Archive for the ‘日々のこと’ Category

漫然と眺める場所。

2019.8.6

場所はとても大事だと思っている。
どんな場所でも一定のパフォーマンスを発揮するのも大事だし、100パーセントのパフォーマンスを発揮するように場所を作り変えるのも大事だろう。
だが、これらと同じように、自分とピタッとハマる場所と出会うことも大事だと思っている。
 
そういう場所は職場だけじゃない。
たとえば、ぼくは考え事をするときに、近所のお寺に行く。
お寺の駐車場と、正門へと続く道の中間に位置している広場に向かう。
たまにそこにも車が止まっているから、もしかしたら駐車場かもしれないのだが、その広場にも、お寺に続く小さな入り口がある。
大人であれば中腰にならないと頭をぶつけてしまう、それぐらい小さな入り口と向かい合った端に、石でできたベンチがある。
そこに座って、考え事をしている。
 
視線の先には小さな入り口があり、入り口の先には道が続いている。
道の両脇には林が広がっており、よく手入れされているので、緑が気持ちいい。
石のベンチに座っていると、この時期は蚊に刺されてしまうけれど、それでもやっぱり、考え事をしたいときには足が向かってしまう。
 
こういう場所は、一定のパフォーマンスを発揮する必要もないし、作り変えることもできない。
この場所と自分が、ピタッとハマるかどうかだ。
思えば、ぼくはこういう場所を見つけるのが得意だ。
住んでいるところで必ず、考え事をするための場所を見つけている。
 
こういう場所がないと、今までの作品はなかったかもしれないし、今までの仕事はなかったかもしれない。
手を動かすだけでもなく、上手いことやろうと意気込むのでもなく、ただ漫然と景色を眺めながら考え事をする。
そうこうしている内に、不思議と「あっ」と思いついたりするものだ。

鶏肉のレモン炒め。

2019.8.5

毎日、こうやって書いていると、書くことなんてないよーという日だってある。
そういう時は、料理のことを書くといい。
 
今年から作り始めた料理に「鶏肉のレモン炒め」がある。
これはたまたま入った定食屋さんで食べた料理だ。
一軒家を改装していると思うのだが、飲食店というよりかは、人の家で定食屋が営まれているようなお店だった。
家の近所にあるのではなくて、通っている鍼灸院のある街にあるので、バスや電車に乗っていかないと食べれない立地にある。
気取った旨さではなくて、料理上手な家のご飯を食べているような美味しさのお店で、ピンポイントで食べたいときがある。
冒頭の料理は、初めて入ったときに食べた料理だ。
 
ぼくの癖なのだが、お店で料理を食べるとき、家で作れないかと、味の分解をしながら料理を食べる。
実際に解剖しながら食べるのではなく、普通に食べながら、味覚を分解している感じだ。
だから、ぼくと料理の話を何度かしている人しか、この癖を知らない。
話を戻すと、「鶏肉のレモン炒め」を提供してくれたお店は、料理上手な家のようなお店だけあって、家庭的な作り方でできるだろうと思い、帰宅後試してみたら、これが美味かった。
妻に食べてもらったら、好物になってくれたみたいで、この夏ですでに6回は作っている。
回数が分かるのは、ちょっと歩いたところにあるスーパーで、無農薬のレモンが3個セットで売っているからだ。
 
これを冬になっても作るかと聞かれたら、それはわからない。
そのときにハマる料理って、これまでもたくさんあったからね。

迷っているだけ。

2019.8.4

「自分は何に悩んでいるのだろうか」というほど悩んでいるときがあるが、そういうときは悩んでいるのではなく、迷っているだけだ。
しかも、こういうときは、お金が絡んでいるような気がしている。
たとえば、今は「カメラにつけるレンズ」について迷っている。
カメラとレンズがセットになったレンズキットにするか、カメラと他のレンズを別々に買うか、レンズの種類をどうしようか、などで迷っている。
正直に言うと、一番贅沢な買い方をしても平気だ。
だが、通帳の残高をなるべく減らしたくない、という気持ちがブレーキを踏んでいる。
あんまりいい迷いじゃないと思いつつ、それほど安い買い物じゃないしなぁ、という気持ちもある。
いっぱい使えばいいのだが、果たしてそれもどうだろうか。
いや、これは使うだろうな。
だから、買っちまえ、というのはある。
答えは分かっているんだよな。
うーん、とりあえず、日曜日は出荷しないから、月曜日を期限にしよう。

得体の知れないものへの不安。

2019.8.3

たまーに、ぼくの病気のことを知っている人とその話題になると、ぼく自身が感じている軽さと、相手の感じている重みのギャップに、「あぁ、そうだった」と気づく。
昔から、当の本人は軽い気持ちだったはずだ。
いや、「当初は」軽い気持ちだったのだ。
それを、重くしたのは、紛れもなく「周囲の大人」だ。
小学校に上がるまで、ぼくは入院児童で、病院と実家を行ったり来たりしていた。
だから、幼稚園にも年長の頃から通ったが、ほとんど通えていなかった。
また、その頃は病気のことなど、気にしていなかった。
 
しかし、小学校に上がり、ぼくは自分が他の子と違うことを証明させられた。
新年度、新しいクラスになると、ぼくは教壇の前に呼ばれ、クラスメートに向かって自身の病気について説明させられた。
これを毎年だったか、二年に一回のクラス替えのタイミングだったかは覚えていないが、新年度の決まりごととして、大人たちが勝手に決めた。
すると、大人たち、子どもたち、ぼく、という三つの見えない境界線が生まれるのだ。
修学旅行や遠足などの行事と、ぼくのことを重荷にすることはセットだった。
 
流石に中学に上がると、教壇の前に立たせるなんてことはなくなったが、入学した直後、同じ小学校だった友人が担任教師に呼び出されたと思ったら、ぼくのことを頼まれたと告げ口をしてくれた。
そして、病気が再発して学校を休む度に、大人たちがぼくのところにやってきては、クラスメートに共有した方がいいんじゃないかと、持ち掛けてきた。
「それをしたら、ぼくはもう学校に行かなくなる」と言うと、バツが悪そうにしていた。
さらに高校まで上がると、こういうことがなくなるかと思ったら、休んでも、サボっても、同じように呼び出されて、病気のことを持ち出してきた。
 
その後、ぼくの年齢が増えていくと、当時の大人たちが抱いていた感情が分かるようになった。
得体の知れないものへの不安だ。
ひとりで抱えきれない不安を、他の者と共有することで減らし、得体の知れない生き物を管理することで、さらに不安を減らそうとしていただけだ。
二十代の頃にこれに気づいて、笑ってしまったことがある。
教師といえど、たかが二十代、三十、四十、五十代の人間だったのだ。
得体のしれないものを受け入れる器など、育っていなかっただけだったのだ。
四十代に差し掛かろうとしている今、一段とそれが分かる。
浪人時代、予備校講師が浪人生を十把一絡げにして「お前たちは普通以下だ」と言い放ったとき、「あ、人生これからだ」って思ったもんな。
そうして、偏差値を30ほどあげて、行きたい大学の学部に進んだんだ。
浪人から、人生変わったんだよなぁ。

失敗しても。

2019.8.2

昨日の内容で「自分には〇〇が向いていない」というのは、目の前の仕事を丁寧に扱っていないだけ、というようなことを書いたが、ひとつだけ例外がある。
「職場」だ。
仕事をする環境と自分が合っていないのに、仕事と自分が合っていないと勘違いしているケースが、それだ。
 
どこにでも、お世辞にも「いい環境」と言えない職場はある。
社長が連日怒鳴り散らし、使用するデジタル機器はパフォーマンスが足りず、資料管理がずさんであったりと、数えきれないパフォーマンス低下の要因が積み重なっている場合がある。
こういう環境にも関わらず会社に居座り続けるのは、優しさではなく怠慢だ。
やる気のある人ほど、その会社を辞めるだろう。
 
もう一つは、自分の熱量と、会社内にいるメンバーとの熱量が揃っていない場合だ。
職場の熱量が高い中に、低い熱量の者が入れば、その人は体調不良になる(低い熱量が伝染することもあるが)。
逆もまた然り、職場の熱量が低い中に、高い熱量の者が入れば、その人は体調不良となる。
 
このケースだと、人は誰でも、自分は熱量が高い方だと思いたがるが、その仕事を辞めた後に、辞めた人が躍進したのなら、熱量が高い人だと言えるだろう。
しかし、体調不良になって仕事を辞めても、そのまま不調が続くようなら、熱量は高くはなかったということになる。
熱量が高い人は、体調不良によって敗者になったとしても、環境が変われば、また立ち上がる。
なぜなら、熱量とは、自分の中にしかないからだ。
火種も、火付け材も、全部自分の中にある。
何でもかんでも職場のせい、仕事のせいにしていると、いつまで経っても強い人にはなれない。
大事なのは、敗者になっても、立ち上がることだ。