お茶から考える。

2019.9.23ビジネスの健康, 体の健康, 日々のこと

朝、お茶を淹れる。
その日に飲むお茶を多めに淹れて、冷蔵庫で冷やしている。
最近は、妻が淹れることが多くなってきたので、ぼくは冷蔵庫で冷え冷えになっているお茶を、有り難く飲んでいる。
お茶を飲んでいると、世界中でお茶を飲んでいる人がいることに驚く。
飲み方や味はそれぞれだが、「お茶を飲む」というのは、多くの民族や国で見かける行いだ。
こうも言葉や文化が違うのに、所々で同じようなことが、ぼくらには備わっている。
お茶を飲むという行為ひとつとっても、同じ部分と、違う部分の両方があるもんだなぁ。
 
断っておくけれど、今日の話に壮大な内容はありましぇん。
作業をしながらお茶を飲んでいて、ふと思ったことを書いてみた。
けれど、考えの行き着く先は、いつも考えていることになってしまった。
 
同じことも、違うことも、どっちも大事なんだよなぁ。
同じだけでも、違うだけでも、ダメなんだよね。
差別化だけじゃ、売れないんだ。
 
先日の能登出張で買った野草茶。
やちさんというお母さんが作ってくれていた野草茶の茶葉(?)が、今年から茅葺庵で販売され、毎回美味しく頂いているぼくは迷わず購入。
野菜の皮や、葉っぱとか、本来なら捨てるような野菜屑が、こうやってお茶になるんだ。
しかも、うまい。
これが重要なんだよね。
勿体無いだけじゃお涙頂戴や正義の使者になってしまう。
ちゃんと、美味しいから、飲みたくなるし、買いたくなるんだ。
三方よしを体現しているお茶なんだ。

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