Archive for the ‘ビジネスの健康’ Category

遊びだから好きになる。

2019.11.24

今年の前半は「うんこアプリ遊び」を発明(?)して、その後、研究がてらガンプラやスマホゲームにハマり、今は頼まれもしないで、世界一好きな近所のお店のロゴと看板を作っています。
「どこにそんな余裕があんの?」と問われても、「そんなもんお構いなし」と答えるしかありません。
なぜなら、これ全部、「遊び」なんです。
 
今の世の中は、ちょっとした機能におしゃれなデザインをくっつけて、持続可能性だよね〜、社会貢献だよね〜、という言葉をくっつけて売っているものがほとんどです。
まぁ、売れるものって、そういうものです。
チームで和気あいあいと進行させるやり方とか。
でも、同時に、もうみんな飽きてきている頃でしょう、というのは随分前からぼくは話しています。
飽きているなら救いはありますが、既に息苦しいところまできているのが、今の日本です。
それでも、ここから外れるのって、どこか「頭イカれてんちゃうか」と後ろ指さされるような気もして、誰も脱線しないわけです。
 
ぼくは今年の初めから、脱線し始めました。
まだ試験段階なのかもしれませんが、二年前の資料を読んでいて、大きく自分が成長していることに気がつきました。
遊びの感覚で続けてきたことが、専門的な技術となる。
気持ちいいから続けて、続けるから専門家となる。
これが健康的な職業の就き方じゃないかと、気づいたのです。
 
思えば、ぼくはセンスがあるわけではありません。
メゾンブランドを着るわけじゃないし、ファストファッションや、エシカルファッションをしているわけでもないです。
いつでも仕事ができて、仕事の邪魔にならない服装を選んでいます。
写真だって、ぼくよりも才能のあると思った人たちが、どんどん辞めていきました。
デザインだって同じです。
才能のある人たちが、つまらない仕事と会社にいることを選んで、日々を過ごしている。
そして、原石だった才能を磨くのではなく、土中深くに自ら沈めてしまいます。
 
別にそのことについて、何かを言おうとは思いません。
仕事って、誰に言われずとも、もっと楽しいことっていうことです。
人と関わっておもしろくなるとか、つまらなくなるとか以前に、自分がおもろいと思ったことを続けるから、力がつくわけです。
飽きたら辞めちゃって、また興味が出たら再開すればいいわけで。
好きこそ物の上手なれ、とはよくいったものです。
仕事だから好きになるんじゃなくて、遊びだから好きになるんだ。

機材負担と経営者。

2019.11.23

昨日の展示会。
展示品よりも、記録撮影をしているカメラマンの違いに興味をもった。
会場に点在しているカメラマン。
双肩にはC社、N社のフラッグシップの一眼にストロボを装着させて、それぞれ一台ずつの、合計二台持ち。
中には三脚までくっつけている人もいる。
これは日本の展示会では見慣れた光景だ。
一方で、欧州企業が集まっているブースのカメラマンの装備。
ミラーレスと思われる小ぶりなカメラに、手振れをしないためのジンバル(スタビライザー)と呼ばれる装置をつけて撮影している。
人混みを縫いながら、動画を撮影している。
ジンバルをつけていると、普通の歩き方と違う「ジンバル歩き」になるので、よくわかる。
どちらがカメラマンの負担を減らすかは明白だ。
だが、機材一式を変えるというのは、雇われカメラマンでは承認されない。
つまり、経営者の考え方の違いだ。
日本でも、高い従業員ランクに比べて、低い労働生産性が注目されるようになってきた。
それは、デービッド・アトキンソン氏が言うように、経営者のレベルの低さだ。
先日、「企業の目的とは利益を出すこと」と書いたが、それすらわかっていない格好つけの経営者が多いのも事実だ(私が会った中でだが)。
そういう経営者の下では、従業員が安い賃金と、長い労働時間と、パフォーマンスの低い機材によって我慢を強いられている。
「我慢するぐらいなら、さっさと辞めればいいじゃん」というのが、私の考えだが、どちらにせよ、変わらなければならない層が変わらない限り、日本は変わらない。
ちなみに、展示会の記録であれば、「最新のスマホにジンバルつければいいじゃん」というのが私の考え。

Good Person, Good People.

2019.11.21

作れない人が、別の人が作ったものに対して、ジャッジをしている現場に遭遇すると「憐れだな」と思ってしまう。
患者が医師の治療に対して、ジャッジをしているようなものだ。
職業倫理を完全に無視した、そんなとんちんかんなことをしている現場はたくさんある。
こと、我々の仕事に対して、患者である依頼人がジャッジをする現場というのは、大抵クオリティが下がる。
しかも、ジャッジをするという行為によって、物知り顔にならなければいけないのだから、憐憫としか言いようがない。
 
そして、その人がどんな行動に移るかというと、自分の息のかかったスタッフでチームを再編するということ。
こういう現場は数知れないが、見かけても、ぼくは放っておくようにしている(ぼくの制作物であれば職業倫理が込められているので言う必要がないし、発言を求められても一度しか言わないようにしている。その理由は後述)。
そのような人は治らない。
そのような人を雇ってしまったことを、後悔してもらうしかない(本当に困っているのなら、利己的な人が気持ちよく辞めれるような道を与えてあげることだ)。
 
上記のことを、ぼくのブログでも何度か紹介している『GIVE & TAKE』という本の言葉を借りるなら、テイカー(奪う人)は自分にとって都合のいい人で周囲を固める。
採用でよくみかける「条件に合う人を採用する」ということもそうだ。
だから、ほとんどの採用は失敗する。
 
テイカーの逆であるギバー(与える人)は、テイカーの食い物にされるか、賢いギバーならテイカーと距離をとる。
テイカー(奪う人)が社内にいると、ギバー(与える人)がいなくなり、マッチャー(損得勘定で動く人)がテイカーとなる。
だから、テイカーが社内に入ると、テイカーが溢れるようになる。
テイカーは一見すると愛想がいいので、やりとりが活発ないい現場のように見えるが、その中身はそれぞれが利用し合う現場となっているだけ。
テイカー、ギバー、マッチャーはその人の性質だから、治らない。
先述の「条件に合う人を採用する」というのは、損得勘定で動くマッチャーや、自分の人生のために周囲を利用するテイカーが集まることになる。
だから、失敗する。
 
つまり、テイカーがいると、テイカーを引き寄せ、職業倫理も働かず、利己的な議論が活発になるという悲惨なことになる。
採用試験を与えなきゃいけないのなら、サンポノであれば「GIVE & TAKE アセスメント」を受けてもらうだろう。
昔から言っているが、スキルなんて1〜2年で覚えさせることができるんだから、それよりも「いい人」が必要なんだ(ここで「そんなに早く覚えられる訳が無い」と言っている人がいたら、その人の考えているのは「自分が苦労して身に付けたスキルがそんなんじゃ割りに合わない」という損得勘定だ)。
 
ぼくはこの本を読んで、人生に大切なのは、与えること、そして「いい人」と出会うことだと確信した。
お節介に提案したり、テキストを作ったり、お土産持って行ったり、叱ったり、アホなこと言ったり、笑わせたり……たくさんの差別とやっかみを受けた人生でも「笑って死ねるなら、ま、いっか」と思って生きてきたことが、そのままでいいと思えたのだった。
脱線してしまったが、「Good Person, Good People.」、出会ったら奇跡。

企業として当たり前のこと。

2019.11.20

本来、企業の目的というのは「利益を出すこと」だ。
これをみんな間違って、企業の目的を「社会貢献すること」だと、格好つけて嘯(うそぶ)いてしまう。
すると、従業員は低賃金でやることが増えて、労働時間も増えて、苦しむことになる。
経営者自身も、頭の中で考えていることや、経営会議で話すことと、外向けに話していることのギャップに目を背けるようになる。
一方で、利益に支配されて、安く仕入れて高く売ることが、経営者の仕事だと勘違いしている人もいる。
結論から言うと、どちらも間違っている。
 
もう一度言うが、企業の目的とは「利益を出すこと」だ。
もしも、社会貢献をしたいのなら、利益を増やして、納税額を増やせばいい。
足りなければ、さらに寄付をしてもいい。
これは未上場でも上場企業でも同じだ。
 
どうしても、社会貢献という言葉を使いたい人のために、逆算して話していこう。
社会貢献をするために、納税額を増やす。
納税額を増やすために、利益を上げる。
利益を上げるために、いい商品やいいサービスを提供する。
いい商品やいいサービスを提供するために、いい人材を獲得する。
いい人材はそれに見合った報酬や条件が必要になる。
これは、いい商品やいいサービスを適正価格で売るのと同じだ。
 
この一連の流れは別にぼくの主観ではなく、そういう原理であり、変えようがないことだ。
だが、どこかのコンサルに毒された経営者が多いのか、地方に行っても、都心にいても、格好つけの経営者ばかりと出会う。
そういうことを話していたら、同じことを言っている人がいた。
読んでみたら、時間の使い方や川の流れと見立てる人生観など、似ているところが多かった。
その本は、堀江貴文さんの『時間革命』という本。

おいしい料理と、クリエイティブ。

2019.11.19

最寄駅の近くに、ランチがとてもおいしいカフェバーがあります。
カフェ時間は閉まっているから、カフェバーと言っていいのかは疑問ですが、ジャズバーと言ったら夜営業しかやっていないようだし……。
そんな、「こうだ」と言うのが難しいお店なのですが、気難しいということはまったくなく、しかもご飯がめちゃくちゃおいしい。
ぼくはハンバーグか週替わりのランチを食べるのですが、ここのハンバーグは、おいしいです。
ま、いつも通り、「食べればわかるよ」と言うしかないんですが、完全に王道の洋食です。
これに、ライス、サラダ、デザート、そしてコーヒーがついてきます。
「おいしい」っていうのは、単体のおいしさもあるし、バランスのおいしさもあります。
その両方の次元がすこぶる高い。
値段云々よりも、このおいしさを知ったら、行っちゃいますよ。
 
ぼくはこのお店に入る度に、「惜しいことをした」と思うのです。
なぜなら、ぼくがこのお店に入ったのは、この街に引っ越してから一年半が経とうとしていた頃なのですから。
理由は、お店の看板が、まったくおいしそうじゃないこと。
なにがどうとかはここでは言う必要がありませんが、ここに来る度にデザインや写真、イラストレーションの力って、とても大事だと思うのです。
ご飯はおいしい、接客も素敵、雰囲気もおちつく。
なのに、いつも混んでいるわけではなく、時間によっては、お客がぼく一人ということもあります。
 
けれど、このお店が、その状況をどう考えているかは、まだわからないので、ぼくは何も言わないようにしています。
お店の人が、今のお店を最高だと思っていたら、ぼくが何かを言うのは野暮ってもんです。
本当に必要なら、協力するタイミングがやってくるはずです。
流れに身を任せるというのも、大事なことです。