Archive for 2020.1

英語のクラス。

2020.1.11

今日は書くことを決めないで書いている。
 
今月末から始まる英語のクラスのテキストが届いた。
どのくらいのペースで進めるのかがわからないので、少々どきどきするが、とても楽しみなどきどきだ。
内容としては、やっぱり中学生レベルなんじゃないだろうか。
それでも、語学学習は楽しい。
 
イギリス人夫妻がデンマークに移住した体験記『幸せってなんだっけ? 世界一幸福な国での「ヒュッゲ」な1年』に、「語学学習をすると幸福度が高まる」というようなことが書かれていたと思うが(違っていたら申し訳ない)、実際に、英語を習っていると楽しいのだ。
 
何度も書いているが、日本語禁止の4時間もある英語のクラスが終わると、ヘロヘロになるが、誰かを助けたくなる心地良さでいっぱいになる。
クラスメイトも良かったのだが、色々な年齢で出身地も違う、職業も違う人たちが、焦ったりわからなかったりすることを、助け合いながら答える。
これを4時間も続けると、それは本当に気持ちがいいのだ。
 
これから始まるクラスは、前回よりも難しいクラスになっているのだが、テキストを読んだ限り、ちょうどいい難しさなんじゃないかと思えた。
ゆっくり読めば、解けなくはないレベルの内容だが、以前よりもわからない単語も出てきている。
「あぁ、中学一年から三年になったときって、こういう感じだったか」と懐かしい気持ちさえしている。
クラスはまだ始まっていないから、実際のところ、どうなるのかはまだわからないが、それでも、楽しそうだとわくわくしている。
 
「ビジネスで役立つから」という理由じゃなくたっていい。
楽しいから、やるんだ。
これはもう、趣味なんだよ。

なりたいものの前に、やりたいこと。

2020.1.10

「〇〇になりたいんですが、どうしたらいいですか?」と質問されるときがある。
正直に答えるなら、なるだけなら今この場でなれる。
だが、この質問をしている人が抱いている欲望は、「〇〇になって、充実した仕事をして、不自由のない暮らしをしたい」だろう。
けれども、仕事をすればわかるが、本当にたった一つの技能だけでうまくいく職業などないのだ。
 
例えば、ぼくで言えば「クリエイティブディレクター」「アートディレクター」「写真家」を公式プロフィールとして記載しているが、別に「グラフィックデザイナー」でも「UI/UXデザイナー」でも構わない。
詳細に語れば語るほど、その人の強みというのが伝わりやすくなるのかもしれないが、グラフィックデザイナーがコピーライティングをしたっていいし、コピーライターの描いた絵がそのまま採用されることだってある。
ある一つの技能を高めれば高めるほど、横展開がしやすくなり、経験を重ねるほど、他のこともできるようになっていく。
むしろ、年齢を重ねても、ひとつのことしかできない人というのは、今の世の中で仕事をしていくことは難しいのではないだろうか。
 
これは何も、「ゼネラリストになれ」と言っているのではない。
世の中は中途半端なゼネラリストもどきが多いのも事実であり、ホワイトカラーの仕事しかしたことがない人がそうなりやすいようだ。
まずは、たった一つでいいから何かしらのスペシャリストになれば、大抵は他の職業に必要な技能も経験している。
むしろ、人類史がはじまってから発明された職業で、応用が効かない方が難しいものだ。
 
これはぼく自身、浪人時代に築いた国語の能力に、大学時代の心理学を組み合わせながら写真家となったことでも言える。
そこにグラフィックデザイン、Webデザイン、プロダクトデザインを組み合わせていった結果、事業で抱える問題点というのが視えるようになったわけだ。
それが、世の中ではブランディングと言われるだけであり、クリエイティブディレクターやアートディレクターと言われるだけなのだ。
ここでの順序としても、国語の問題を解くのが好きだったし、心理学を勉強するのも楽しかった。
写真を撮って、現像することも楽しかった。
デザインを作ることも楽しかった。
好きなことに対して、自分の手足を動かすことで経験値を重ねていき、その結果、色んなアイデアが結びつくようになった。
初めから考えることが得意だったわけじゃない。
経験していないことは、誰だってわからないものだ。
つまり、最初から、ぼくがクリエイティブディレクターを名乗っていたら、誰の役にも立たない、かなり無能なクリエイティブディレクターだっただろう。
 
だから、最初の質問として、出発点が職業名というのは本末転倒のことであり、「何になりたいか」ではなく、「どうありたいか」「何をやりたいか」が重要なのだ。
ぼくが若手を育てるとき、必ずこういったことを質問するようにしている。
そうすれば、その都度、人生の軌道修正ができるからだ。
この癖をつけておくと、自分で自分のやりたいことを見つけることができるようになる。
職業名はあくまでもおまけだ。
まずは自分のやりたいことを見つけて、ひたすらそれをやってみるといい。
飽きた時には、別の何かが見つかっているはずだ。
そうしたら、軌道修正してまたひたすらやってみたらいい。
そうして重ねた経験が、あなたの価値となる。

歯列矯正からの学び。

2020.1.9

お付き合いのある人たちは知っているけれど、ぼくは今、歯列矯正をしている。
36歳の頃から初めて、ちょうど一年が経った。
ぼくが矯正治療を始めた理由は特殊らしく、これは専門家選びにも役立つ気がするので、今日はその話をしようと思う。
 
早速だが、ぼくが矯正治療を始めた理由は、口の中に疲労感を感じるようになったからだ。
年々、その疲労感は増してきて、インターネットで調べていくうちに歯列矯正に行き着いた。
「口の中に疲労感」と聞いてピンとこない方は、肩が凝ったときに感じるような疲労を、口の中でも感じていると思っていただければいい。
 
歯列矯正に行き着いたその後は、通える範囲での矯正歯科を調べ、ある程度目星をつけてから何ヶ所かカウンセリングに行ってみた。
すると、ぼくの症状を聞いた医師たちは、口を揃えるかのように「初めて聞いた」と言っていた。
実際、ぼくは左上の歯が一本少なく珍しいケースだった。
中学時代に地元の埼玉から電車を乗り継いで、お茶の水の大学病院にまで通って、生えてこない永久歯を抜くという経験をしていた。
大人になってから知ったのだが、永久歯が生えてこなかった人はそのまま放ってく人の方が多かった。
だから、こんな経験しているぼくは、けっこうなユニークケースだったのだ。
 
けれど、大事なのは、ぼくの口の中を見て、症状を聞いた歯科医師たちの対応だ。
ある医師は、初めて聞いた症状にも関わらず、一般的な方法を述べるだけだった。
一方で、「初めて聞いた症状=ユニークケース」と判断し、AプランとBプランを話してくれる医師がいた。
もうおわかりだと思うが、ぼくは後者の医師に依頼をした。
 
処置を含めて、すべての物事はうまくいかないことがある。
それがユニークケースなら尚更だ。
だからこそ、ぼくら専門家はどんなときも、いくつかのプランを想定している。
さらに、もしかしたら想定したプランはすべて失敗するかもしれない。
それでも、別の対応策を考えつくかどうかが、良き専門家とそうではない専門家との分かれ道だ。
もちろん、その中には「諦める」という選択肢もあるだろう。
 
ぼくらのデザインという仕事にも言えることだが、たとえばホームページ制作において、他の案件で制作したレイアウトを、そのまま持ってきて、絵柄やテキストを差し替えて完成ということは本来ありえない。
しかし、こういうテンプレート商売をしている事務所は存在しているし、けっこう多い。
本来ならば、似たようなケースはあるかもしれないが、ケース毎に行うべき処置は異なる。
そういう意味では、すべてのケースがユニークケースだと言った方が適切であり、その都度対策を考えて、やってみて、それでまた対策を考えて、やってみてを繰り返すことで、経験値と言われる暗黙知が積み重なっていく。
 
話を戻すと、歯列矯正を始めてから一年が経ったが、経験者たちが語るようなひどい痛みというのは経験していないのに、歯並びは改善されてきている。
毎回、どんな処置をして、今後、どういう処置をしていくか、ちゃんと説明をしてくれる頼もしい人たちだ。
 
このように、ぼくが依頼する人を選ぶとき、ぼくの問いに対して真摯に答えてくれることは、ひとつの目安になっている。
 
ちなみに、費用でいえば、そこは一番高かった。
毎回調整料金は払うし、基本料金も他と比べて高い方だ。
けれど、ぼくは満足している。
本当の意味での費用対効果というのは、安く買おうとするのではなく、提示された価格に対してちゃんと支払い、意味のある成果をもたらしてくれることだ。
そういう意味で、ぼくはお客だが、関係性は対等なのだ。
説明してくれた内容を信じて、任せている。
だって、ぼくは処置できないんだから。
これが大事。

精度を高めるために必要なこと。

2020.1.8

ひとつの職業の中には、いろいろなタスクがある。
ぼくはこれを細切れにして、ちょっとずつ進めている。
そうすると、納期に遅れるということは起きないし、試行錯誤の回数を増やすことができる。
一人で行う試行錯誤の回数が増えることのメリットは、制作物の精度が高まることだ。
精度というのは、回数によって高まる。
 
最近では、チームで集まってあーだこーだ話して進めるやり方が奨励されているようだが、このやり方で精度が高まることはない。
その理由は、素人が会議にいても大したことは言えないからだ。
例えば、医療現場の会議で、素人が混ざっていることはないだろう。
ぼくらの仕事もこれと同じであり、自分の強みを活かせる役割を全うした方が案件の精度は高まるものだ。
社会の営みであるデザインにおいて、デザイナー以外が会議の席に座っても、主観的な好みしか話せずに終わる。
 
これはデザイン以外でも同じだ。
自分にできないことは、その道の専門家を信じて任せた方がいい。
そこに横やりで口出しするなど、クオリティが下がるだけだ。
進捗確認の報告会などの無用な会議をしていると、人は何か話した方が仕事をした気になるので、あーだこーだ言っては、どんどんクオリティを下げる。
そんなことをしない方が、その道の専門家たちは自ら試行錯誤の回数を増やしては、精度を上げてくれる。
 
精度を上げるために必要なもうひとつの要素は、締め切り前にまとめてやろうというタイプではダメだ。
そのときに体調不良や事故によって、パフォーマンスが下がるかもしれないし、そうならなくても、急いで作ったものは、見落としなどのつまらないミスをしやすくなるのが人間だ。
焦れば余裕がなくなる。
余裕がない状態の人は、周りにいる人たちにも、余裕のない当たりをしてしまう。
そして、余裕がない状態で、創造性が発揮されると思っているのは一種の幻想だ。
大抵、そのような人は「決められたもの」しか作れない。
進めていくうちに気づくような穴があったとしても見過ごしては、「こういう決まりだったので」という風に機械のように機転が効かない。
つまり、作るうちに精度を高めることができないのだ。
もしも、時間がない中で試行錯誤の回数を増やそうと思えば、犠牲になるのは睡眠時間だ。
しかし、睡眠時間を削って失うのは判断能力であり、結局は精度を下げることになる。
さらに、つまらないミスを引き起こす。
 
作っている間も、時間は進んでいく。
ぼくたち人間の営みで優れているのは学習であり、学習は試行錯誤によって達成されていく。
つまり、作っている間に精度を高められない人というのは、時間の経過とともに学ぶことができない人であり、将来性も低くなっていく。
ぼくの事務所勤務時代にもいたが、そういう人は決まって同じようなミスを繰り返していた。
すると、ミスをカバーするために他の人たちの時間も奪っていく。
そこでは時間の他に、突発的な疲労感や人件費といったコストも発生する。
だから、締め切り前にまとめてやろうとしている人は、自分の首を絞めるだけでなく、周りの人たちの首も絞めている。
 
案件や企画、事業の精度を高めたいと思ったら、各方面の専門家が勝手に試行錯誤の回数を上げてくれる環境を与えることだ。
そこでは余計な口出しもいらないし、無駄な報告会も必要ない。
自分たちのプライドが高ければ高いほど、猜疑心も高くなるし、何でも自分たちで決めないと気が済まなくなる。
信じて任せるのには、強さが必要だ。

『働き方1.9』を読んだ。

2020.1.7

ヒロシさんの『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』
昨年の11月ぐらいに読んだけれど、考え方がだいぶ近く、ぼくに何かを相談したことがある人なら、一度は言われたことがここでも読める。
 
特に「ヒロシです」のネタを芸人でもない業界人が「もっとこうしましょう」と修正し、その結果スベっても何の謝りも責任もとらないくだりと、「(引用)やりたくもないことをやったりすぐらいなら、無理をせず好きなことを自分のペースでやっていったほうがいい」はその通りだ。
 
ぼくらの仕事も、素人であるクライアントがあーだこーだ言ってはクオリティを下げ、その結果、利益が出なかったらぼくらのせいにされる。
なるべくクオリティを担保しようと努力して、利益が出たとしても、手柄はクライアントになる(特にマーケティング)。
だから、サンポノ開始時に、「こんなくだらないことをするぐらいなら仕事はしない方がいいし、それで暮らしができなくなるのなら自殺をしよう」ということを決めた。
 
その代わりと言ったらおかしいが、提案のレベルは事務所に勤めていたときよりも質も量も多くなっている。
これは、事務所内の人たちに余計な確認をしなくていいからだ。
ぼくの時間を奪い、クオリティを下げるのは、外にいる人間だけでなく、内にいる人間も当てはまる。
その人たちと余計なやりとりをすることもぼくのコストになるし、経営者の視点から言っても大きな人件費だ。
これについても、先ほど挙げたヒロシさんの本に書かれている。
コストと言うと、お金のことに意識が向かいがちだが、コストには「お金」「労力」「時間」「感情」の四つがあり、それぞれを足したものが本当のコストとなる。
これについては、二十歳の頃からぼくは友人たちに説明している。
 
ちなみに、ぼくの優先度は「感情>時間>お金>労力」だ。
何よりも自分の気持ちである感情を優先し、やりたくないことはやらないようにしている。
けれども、やりたいと思ったことだったら、新米がやるようなことも率先してやっている。
玄関前の掃除なんかもそうだ。
家の前が汚いのは仕事をする場所としてどうかと思っているのは自分なので、玄関前の掃き掃除は自分で行い、ついでだからと両隣の家の前も掃除している。
 
仕事の提案で実際に作ってしまうのも、この掃き掃除と同じ感覚だ。
絶対にいいと思って、相手の喜ぶ顔が浮かぶから、さっさと作って提案してしまう。
このときの労力や時間やお金はマイナスだが、感情はプラスだ。
そして、おもしろいことに、こういうことが積み重なると、マイナスだったはずのお金はプラスに転じる。
海老で鯛を釣ると言ったら失礼かもしれないが、ぼくにとってのやりたいことは労力としては小さく知覚されるのに、それが利益を生む。
 
事務所勤務時代は感情も時間も労力も犠牲にしているのに、低賃金で働き、安い食事をとっているのにお金も貯まらず、そして体を壊した。
「感情>時間>お金>労力」のコストについては二十歳の頃に気づいていたのに、事務所勤務時代のぼくはこれを実践できずにいた。
大事なことを忘れていたし、独立後、その事務所やそこで関わっていたクライアントが仕事をくれたことはない。
よく質問されるが、独立後の仕事はすべて新規の仕事であり、ぼく自身は営業をしていない。
独立するときには何の算段もなかったが、このまま死んだら確実に後悔すると思って辞めた。
それでも、なんとか3年はやってこれた。
これは本当に運がよかったと言うしかないし、お客さんに貢献できている今、色んな人に感謝の言葉しかない。
 
自分の感情を大切にすると、周りにいる人たちの感情も大切にするようになる。
それはお客さんもそうだし、家族に対してもだ。
海外で大きな賞も獲ったし、それでお客さんへの貢献もできた。
提案で実際に作ることで、クリエイターとしてのレベルも上げることができる。
しかも、忖度など必要がないから、素早く、クオリティも下がらない。
それもこれも、感情を優先するからだ。
ちょっとぼくの言葉だと信用できない人もいるだろうから、そんな人は是非、ヒロシさんの『働き方1.9』を読んで欲しい。