おもちゃに感心している。

2019.10.18ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと

最近、「おもちゃ」を触っていて、改めてすごい分野だと感心しまくっています。
平日、おもちゃ屋に行くと、お客さんが入っているんです。
ゲームセンターもお客さんが入っています。
電車の中ではどれだけの人が、スマホゲームをしているでしょうか。
YouTubeの、ガンプラ作りがうまい人の視聴者数はものすごいです。
昨日、ぼくはこんなことを書きました。
 

これで困っている人が助かるとか、持続可能性の社会が推進されるとか、生産性が高まるとか、そんなことにならないことを始めたかったのです。
(中略)
直接的にも間接的にもメリットがあると言えないようなことを、みんな、心の奥底で欲しがっているでしょ?

 
日本で長く続いている閉塞感と、いいことしている感と、俺たち勢いある感……実はもう、これらに対して、居心地の悪さを感じているでしょう?
いい景色を見に行っても疲れちゃうし、美味しいものを食べても、観たい映画を観に行っても、何かを言わなきゃいけない。
いいんです。
美味しいものを食べたら「おいしい」だけで。
映画がよかったら「よかった」だけで。
人に勧めたいと思ったら、「おいしいから、食べに行ってみるといいよ」だけで。
「どんな風に美味しいの?」と聞かれたら、「食べてみないとわからないよ」と答えればいいんです。
 
本当は、この役割をアートが担える可能性があったのに、作り手も受け手も何かを考えなきゃいけない。
考えて話せば、知的に見え、自尊心が保てる。
オークションによって、投機の役割を担うようになった。
だから、アートにはちゃんとメリットがあるんです。
自尊心というメリットがある点は、読書家も一緒です。
そして、今の世の中は、メリットだらけです。
メリットなど必要ないところまで、メリットだらけです。
パチスロだって、読書だって、ジョギングだって、持続可能性だって、メリットだらけです。
これを、ほとんどの人が気がついているけれど、口に出せないでいる。
気がついていなくても、モヤモヤが生まれるようになっている。
 
話をおもちゃに戻すと、おもちゃの楽しさを人に話そうと思っても、伝わらないことに気がつきました。
それでも、おもちゃの人口は確実にあるし、その業界はしっかり生きています。
けれども、せっかく完成したプラモデルは、興味のない家族に捨てられたり、ゲームの時間は制限されたり、いつも邪魔者にされています。
邪魔者にされないためには、邪険に扱う人たちの興味の対象を含めればいい。
そうすれば、人口は増える。
 
仕事として考えると、このように考えてしまいますが、まだ観客席にいる自分としては、ただ単純に、邪魔者扱いされているのに、確かにハマっている人口分布があることに感心しています。
 
ぼくはすごいことに気がついてしまった。
おもちゃに触っている人は、おもしろい。
おもちゃについては、もっと話したり、考える必要がありそうです。

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