Archive for 2019.2

麻婆豆腐の謎。

2019.2.3

子どもの頃から当たり前のように食べているけれど、「これだ!」という味と出会っていない料理がある。
「麻婆豆腐」だ。
唐辛子が効いているもの、山椒がきいているもの、ちょっと甘めのもの、挽肉が入っているもの(入ってないもの)など色々あるアレだ。
 
子どもの頃、レトルトで食べていた味は好きではなかった。
だから、家で夕飯の献立が麻婆豆腐だと、気乗りしなかった。
大人になり、自分の好きな傾向が分かるまでにはなったが、それでも、電車を乗り継いで食べたくなるような味とは出会えてない。
 
色々なお店で麻婆豆腐を注文してはいるけれど、片栗粉の固め具合が合わないとか、挽肉が入っていないとか、そもそも美味しくないとか。
バシッとくれば、絶対にハマる料理だと思うのに、そういうお店と出会っていない。
単純な料理のようで、めちゃくちゃ奥が深い料理なのでは、と思うようになって数年が経った。
 
そういえば、麻婆豆腐だけは、自宅でもあまり作っていない。
材料を揃えるのが面倒なのだろうか。
生姜、ニンニク、ネギ、挽肉、豆腐、それと調味料。
調味料は家にあるのに、どうして作らないのだろう。
どうでもいい謎のひとつ。

強い言葉と弱い事業。

2019.2.2

先日、「挑戦」という言葉を使ってしまったが、ぼくはこの言葉があまり好きではない。
理由は、多くの人たちが、この言葉が持つ甘美さに、酔っていると感じるからだ。
これ以外にも、「社会貢献」や「自己実現」なんかも、似たような甘美さがある。
これらが悪いこととは思わないし、実際に素晴らしいことだと素直に思う。
 
しかし、これらの言葉を使っているとき、この言葉の持つ甘美さで、ほかの悪いことを帳消しにしているフシがないだろうか。
大抵は、自分や誰かに無理をさせるときに、この言葉で誤魔化している現場が多いのではないだろうか。
昔、事務所に勤めていた頃、社長が持ってきた社会福祉施設の案件で、バックレを経験したことがある。
バックレとは言わないが、あの頃のそういった案件は、事務所のスタッフを無駄に疲弊させるものが多かった。
そして、ぼくの見た限りでは、笑いながら、これらの言葉が使われることは少ない。
 
けれど、そもそも事業というのは、本人がやりたいからやっているだけだ。
結果として、挑戦になっていたり、社会貢献になっていたりするだけで、やりたいことをやる上では、どの仕事も同じだ。
単純作業でも、知識労働でも、危険が伴う仕事でも同じのはずだ。
乱暴な言い方をすれば、やりたいことが、犯罪じゃなくてよかった、とすら思う。
少なくとも、こう思っていると、他者に無理強いをするってことは減る。
 
弱い事業ほど、強い言葉を使いたがる。
弱い言葉で伝わることが、本当は強かったりするんだよなぁ。

デザインも治療。

2019.2.1

二度目の整骨院。
三度目のギックリ腰をきっかけに始まった、骨盤矯正。
毎回、刺すような痛みに耐えながら、矯正してもらっています。
 
ただ、施術後は、スッキリしているから不思議です。
スッキリしながらも、固まっていた骨盤が動くようになるので、骨盤のあたりがフワフワした感じもします。
普段使われていない箇所が使われるようになるので、その部分は普段よりも疲労や筋肉痛のような痛みがでます。
 
治療に伴う痛みや浮遊感のことを考えてみると、ぼくらの仕事で、依頼人たちが経験することと似ていると思いました。
効果的に機能するデザインをつくるためには、依頼人たちにとって平坦な道ではありません。
デザイナーから痛いところをつかれたり、今まで目を背けてきたことに対峙させられることも、度々あります。
面倒くさいこともやらなければなりません。
 
注文をして待っていたら、優れたデザインが上がってくる、なんて夢物語はありません。
そして、苦労して手に入れたデザインも、依頼人がまだ着こなせていないことも、往々にしてあります。
潜在能力を開花させたときに、互いにふさわしい存在になります。
 
だから、しっかりと作られたデザインというのは、依頼人たちにとっては、まだ、フワフワした状態でもあるのです。
最初は依頼人たちにとって、手に余るデザインになっています。
これが、事業を依頼人が続けていくことで、しっくりくるようになります。
デザイナーが関わるまで、依頼人のデザインは不健康だったのですから。
 
こんなことを考えると、骨盤矯正の刺すような痛みも、まぁなんとか耐えれます。
ぼくの骨盤も、これからちょっとずつ、健康にしていかなきゃな。