Archive for 2019

代償。

2019.5.25

今週は、体に鍼(はり)を刺して、抜歯もしたから、疲労困憊になっています。
仕事の方は忙しさは抜けたから、完全に体の傷による疲労です。
 
鍼灸師の女性が「鍼を刺すのは、体に傷をつけるのと同じ。指先の切り傷と同じように、治癒までに1週間はかかると見ておいてください」と言っていたっけ。
鍼を刺した瞬間も痛いし、一週間くらいは治療による痛みもあります。
これを繰り返して、体にあるトリガーポイントと呼ばれる固まったコリを徐々に破壊して、体を再生させるらしいです。
 
同じように(?)、歯列矯正も痛みを伴って、徐々に歯が動いていきます。
だからこの痛みで痛み止めの薬を飲むと、歯の動きが止まってしまうようです。
別の痛みのときには薬を飲んでもいいけれど、矯正治療の痛みでは薬を飲むことを止められています。
ま、今回は抜歯だから飲んじゃいますけどね。
 
こういうことを経験しながら思うのは「ぼくらの仕事と同じだよなぁ」ということです。
依頼人に言われたことをそのまま形にするっていうよりかは、依頼人の抱える問題をよりよく解決するために、ぼくらはいます。
けれど、デザインを進める上で、依頼人が痛みを感じないことってないんですよね。
「ふんふんふーん」なんて鼻歌うたってたら、依頼していた問題が、都合よく解決されているなんてことはないんです。
ま、そういう場合もあるかもしれませんが、報酬をたんまり弾むとかしないと、デザイナーもキレちゃうでしょう。
 
何かを得るには、代償を支払うっていうことですよね。
ほんと、勉強になります。

ターゲットを設定しない代わりに。

2019.5.24

事業の相談を受けていて、いまだに根強く残っているのが「ターゲットはどこか」という話。
結論から言うと、ターゲットなど設定する方が無駄だ。
架空のターゲットを決めることで、事業者のやりたかった事業はきらめきを失い、理屈で作られた、現実に存在しないターゲットは攻略不可能な強大なラスボスになる。
しかも、時間を追うごとに、この架空のラスボスは姿形を変え、最初に設定したターゲットを攻略できるようになった頃には、本当にどこにもいない人になっている。
ターゲットに翻弄された事業者たちに残るのは、虚無感だけになる。
 
けれど、「ターゲットを設定しないこと」と「人間が何にお金を払うか考えないこと」は同一ではない。
むしろ、前者をしない代わりに、後者である「人間がお金を払うもの」を考えるのはとても大切だ。
 
たとえば、「お金持ちの人」と「お金持ちでない人」のお金の使い方の違い。
モノを得る際に、自分でモノを作る体験にお金を払うのは、「お金持ちでない人」だ。
逆に、お金持ちの人は、素材を加工したモノを提供してくれることを含めた体験にお金を払う。
これは、お金を払うことに対する発想の違いだ。
「そもそも、発想されることが違う」と言った方が適切だろう。
 
たとえば、飲食で言えば、農業体験をして野菜を得ようと思うのはお金持ちの発想にはなく、素晴らしい素材(野菜)を加工(調理)した料理を含めた心地いい体験を提供してくれるお店やスタッフにお金を払う。
だから、農業体験の良さを、お金持ちの人にどれだけ伝えても、知識や情報として伝わるだけで、「そうしよう」という発想になりにくい。
なぜなら、提供してもらうことの良さを知っているから。
そして、料金の高い、安いで価値判断をしていないからだ。
 
ここで事業者が間違うのは、素材を良くしたらお金持ちが来ると思うことだ。
残念ながら、その発想にはホスピタリティが足りない。
事業者ができることを頑張るのではなく、お客さんが心地いいと感じるように頑張ること。
「精一杯頑張っている」のが自分の都合なのか、相手のためなのかが、まったく違うんだ。
 
人間を知ること。
これはどんな事業でも、人にお金を払ってもらうなら考えた方がいいと思う。

デザイン講座。

2019.5.23

人を育てることのおもしろさは、ぼくのノウハウを伝えているのに、自分とは違う「色」が現れるってこと。課題への回答案の中に、「その人が好んでいる案だけど、活かし方が分からなくてボツにしている案」を見つけたとき、活かすためのノウハウを伝え、力を与えることはおもしろい。誰だって自分が好きな人にあって、好きなことをして、好きなことのための努力をした方がいい。

雑感。

2019.5.22

鬼ごっこだけで満足できなくなったのはいつ頃だろうか。
かっこいいやかわいいだけだと人に説明ができなくなるのと同じような気がしている。
 

ここで何度も書いているが、「生理的に受け付けない」という言葉が好きだ。
どんなに便利なものでも、どんなに社会貢献なことでも、この言葉を言った人からは一銭も得ることができない。
最高に建設的な議論も、この一言で吹っ飛ぶ。
ま、これはネガティヴな表現だけれども、「かわいい」や「かっこいい」も同じ強さがあるんだよね。
女の人が言う「かわいい」は、けっこう参考にしている。
 

買い物に失敗した。
ネットショッピングでナイロン製のイージーパンツを買ったら、アウトドアテイストじゃないですか。
「日常使いから〜」と書いていたし、写真では光沢感がなかったのに、届いた品を見たら、シャカシャカ系じゃないか。
こういうときに返品はせずに、この失敗をプラスに変えるコーディネートができたらおもしろいな、と考える。

あいつという自分。

2019.5.21

こういうことを書くと悪い気もするが、周囲の人は「江口らしさ」を求めてくれるが、江口は江口自身を飽きている。
飽きているから、新しいことをやったり、求められている「らしさ」にちょっと違うことを加えたりする。
そうやって、臨床心理学の写真学生は写真家になって、デザイナーになって、ディレクターになって、畑を耕して、デカビタCを飲んで妻に怒られている。
親鸞が非僧非俗であり、僧侶でありながら妻帯者になり、京都に戻らず、浄土宗から浄土真宗を作って旅を続けてしまったのが何となくわかる。
親鸞は親鸞に飽きていたんじゃないだろうか。
こういうことは、自分のことを客観的に見ようとすればするほど、起きることだと思っている。
自分のことを「あいつは」と言ってしまう感じだ。
もうちょっと、親鸞について調べてみてもいいかもな。