Archive for 2019.10

暗黙知の育て方。

2019.10.21

暗黙知というものがあります。
これは「明確には言葉にできないけれど、蓄積されている知識」というような、いわば「直感」と言われる類の知識です。
経験を積むというのは、再現性の高いコーチングなどで教えることができる知識と、そうじゃない暗黙知のような知識があります。
ぼく自身、学生の頃から社会に出てからも人に教えたり、育てる経験を重ねるにつれて、再現性の高い知識を教えれば、人は育つと思っていましたが、そうじゃない暗黙知が育たないと、応用力や柔軟性といったものが育たないことに、いつの頃からか気がつきました。
 
じゃあ、どうやったら暗黙知を育てることができるのか。
それは、失敗を許す環境であること、そして、背中を見せること。
失敗が許されないような環境だと、必ず成功しないといけないという恐怖が生まれます。
野球で例えると、打率が10割のバッターなんていないでしょう。
けれど、失敗が許されない環境だと、打率10を求められるということです。
だから、不可能なことをしようとして、恐怖が生まれる環境なのです。
たとえば、「どうしてできないんだ?」と質問するだけの環境とかね。
そうじゃなく、「どうしたらできるようになるだろうか?」や「できるようになるためのステップを細かく分ていったら、どういうステップになるだろうか?」というように、成功するための道筋を作らせる方向に、転換させる必要があります。
「失敗は成功のひとつ」と言われていることって、こういう発想ができる環境でもあります。
 
もうひとつは、背中を見せること。
暗黙知が直感と言われるように、その人が察知するときの雰囲気や、察知の仕方、ものを見ているときの見方、聞き方、味わい方というのは、説明しようとしてもできるものではありません。
説明したとしても、実際の状況とは大きな隔たりがあるでしょう。
これは、その人の姿を見て覚えるしかありません。
もしも、見て覚えられないのなら、「どうしたら察知できるようになるだろうか?」と、やはり、できるようになるためのステップを作っていきます。
ステップを踏みながら経験を積むことで、徐々に直感が働くようになります。
これが、暗黙知になります。
 
直感を信じられる環境は、人を信じる環境でもある。

怒りを抱かないと、退屈になる?

2019.10.20

気づいたことがあります。
最近のぼくは怒りを持っていない。
怒りを持っていないと、平和になります。
けれど、平和になると、退屈です。
これに気がつきました。
オーマイガ。
 
そうすると、退屈な物事を引き寄せることに気がつきました。
再びオーマイガ。
 
こうなると、原因を探りたくなるのが、人間の性というかぼくの性分です。
すると、ひとつのことが分かってきました。
怒りを持っていたときは、がむしゃらに生きていた。
努力を惜しまないし、人と闘うことも避けないし、勝ち取ることが好きだった。
協力することやコラボレーションも好きだった。
今は、そのどれもが面倒臭いとは言わないまでも、自分からはじめようとは思わなくなっています。
こうなる時系列と、怒りを持たなくなる時系列が、まったく被っていたのです。
 
もうひとつ被っていたのが、運動をしなくなったこと。
筋トレとランニングの頻度が下がり、負荷の軽い運動になり、ストレッチだけになり、腰痛ケアのためのストレッチだけになり、今は何もしなくなりました。
覚えている感覚として、筋トレやランニングをしていた頃は、これらをしていると「怒り」を感じていたということ。
だから、運動をしている最中は、自分を鼓舞していました。
悪く言えば、自分を罵倒しながら運動していたのです。
今は、それがまったくありません。
 
どっちがいいのかは今のところわかりませんが、退屈を感じているのなら、また運動をはじめようかと思っています。
とりあえず、昨日はちょっとやりました。
続くのかな〜。

いろいろ。

2019.10.19

色んな場所で何度も話していますが、「信頼」と「信任」は違います。
そして、日本では「信頼」という言葉を、依頼する側の都合がいいように使いすぎる傾向があります。
依頼者側の無理難題を叶えることが、信頼に繋がると思ったら間違いです。
 

今年の上半期に「うんこアプリ」の重要性について、熱心に話していたけれど、それは「おもちゃ」に興味を持つことの、はじまりだったんだ。
アプリの申請と同じように、おもちゃを製造し、販売するには、何かしらの決まり事があるのだろう。
そこまではまだ調べていないけれど、「おもちゃ」が持っている性質が、これから、いや、今すぐにでも、人々に必要なのだろう、ということを確信している。
とるに足らないものとしてのおもちゃではなく、人が自分だけで楽しめて、人々になっていく、おもちゃだ。
 

ガンプラ作りをしていて再認識したことがあります。
ぼくは「待つこと」が苦手。
凹み処理後の待ち時間、塗装下地を塗った後の待ち時間、塗装後の待ち時間……けっこう苦手です。
仕事場所とガンプラを作っている場所が同じ部屋というのもあって、うずうずしちゃうんですよね。
あとは、塗料の買出しとか、買ったものの使い勝手とか、慣れていないことが続いてしまって、おもしろがる部分と、おもしろがれない部分の両方があります。
 

何かをはじめると、かならず「つまずき」があります。
つまずきが減り、ほとんどつまずかなくなると「慣れた」状態です。
この数年、仕事以外の色んなことで、つまずきがあります。
それは、色んなことをはじめているからです。
色んなことをはじめるというのは、理由があります。
ひとつは、それまでやっていたことに「慣れた」から。
ぼくの場合は、仕事に慣れたということです。
そして、もうひとつは、「種まき」です。
自分が慣れたと同じように、世の中が慣れると、その業界自体が狭まってきます。
レッドオーシャンになって、飽和して、ラストマンスタンディング競争になり、みんながボロボロになります。
ま、衰退していくということです。
これを、衰退させないためには、他の要素を組み込んでいくことです。
そうして、芽が出れば、業界や自分は元気な状態になります。
つまり、ブルーオーシャンで快適に泳げるということです。
それは、仕事になる、ということです。
仕事を豊にするためには、衰退させないことです。
そのためには、種まきが大事。

おもちゃに感心している。

2019.10.18

最近、「おもちゃ」を触っていて、改めてすごい分野だと感心しまくっています。
平日、おもちゃ屋に行くと、お客さんが入っているんです。
ゲームセンターもお客さんが入っています。
電車の中ではどれだけの人が、スマホゲームをしているでしょうか。
YouTubeの、ガンプラ作りがうまい人の視聴者数はものすごいです。
昨日、ぼくはこんなことを書きました。
 

これで困っている人が助かるとか、持続可能性の社会が推進されるとか、生産性が高まるとか、そんなことにならないことを始めたかったのです。
(中略)
直接的にも間接的にもメリットがあると言えないようなことを、みんな、心の奥底で欲しがっているでしょ?

 
日本で長く続いている閉塞感と、いいことしている感と、俺たち勢いある感……実はもう、これらに対して、居心地の悪さを感じているでしょう?
いい景色を見に行っても疲れちゃうし、美味しいものを食べても、観たい映画を観に行っても、何かを言わなきゃいけない。
いいんです。
美味しいものを食べたら「おいしい」だけで。
映画がよかったら「よかった」だけで。
人に勧めたいと思ったら、「おいしいから、食べに行ってみるといいよ」だけで。
「どんな風に美味しいの?」と聞かれたら、「食べてみないとわからないよ」と答えればいいんです。
 
本当は、この役割をアートが担える可能性があったのに、作り手も受け手も何かを考えなきゃいけない。
考えて話せば、知的に見え、自尊心が保てる。
オークションによって、投機の役割を担うようになった。
だから、アートにはちゃんとメリットがあるんです。
自尊心というメリットがある点は、読書家も一緒です。
そして、今の世の中は、メリットだらけです。
メリットなど必要ないところまで、メリットだらけです。
パチスロだって、読書だって、ジョギングだって、持続可能性だって、メリットだらけです。
これを、ほとんどの人が気がついているけれど、口に出せないでいる。
気がついていなくても、モヤモヤが生まれるようになっている。
 
話をおもちゃに戻すと、おもちゃの楽しさを人に話そうと思っても、伝わらないことに気がつきました。
それでも、おもちゃの人口は確実にあるし、その業界はしっかり生きています。
けれども、せっかく完成したプラモデルは、興味のない家族に捨てられたり、ゲームの時間は制限されたり、いつも邪魔者にされています。
邪魔者にされないためには、邪険に扱う人たちの興味の対象を含めればいい。
そうすれば、人口は増える。
 
仕事として考えると、このように考えてしまいますが、まだ観客席にいる自分としては、ただ単純に、邪魔者扱いされているのに、確かにハマっている人口分布があることに感心しています。
 
ぼくはすごいことに気がついてしまった。
おもちゃに触っている人は、おもしろい。
おもちゃについては、もっと話したり、考える必要がありそうです。

ガンプラはじめました。

2019.10.17

はじめに断っておきますが、今日は内容がないようです。
 

急に寒くなってきたと思って天気予報を検索してみたら、今後一週間、曇りや雨のマークが連続していた。
この季節になると、寒さが苦手なことを思い出すが、ネガティブなままでは体調も悪くなるので、どうにかして楽しみを見出す訳だ。
お鍋が美味しいとか、スープが美味しいとか、お風呂が気持ちいいとか、布団にくるまるのが気持ちいいとか、もうね、欲望と自堕落なことばかりを思い続けている。
それでも、「洗濯物が乾かないじゃん」と思ってしまうので、咄嗟に逆転の発想をしてみる。
「乾かないのもアリじゃん」……ないだろ。
こんなことを思う始末である。
 

今月は仕事が落ち着いているので、空いている時間に何かを始めようと思い、22年振りにガンプラを作っています。
知らない人のために説明すると、ガンプラとは、ガンダムというアニメに出てくるロボットのプラモデルです。
このガンプラにもグレードがあって、詳しくないぼくの説明になるので間違っているかもしれませんが、ディティールの細かさや塗装のクオリティなどでグレードが分かれているようです。
そんで、ぼくが買ったのは、無塗装の290円ぐらいで買えるガンプラです。
道具類も家にあるもので代用できないものは買い足したので、結果的に道具の方が高くついています。
 
まぁ、まだ完成していないので、後日報告しますが、先にはじめた理由を言いますと、YouTubeでガンプラ製作の動画を見ていたら、自分も作りたくなったのと、空き時間にやることを社会的に実益のあることじゃないものに使いたくなったんです。
細かい作業の訓練になるので、仕事に関係あると言えば関係あるのですが、これで困っている人が助かるとか、持続可能性の社会が推進されるとか、生産性が高まるとか、そんなことにならないことを始めたかったのです。
そう考えていたら、ガンプラを作っている動画を見て、感化されたという訳です。
 
ま、この1〜2年で話していることでもありますが、直接的にも間接的にもメリットがあると言えないようなことを、みんな、心の奥底で欲しがっているでしょ?
ぼくも、そうなのです。
これについては気が向いたらまた報告しますが、ぼくは色々はじめています。