じ。
意識を変えることが下手ということは、学ぶ姿勢がないことでもある。

お節介を働いているだけ。

2019.9.19

以前にも書いた気がするが、「提案する」とかっこいい言い方をしても、その中身は「お節介を働く」のと変わらない。
分かっている人が、分かっていない人に働きかけるというのは、お節介の図式と変わらない。
見て見ぬ振りが出来ないというのは、送り手側の立場であって、受け手側の立場ではない。
なので、仕事で提案をするときには、一度しか言わないようにしている。
経験上、一度言ってきっかけを掴めない人(分からない人)というのは、どれだけアプローチを変えても分からないものだ。
一度お節介を働いて、立ち止まって考えることができる人には、もう一度お節介を働いて「考えるための手助け」をする。
こうやって、きっかけを掴んだ人にはお節介は続けていくし、一度目で分からずに、スルーしたり拒んだりした人には、もう何も必要がないので、何も言わないようにしている。
痛い目を見た方がいいのかもしれないし、もしかしたら、うまく進むかもしれない。
どちらにせよ、お節介をモノにしなかった人は、それを選んだのだから。
こういう考え方になってから、提案が通らなくても、ムキならないで済むようになった。
「お節介を働いているだけ」と思うと、精神衛生上とてもいい。