Archive for 2019.3

待つこと。

2019.3.12

この仕事をしていると、待つことが重要だとつくづく思う。
もしかしたら、すべてのことで「待つ」は重要かもしれない、とすら思う。
たとえば、自信がない人ほど、間髪入れずによくしゃべる。
デザイナーがデザインを見せるときでも、聞いてもいないのに、重大な意味があるようにペラペラ話しているときは、決まって自信がないときだ。
相手を説得しようとしているのかもしれないが、そんなときは、デザインを見せながら、確実に意味のあることだけ、ひとつかふたつ、話せばいい。
本当は、それ以上の意味があるのだが、相手はそのすべてを聞いても、どういうことか分からない。
むしろ、すべての意味が希薄になるだけだ。
デザインにしろ、何かにしろ、相手に見せているときは、相手の反応を待った方がいい。
作り手が気づかなかったことに気がつくのは、自分が話していたら難しい。
それは、依頼人も同じだ。
デザイナーが話しているときは、デザイナーの話を聞く。
そうすると、気がつかなかった事業の盲点に気がつく可能性が高まる。
ほんの数秒、待つだけだ。
ものによっては、何ヶ月、何年も待つことになるが、それでも待った方がいいときはあるよな。

感情はコストになる。

2019.3.11

仕事で色々な事業者と会っていると、上手くいく事業者と、そうではない事業者とで傾向があることに気がつく。
上手くいく事業者の特徴は、感情もコストだということがわかっている。
心配すること、憤ること、不安なこと、悩むこと、悲しむこと、迷わせること、これらはすべてコストになる。
時間や労力や経費と同じようにコストになる。
特に「仕事関係」になったときに忘れがちなのが、「迷わせること」だ。
「仕事なんだから」とか、「強い立場」などを使うことで、相手が迷ってしまうことを放っておきがちになる。
お客対応になると、迷わせるのはよくないと思いつつも、仕事関係になれば、これが問題になることを忘れてしまう。
ここに危機感を抱かないと、どんどん周囲の人達の対応が悪くなる。
そういう事業者の場合、仕事の関係性よりも、利益を生まない関係性を望む。
なぜなら、仕事での人間関係が、いつも上手くいかないからだ。
けれど、その事業者は、自身の振る舞いが、周りに感情のコストを支払わせていることに気がついていない。
人は感情のコストを支払うことが嫌いだ。
そして、嫌いなことをさせる人のことを、無下に扱うようになる。
結局は、お互い様になってしまうのだ。
迷わせたり、面倒をかけないようにすること、どんなことでも配慮が必要ということだ。
人間の基本は人に迷惑をかけるものだから、どこかでセーブしないとロクデナシになるということだ。

土を作る。

2019.3.10

土曜日は、今年はじゃがいもの植え付けをしていました。
15平方メートルの畑の二畝分なので、そんなに量はないです。
でも驚いたのは、ちゃんと土が出来上がってきているということ。
土臭くなく、触るとプチプチとつぶれる。
去年、土作りをしながら作物を育てていたら、去年よりも土の状態はいいです。
ちゃんと進んでいるんだなぁ。
「準備が大事」だとか、「考えながら進めることが大事」だとかって、毒にも薬にもならないことは言いたくないですが、こうやって進んでいる感じがすると、ちょっと得意げに言いたくなります。
腰痛をかばいながら作業をしていたから、あちこち痛いんですけどね。
この農園の契約は今年までらしいから、またどこか探さないとなぁ。

子どものように甘えるズルさを疑う。

2019.3.9

子どものように甘えるズルさを発揮していると、いつかはどれもこれも上手くいかなくなるような気がしています。
子どもは力がないから子どもなのです。
文字通りの身体的な力もないですし、考える力もない、支払い能力もない、配慮する力もないの、ないない尽くしです。
これらを身につけていきながら、「大人」と呼ばれるようになります。
どれもこれも上手くいかなくなっているとき、それは成人になっているだけで、大人になっていないってことでしょう。
最近、なんとなくの傾向がわかってきたのが、子ども成人って、データを作るのが下手です。
今の世の中、メールでやりとりしない仕事の方が少なくなってきていますが、書き方ひとつとっても、間違いに気がつかない書き方になっているんですよね。
日付と曜日を合わせずに書くと、どちらかが間違っていても気づきません。
けっこうこういうことって多いと思います。
書いている本人が気づかないのだから、読む方はもっと気づきません。
こういうことを、ひとつひとつ気にすることで、大人になっていくと思うんですよね。
配慮する力がつくってことです。
大人って、人を助ける力があるってことなんだよね。
人助けをしていると思い上がっているロクデナシも多いけどね。

帰ってきました(出張編)。

2019.3.8

出張から帰ってきて、空港から自宅に着いて、遅めの夕飯を食べながら写真のバックアップをとっています。
写真を眺めながら思うのは、「俺の写真って暗いよな」ということ。
専門用語でアンダーめ(暗め)という次元じゃなくて、存在感としてのシズルになっているんだよなぁ、とディレクターとしてのもうひとりの自分が言っています。
ま、そういう写真が必要だから、ディレクターとしての自分は、写真家としての自分に依頼しているんですけどね。
そうじゃない写真が必要なときは、誰かに依頼しちゃいます。
だって、向いている人が撮った方が、絶対にいいものになるからね。
でも、そういう写真が必要な仕事は、しばらくやっていないな。
「はい、こうでしょ」という感じが、好きじゃないんだろうな。
分かんないから面白いんだよな。
分かると飽きちゃうんだよね。
だから、続いているんだよなぁ、仕事。
やっぱ、楽しくなきゃ、続かないよね〜。
好奇心なのか、バカなのか、はたまた両方なのか。