Archive for the ‘おすすめ’ Category

英語学習。

2019.11.11

9月からテンプル大学の生涯教育で英語を学んでいますが、ドイツに行って思いました。
「通っていてよかった」と。
慣れるということを痛感したんですよね。
 
慣れると、不安が減る。
不安が減ると、移動距離を増やすことができる。
移動距離が増えると、出会うものが多くなる。
出会いが多くなると、学びが多くなる。
 
ドイツは寒く、生憎の天候の日が続いたのにも関わらず、毎日外に出て、どこかしらに行っていたのは、英語に関する不安が減っていたことが大きいです。
これって、子どもが徐々に移動距離を増やしていく過程と同じだと気づきました。
食う寝る泣くしかできなかった赤子が、這うことができるようになり、歩けるようになり、自転車に乗れるようになり、移動距離が増えていきます。
安心できる人がいないと泣いていた子が、いつの間にか、その人がいなくても色んなところへ自ら行こうとします。
それは、安心できるものによって、不安が減っているからです。
この段階って、不安に打ち勝つよりも前の段階です。
不安が減って、経験して、「あれ?けっこういけるじゃん」「ちょっと楽しいじゃん」を積み重ねている段階です。
これを積み重ねていくうちに、「不安に打ち勝つイメージ」ができるようになって、不安に挑むようになります。
 
超初心者クラスのグループレッスンを、たった1ヶ月弱。
徐々に、普段の会話にも英語が混ざってきて、お笑い芸人のような話し方になっているときもありますが、それはそれで必要な段階だと思っています。
日本語英語を「あれ?」と思ったり。
こういうのも、ちょっとずつ慣れてきているってことなんでしょう。
学校に通うの、ありですよ。

Red Dot Awardの振り返り。

2019.11.10

そろそろRedについて振り返ってみよう。
他の受賞作で、「すげぇな」と思ったものの傾向は、アイデアがあること。
いや、アイデアで押し切っている、と言えるかもしれない。
 
例えば、卵の包装パックを再利用したクッション材。
再生紙っぽい紙で作られた卵のパックで、割れ物に巻きつけて、本来なら卵が収まる凹凸を利用して止める。
ただこれだけだ。
「巻きついていない箇所をぶつけたら割れるよな」と思いつつ、紹介ムービーを見ていると、やはりそんなシーンは登場させていなかった。
けれど、これを商品化する押し切り力というか、寄り切り力はすさまじく、アイデアを製品化する軽妙さに感心した。
これにGOを出せる社長って、どんなだよ。
日本の繊細な消費者とビジネスマンを相手にしたら、こんなのは商品にならないだろう。
十中八九、プレゼンの場で馬鹿にされる。
ぼく自身も、製品化の段階で、もうちょっとなんとかならないかと手を掛けてしまう気がしている。
しかし、手を掛ければ掛けるほど、軽妙さはなくなり、安心感という重さが生まれてしまう。
 
他に強い興味を持ったのは、「色盲テストで見かける模様を使って、色覚異常の見え方を、街行く人々に体験させるイベント」だ。
全部の英語が聞き取れていなかったので、間違っているかもしれないが、その模様は色盲テストの模様を模しているだけで、実は全くの別物であり、これを白いトラクターに投影して、色覚異常の見え方を擬似体験させている。
模様を似せているだけなので、健常者であっても、模様が何を表しているのかは「分からない」。
けれど、この「分からない」ことを経験させることで、色盲の人が普段経験している「分からない」を経験さえているのだ。
これを日本でやったら、炎上するだろう。
それぐらい、乱暴な側面もある。
だが、突如として「分からない」を擬似体験させることで、その切迫さは、より強靭なものになる。
 
他にもこういう作品はいくつかあり、いま自分の中で強く残っているのは、こういったアイデア先行型の商品やサービスだ。
 
こういう話になると、アイデア先行型か安定型のどちらが優れているか、という議論になるが、結局は使い分けだ。
軽妙さとおちつき。
だが、「いつ」「どこで」発表するかも大事なんだ。
先に挙げた二つは、日本ではリコール対象や炎上しやすい。
両方使いこなせる人でありたいと思うが、話したところで話にならない可能性もある。
昨日の通貨の話でさえ、基本的にぼくの話は日本の人々から「無理だよ」と笑われることが多い。
だが、昨日の話もそうだったように、自分一人でも考えていれば、いつかはどこかで実現される日がくるだろう。
ぼくじゃなくても、そのアイデアを見れるときが面白いんだ。

先端が綺麗な人。

2019.10.30

昨日は木曜日からの出張のため、荷造りをしていました。
初めてのドイツで、日本よりも1ヶ月近く季節が進んでいるらしいので、まぁ、服が多い。
しかも、今回は授賞式のために行くから、スーツも持っていかなきゃいけない。
タキシードじゃなくてもいいみたいだから、それが唯一の救いか。
流石に、革の紐靴は持っていくのを諦め、普段履いているNAOTさんのディレクターを履きます。
今回はこの一足で、出張のすべてをこなそうと思います。
旅路での靴選びはとても重要ですが、やはりこのNAOTさんの靴は普段履きから、仕事履き、旅履きと、本当に色々活躍してくれます。
 
と、そんなことを書いていたら、NAOTさんから今回のような出張にうってつけの新作が出ているじゃないか。
内羽根式の紐靴で名前は「オーディエンス」。
以前からあったと思う外羽根式の革靴は「ウィズダム」。
「ディレクター」と「ウィズダム」と「オーディエンス」って、また憎い組み合わせです。
 
自分のことになってしまいますが、昔から靴にはうるさい方だった気がします。
子どもの頃も、自分で靴を選んでいました。
お金を払うのは親なんだから、生意気な子どもですね。
しかも、当時の普通のスーパーの子供靴売り場の中から選ぶんですから、たいして差はなかったでしょう。
それでも、「選ぶ」という経験を重ねることで、「靴を選ぶ」ということと「靴を気にする」ということの意識が、育ったんですよね。
靴の手入れをすることも、苦にならずにできるのも、靴に意識が向くからでしょう。
妻の靴も一緒に手入れをしたりするのも、その方が合理的だろうから。
 
髪が綺麗とか、爪が綺麗とかって、やっぱり、一緒にいる人が嬉しいですよね。
それと同じように、靴が綺麗というのもあるんですよね。
尖らせるのとは違って、靴や爪や髪などの、人間における先端が綺麗に整っていると、その人の生きる姿勢が整っているように見えるんですよね。
丁寧に生きているんだろうなぁって。
単純なんだけど、綺麗にするって、とても泥臭い積み重ねでもありますからね。
汚く生きるのは、とても簡単。
整っている人、好きだなぁ。

いくつになっても楽しいこと。

2019.10.27

この年齢になっても四苦八苦するものがあるということに、楽しさを感じています。
 
ぼくと妻は今年の九月から毎週土曜日、テンプル大学の生涯教育プログラムで、英語を習っています。
授業の内容は、「There are…」や「Does he…」などの基礎中の基礎を習っているのですが、授業中の会話はすべて英語で行われているのです。
もうね、それだけで、大の大人たちが困り果てたり、言葉につまったりするわけです。
こんなこと、日常ではないでしょう。
それが面白い。
実際にぼくも、「えっ?」「うん?」などと苦戦しまくりです。
授業は約四時間あり、終わった後は予定を入れたくなくなるほどヘトヘトになります。
それでもね、ヘトヘトになりながらも面白いのです。
 
面白さに拍車をかけるのが、四時間の授業を一ヶ月も経験していると、少しずつ成長しているのを実感できる瞬間が訪れます。
最初の頃は、「えっ?」だったものの中に、「あっ!〇〇!」が加わるようになるんです。
ちんぷんかんだった先生の英語の説明にも、「あ、こういうことか」と理解できる瞬間が訪れ、徐々に、その回数が増えてきます。
昔、筋トレをしていたときに、鏡で自分の姿を確認しちゃうような感じでしょうか。
頭の中でわかった瞬間を反芻している自分に気がつきます。
 
人は、いくつになっても成長できるとは、一般論で論じられたりしますが、これを成長ととらなくてもいいと思っています。
だって、楽しいんだから。
「あっ!わかった!」が訪れる瞬間は、いくつになっても嬉しいもんだ。

映画『イエスタデイ』を観てきた。

2019.10.23

『イエスタデイ』という、ビートルズの映画を観てきました。
ビートルズの映画と言っても、売れないシンガーソングライターの主人公が事故に遭って目が覚めたら、ビートルズが存在しなかった世界になっていた、という映画です。
だから、ビートルズの曲が流れても、本物のビートルズは出てこないのですが、とても優しく、とても愛情に満ち溢れている映画でした。
 
正直に言うと、ぼくはビートルズにドンハマりしたり、深く影響を受けた人ではないです。
ファンやにわかファンが「ポールが〜」「いや、ジョンが〜」と口角泡を飛ばす姿を見ても、なんのこっちゃ分からないのです。
けれど、曲を聴いて、気持ちがよくなります。
安心して聴けたり、楽しんだり。
そして、ビートルズでなくても深く影響を受けたものは、ぼくにもあります。
恋の辛さやハッピーさもあります。
主人公の後ろめたさと、リスペクトも。
これらが、全部報われる形で映画は進むことに、ぼくらは同時に救われます。
おっちゃんとおばちゃんが主人公に言った言葉が、ぼくらの言葉でもあります(観ればわかるから)。
 
突然、自分が深く影響を受けたものが、この世、いや、この歴史から忽然と消え、自分だけが知っている状況に陥ったら、自分だったらどうするか。
それは、感動したもの、感動させてくれるものが、存在を失うことでもあり、その喪失感って、想像しただけでも胸が締め付けられます。
もしも、それを体現させる力が自分になかったら、なんという苦しみか。
なんという孤独か。
もしも、これを体現させられる人が現れたのなら、なんという救いか。
とても深く考えさせられるとともに、主人公の立場でも、オーディエンスの立場でも、映画と同じ内容だったら、それはハッピーな世の中なんだと思いました。
 
本当に、ハッピーな物語と、ハッピーエンドを観させてもらいました。
すごい、いい映画。